街道の起点、終点は大きなテーマですね。例えば、成田街道だって、成田山を終点にしてもいいし、ちょっと先の寺台宿まで行ってもいいし。
— 武藏野狐勇 (@musashinokoyu) May 22, 2018
個人的には、中原街道は中原御殿ではなく、東海道とリンクするところを終点としたいです。昨日もお話しした、「繋げる」楽しさがありますから。
先日のtwitterでの話題からですが
街道を歩くにあたって起終点は悩む点ですよね。
街道歩きという趣味上の話になりますが
どこから歩くか、どこをゴールとするかは
歩く目的である以上は決めておきたいものです。
自由な趣味なのでどれが正解かは言えませんが
例えば、電車の駅をスタートに設定する人もいますし、
町の中心地である道路元標を設定する人もいます。
まさに十人十色といった感じでしょうか。
街道を調べると明確に書いている場合がありますが
昔の人の視点で見ると起終点という拘りはなく、
起点は家、終点は目的地といった感覚だったと思います。
現在の街道の名称のほとんどは
幕府や藩で制定されていた場合は別として
近代になってから便宜上名付けられたものが多く、
その際に明確な起終点も定めた街道もありました。
この辺りの詳細は以前書いた記事をご覧ください。
→街道という単語の関東と関西の認識の違いとか
http://borabora.seesaa.net/article/455008889.html
要は同じ道筋であったとしても
江戸時代とは色々とズレがあるということです。
でも、せっかくなら・・・
江戸時代の起終点だったと思われる場所から歩きたいもの。
そこで今回は起終点の見つけ方について書いていきます。

街道の起終点を調べていくと
大きく3つに分けることができます。
1・文献などにしっかり残されている街道
2・明確に起終点がわかりやすい街道
3・起終点がはっきりしない街道
1番は東海道分間延絵図が一例ですね。
江戸幕府が東海道の状況を把握するために、
道中奉行に命じて作成された道中絵図です。
東海道以外の五街道や脇街道のものもあるので
東京国立博物館の画像検索で確認することができます。
江戸時代の文献はどんな資料にも勝りますね。
2番の明確に起終点がわかりやすい街道とは。
追分から追分への街道であったり、
追分から伸びる参詣道であったり、
渡し場から伸びている街道であったり、
パッと見て起終点がわかる道筋です。
五街道wikiから具体例をあげてみましょう。
五街道wiki
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%94%E8%A1%97%E9%81%93
『佐屋路』東海道宮宿の追分←→三里の渡し。
『美濃路』東海道の追分←→中山道の追分。
『本坂通』東海道の追分←→東海道の追分。いわゆる姫街道。
『伊勢参宮街道』東海道の追分←→伊勢神宮。参詣道。
三里の渡しのように渡し場が現存しない場合は
その跡と思われる場所がゴールで良いと思います。
渡し場跡が現存するような街道の場合だと
水面近くまでいってみるのも良いでしょうね。
何か痕跡が残っているかもしれません。
参詣道の場合はどこをもって終わりか悩みますが
入口にあたる鳥居や山門で終えるのが一般的でしょうか。
伊勢神宮の場合だと宇治橋鳥居になると思います。

3番の起終点がはっきりしない街道とは。
例えば北国街道を例にあげると
滋賀県を経由するものや経由しないものがあるように
自治体や資料によって大きく異なっています。
もちろん、江戸時代においては
単に江戸道や加賀道というように呼ばれていたので
どこからどこが北国街道なのかという定義は
近代になって設定されたものにすぎません。
このような起終点が複数存在する街道については
歴史を紐解いて考えていくのが肝心です。
関西の伊勢本街道の例もあげてみましょう。
高麗橋か玉造稲荷神社かで起点が分かれています。
高麗橋は江戸にある日本橋のような公儀橋で
大坂のあらゆる街道の起点になっていたわけですが
伊勢詣の歴史を考えれば神社でお参りしてからが多いので、
高麗橋は街道的にはスタート地点であっても
参詣的にはスタート地点とは言いづらい面があります。
このことは冒頭のTwitterにあります
成田街道についても同じような感じかもしれません。
一般的には成田山山門でゴールでいいと思いますが、
山門から先にある寺台宿の説が多くなっているのは
宿や船着き場があったことから大勢の人が歩いている点で
成田詣とは切ってもきれない場所だったからでしょう。
参詣という括りならばセットで考えれるのも頷けます。

現在の寺台宿
さて、町中を発端とする街道の場合、
町には幾重にも道筋があるのでどこが街道なのか、
どこが起点だったか特定が難しいところです。
下は伊丹城下の絵図になりますが
街道には家々が建ち並んでいる様子がわかると思います。
一見するとわかりづらいですがじっくり見ると見えてきますね。

城下町である場合はネットで検索すると
昔の絵図がヒットすることが意外に多いもので
街道の道筋を探す際の大きなヒントになります。
また、絵図には高札場や道標も描かれていたりします。
高札場は多く人が集まる場所に設置されることが多いので
町の中心部であったり何か重要な場所だったりするものです。
道路元標や里程元標が置かれた所もこういう場所が多いですね。
ようするに町のシンボルとなっていた場所が
起終点がはっきりしない街道の起終点かなと思います。
もしこれが宿場町だったとすれば本陣でしょうし、
城下町であるなら城へと続く橋であることもあります。

復元された奈良市内の里程元標と高札場
以上、いろいろ書いてきましたが
起終点はどうするか本当に悩むところです。
基本は先人が歩かれた記録を参考にして歩いていますが
それがない場合は自分で見極めないといけません。
調べるということは大変なことですが
それはきっと後に歩く人の参考になるはずです。
ではenjoy!街道歩き