2019年09月25日

長崎街道その2・黒ア宿→直方宿→飯塚宿

街道は内陸へ。
まずは黒ア宿の名所”曲里の松並木”を抜けていきます。

IMG_1172.jpg


↑詳しいルートと記録は【山行記録のページへ】もご覧ください。

IMG_1176.jpg

松並木は昭和20年ごろまでは
木屋瀬宿にかけて多くの松が残っていました。

現在は江戸期からのものは2本しか残っていませんが
該当の木を見るとさすがといえる風貌があります。

早朝の松並木散策は清々しさも相まって
ヒンヤリと心地よいものでした。

IMG_1178.jpg

IMG_1196.jpg

IMG_1200.jpg

国道沿いにある菅原神社。

境内にあった大きな松の下で旅人が休息したので
「涼み松」と呼ばれ「涼天満宮」とも呼ばれています。

ここまで若干アップダウンがある道筋だったので
こういった休憩ポイントはありがたいですね。

IMG_1204.jpg

IMG_1209.jpg

5月といえば藤の季節ですが
道中でも満開になってる木々が見られました。

小峰インター付近からは
石坂の急坂と呼ばれた難所に入っていきます。

IMG_1217.jpg

IMG_1226.jpg

峠付近には「立場茶屋銀杏屋」がありますが
ここまでの区間は特に難所といった感じがしません。
幾分、坂が急になったなーと感じる程度です。
これは土地改良の影響で昔の面影が消えてしまっています。

立場茶屋とは休憩所みたいなものですが
ここは諸大名も休憩したので「御小休所」とも呼ばれていました。

IMG_1229.jpg

IMG_1230.jpg

直方側には急坂になっていて難所の面影が残っています。
一気に下る道筋なのでなかなかの急勾配です。
余りにも急なので大名でさえ籠から下りて歩いたそうです。

下り終えると景色が一変してのんびりした道中に。
溜池が多いのはおそらく灌漑用なのでしょうね。

IMG_1238.jpg

IMG_1242.jpg

IMG_1247.jpg

茶屋の原一里塚跡。

この一つ前の一里塚は小峰インターにあったのですが
距離が一里もない短い間隔なのは難所を考慮してのものだそうです。

筑豊電鉄の踏切を渡れば木屋瀬宿です。

木屋瀬宿は赤間道(唐津街道)との分岐になっている他、
遠賀川の水運によっても栄えた宿場町でした。

IMG_1254.jpg

IMG_1261.jpg

白壁が美しい木屋瀬宿の中心部。
街道沿いの各家々には木屋瀬宿の手ぬぐいが飾られています。

ある旧家の2階部分に象の鏝絵があったのですが
江戸時代のものではなく15年ぐらい前のものだそうです。
ゆかりのある鏝絵は粋なものですね。

IMG_1263.jpg

IMG_1259.jpg

木屋瀬宿の資料館は街道資料が豊富です。
街道歩き途中で是非とも寄っておきたい場所です。

町が一体となって宿場を愛している雰囲気があって
解説していただいた係の人も非常に熱心でした。

IMG_1268.jpg

IMG_1272.jpg

西溝口跡。
木屋瀬宿の西の出口にあたります。

出口の遺構は都市化などで現物が残ってないことが多いですが
ここのものは石積みが道路と直角に両端に残っています。
かつては石積みの上に塀が築かれていたようです。

IMG_1273.jpg

西溝口跡には追分道標もあります(レプリカ)

「赤間道、飯塚道」

赤間道は赤間を経て福岡への唐津街道に至る道筋で
遠賀川を渡しで渡っていました。

IMG_1275.jpg
遠賀川の渡し場跡

IMG_1279.jpg

長崎街道は遠賀川の堤防上を進んでいきます。
堤防は立派なものなので江戸期のものとは違いますが
この整備によって大部分の道筋が消滅しています。

堤防の道は直方市街地に入るまで続くのですが
直方付近の長崎街道の道筋は難解で面白いものがあります。

IMG_1287.jpg

IMG_1288.jpg

まず、直方藩があった時代(1623〜1720)までは
城下を避けての遠賀川沿いのルートになっていました。

廃藩後、城下の荒廃を避ける意味で
1736年頃に城下を通るルートへと変更になっています。

現在、直方市街地の手前に大きな橋が架かっていますが
橋の3分の1ほど行った辺りが当時の交差点(四辻)で
ここで新ルートと旧ルートが分かれていました。

IMG_1296.jpg
分岐地点だった四辻跡

IMG_1300.jpg

橋の直方側には大きな銀杏の木があり、
ここが直方市街地側の渡し場の跡になります。

遠賀川流域では冬場において川霧が濃いことから
目印に銀杏の木を植えることが多かったそうです。

渡し場付近が頓野口と呼ばれる場所です。
城下への入口の一つにあたります。

IMG_1327.jpg

城下の道筋は古絵図によく描かれています。
現代の地図と重ねても余り変わりがありません。

ただ、上のルート図は直方藩時代のものなので
赤線は長崎街道とは別の道筋と考えなければなりません。
城下から長崎街道へと繋がる道筋と考えるのが妥当でしょう。

IMG_1307.jpg

IMG_1321.jpg

この道筋は廃藩後=長崎街道化になると少し変更になります。
中心部において多賀神社を霞める道筋になるんですよね。
おそらく、旅人や参拝者の便宜を図ったのではないかと思います。

街道は尾崎口御門跡を過ぎて城下を抜けると
遠賀川沿いの岩鼻に出ます。

IMG_1337.jpg

IMG_1342.jpg

岩鼻という地名は各地によくありますが
山の端っこで岬のような場所が多いようです。
長崎街道のルート変更は岩鼻開削がキモだったといいます。

IMG_1345.jpg

IMG_1359.jpg

ここからしばらくは長閑な田園風景の中を進みます。
そして再び、遠賀川沿いの堤防上を歩くことになるのですが
日差しを避けるすべがないので夏場はキツイでしょうね。

長崎街道は象が歩いたことで有名ですが
小竹では小休止したことが文書に残っています。
飯塚泊→小竹小休止→木屋瀬泊という道中だったようで
距離を考えるとなかなかタフなもんです。

IMG_1370.jpg

IMG_1404.jpg

堤防を下ると飯塚市街地に入ります。

白壁の美しい家並みの中にある
ひときわ大きなお屋敷は「旧伊藤伝右衛門邸」です。

筑豊の著名な炭鉱経営者で
建物は明治30年代後半に建造されています。

IMG_1407.jpg

IMG_1410.jpg

美しい庭にうっとり。

池を配した広大な回遊式庭園を持つ近代和風住宅で、
和洋折衷の美しさ、当時先進的だった建築技術など
随所に見ることができます。

八幡宮横を過ぎ飯塚中心部へ
飯塚宿の東構口付近でゴールとしました。

IMG_1427.jpg


  

  
posted by にゃおすけ at 14:08 | Comment(0) | 長崎街道 | 更新情報をチェックする

2019年09月09日

【街道シンポジウム】 衝撃の日間賀島と知多半島の街道

日間賀島は知多半島の先にある離島です。
全国的な知名度はないですが名古屋近辺では有名な場所。
海水浴にタコやフグ料理のグルメで大変賑わっています。

日間賀島のある南知多という場所は私の母方の田舎でもあります。
小さい頃は休みのたびに訪れていたのですが島に渡ったのは今回が初めて。
離島への舟は小さいので何かあっては大変とかだったのでしょうか。
海水浴の時でも浮き輪に長い縄を付けて監視していたぐらいですから
いろいろ気を使っていたんだなと今になって思います。

IMG_2576.jpg

さて、前置きが長くなりました。

日間賀島へは河和港から高速船を利用します。
他にも知多半島の南の端にある師崎港からも船がありますが
師崎港はもっぱら車利用の人を相手にしている印象です。

乗船してみると地元客が1/3ぐらい占めていたでしょうか。
その人たちは皆一様にして真ん中の席に座ります。

「あーなるほど!前方の席は観光の人に譲ってくれているのだ!」

それは勝手な思い過ごしだったようで単に出入口が近いことと
前方の席は揺れが激しいからということが理由のようでした。
ちなみに我々は特等席と思い最前列に座りました(えっへん

IMG_2594.jpg

ここで知多半島の街道と歴史を書いておきます。
半島の背骨にあたる場所は南北に山が連なっていることから
西側の海沿いに常滑街道、東側を師崎街道が通っています。

しかしながら、漁村が続く海岸線には舟が豊富にあることから
江戸時代での移動は歩きより専ら舟の利用が多かったそうで
街道は主に村と村を結ぶ地域利用だったと推測され、
知多西国33箇所及び88箇所巡礼の道としての利用もあったと思われます。

特に常滑街道は狭義では東海道の鳴海と常滑を指すことから
常滑より南の区間はさらにその傾向が強いようで
山越えには獣道といった様相の場所があったりと
大きな需要に耐えれる道筋ではないと実際に歩いて感じました。

知多半島の港というと常滑、半田、武豊、河和、豊浜などがありますが
県下一の水揚げを誇る港はというと南知多の豊浜港になります。
常滑や半田、武豊は明治時代からは産業を中心とした港のイメージで
江戸時代は廻船が寄港する港として賑わっていたそうです。

IMG_2579.jpg

さて、日間賀島ですが着くやいなや衝撃的な光景を目にします。

道が狭い場所が多いので主な交通は原付なのですが
運転手の頭に被るものが皆一様に被ってないんですよね。
たまに通る軽自動車ではシートベルトをしていません。

島はのんびりしていて時間の流れが止まってるようで
まるで昭和に戻ったかのような感じにさせてくれます。

ノーヘル!ノーシートベルト!
たまにベルトをしてる人を見かけましたが激レア状態です。
宿から聞いた話では本土から警官が来る場合は連絡網で情報がくるのだとか。
その時は皆で交通ルールを守るそうでこれはこれで激レアな光景ですね。
もしかすると他の離島でも似たような状況なのでしょうか。

IMG_2580.jpg

日間賀島の混む時期というと
海水浴の時期がピークで10月からはフグで賑わうそうです。
その合間の9月は意外なことに閑散期ということで
のんびりした島の雰囲気を味わうには良い時期でした。

ふと、島から景色を眺めていて不思議に思ったのは
近距離に篠島、佐久島という離島も見えるのですが
知多半島から佐久島行きの定期航路はないんですよね。

日間賀島を含めての三島は「三河湾三島」と呼ばれたり、
水道である愛知用水が知多半島からきていることから
密接な繋がりがあると思うのですがよくわかりません。
もしかすると昔は航路があったのかもしれませんが。

航路というと師崎港と鳥羽や伊良湖を結ぶ大型フェリーがありました。
混雑する名古屋を経由せずにショートカットできて便利だったのですが
交通体系の変化からなのか廃止になってしまっていますね。

IMG_2555.jpg

今回のシンポジウムでは常滑と半田もめぐっています。
随分と昔にこれらの町を観光したことはあったのですが
やはり1人と大勢とでは楽しみ方が大きく違ってきます。

香りがスゴイ凄い町! 〜愛知の半田〜
https://borabora.seesaa.net/article/119752250.html

春の岐阜・名古屋めぐり♪
https://borabora.seesaa.net/article/16113970.html

下のリンクにある常滑での滞在時間は1時間ほどなんですよね。
今回散策してみて2時間以上は欲しいボリュームだったので
おそらく当時は駆け足気味にめぐっていたのでしょう。
ブログを長く続けているとこういう発見があって面白いです。

IMG_2572.jpg






posted by にゃおすけ at 15:21 | Comment(0) | 街道シンポジウム | 更新情報をチェックする