まずは黒ア宿の名所”曲里の松並木”を抜けていきます。

↑詳しいルートと記録は【山行記録のページへ】もご覧ください。

松並木は昭和20年ごろまでは
木屋瀬宿にかけて多くの松が残っていました。
現在は江戸期からのものは2本しか残っていませんが
該当の木を見るとさすがといえる風貌があります。
早朝の松並木散策は清々しさも相まって
ヒンヤリと心地よいものでした。



国道沿いにある菅原神社。
境内にあった大きな松の下で旅人が休息したので
「涼み松」と呼ばれ「涼天満宮」とも呼ばれています。
ここまで若干アップダウンがある道筋だったので
こういった休憩ポイントはありがたいですね。


5月といえば藤の季節ですが
道中でも満開になってる木々が見られました。
小峰インター付近からは
石坂の急坂と呼ばれた難所に入っていきます。


峠付近には「立場茶屋銀杏屋」がありますが
ここまでの区間は特に難所といった感じがしません。
幾分、坂が急になったなーと感じる程度です。
これは土地改良の影響で昔の面影が消えてしまっています。
立場茶屋とは休憩所みたいなものですが
ここは諸大名も休憩したので「御小休所」とも呼ばれていました。


直方側には急坂になっていて難所の面影が残っています。
一気に下る道筋なのでなかなかの急勾配です。
余りにも急なので大名でさえ籠から下りて歩いたそうです。
下り終えると景色が一変してのんびりした道中に。
溜池が多いのはおそらく灌漑用なのでしょうね。



茶屋の原一里塚跡。
この一つ前の一里塚は小峰インターにあったのですが
距離が一里もない短い間隔なのは難所を考慮してのものだそうです。
筑豊電鉄の踏切を渡れば木屋瀬宿です。
木屋瀬宿は赤間道(唐津街道)との分岐になっている他、
遠賀川の水運によっても栄えた宿場町でした。


白壁が美しい木屋瀬宿の中心部。
街道沿いの各家々には木屋瀬宿の手ぬぐいが飾られています。
ある旧家の2階部分に象の鏝絵があったのですが
江戸時代のものではなく15年ぐらい前のものだそうです。
ゆかりのある鏝絵は粋なものですね。


木屋瀬宿の資料館は街道資料が豊富です。
街道歩き途中で是非とも寄っておきたい場所です。
町が一体となって宿場を愛している雰囲気があって
解説していただいた係の人も非常に熱心でした。


西溝口跡。
木屋瀬宿の西の出口にあたります。
出口の遺構は都市化などで現物が残ってないことが多いですが
ここのものは石積みが道路と直角に両端に残っています。
かつては石積みの上に塀が築かれていたようです。

西溝口跡には追分道標もあります(レプリカ)
「赤間道、飯塚道」
赤間道は赤間を経て福岡への唐津街道に至る道筋で
遠賀川を渡しで渡っていました。

遠賀川の渡し場跡

長崎街道は遠賀川の堤防上を進んでいきます。
堤防は立派なものなので江戸期のものとは違いますが
この整備によって大部分の道筋が消滅しています。
堤防の道は直方市街地に入るまで続くのですが
直方付近の長崎街道の道筋は難解で面白いものがあります。


まず、直方藩があった時代(1623〜1720)までは
城下を避けての遠賀川沿いのルートになっていました。
廃藩後、城下の荒廃を避ける意味で
1736年頃に城下を通るルートへと変更になっています。
現在、直方市街地の手前に大きな橋が架かっていますが
橋の3分の1ほど行った辺りが当時の交差点(四辻)で
ここで新ルートと旧ルートが分かれていました。

分岐地点だった四辻跡

橋の直方側には大きな銀杏の木があり、
ここが直方市街地側の渡し場の跡になります。
遠賀川流域では冬場において川霧が濃いことから
目印に銀杏の木を植えることが多かったそうです。
渡し場付近が頓野口と呼ばれる場所です。
城下への入口の一つにあたります。

城下の道筋は古絵図によく描かれています。
現代の地図と重ねても余り変わりがありません。
ただ、上のルート図は直方藩時代のものなので
赤線は長崎街道とは別の道筋と考えなければなりません。
城下から長崎街道へと繋がる道筋と考えるのが妥当でしょう。


この道筋は廃藩後=長崎街道化になると少し変更になります。
中心部において多賀神社を霞める道筋になるんですよね。
おそらく、旅人や参拝者の便宜を図ったのではないかと思います。
街道は尾崎口御門跡を過ぎて城下を抜けると
遠賀川沿いの岩鼻に出ます。


岩鼻という地名は各地によくありますが
山の端っこで岬のような場所が多いようです。
長崎街道のルート変更は岩鼻開削がキモだったといいます。


ここからしばらくは長閑な田園風景の中を進みます。
そして再び、遠賀川沿いの堤防上を歩くことになるのですが
日差しを避けるすべがないので夏場はキツイでしょうね。
長崎街道は象が歩いたことで有名ですが
小竹では小休止したことが文書に残っています。
飯塚泊→小竹小休止→木屋瀬泊という道中だったようで
距離を考えるとなかなかタフなもんです。


堤防を下ると飯塚市街地に入ります。
白壁の美しい家並みの中にある
ひときわ大きなお屋敷は「旧伊藤伝右衛門邸」です。
筑豊の著名な炭鉱経営者で
建物は明治30年代後半に建造されています。


美しい庭にうっとり。
池を配した広大な回遊式庭園を持つ近代和風住宅で、
和洋折衷の美しさ、当時先進的だった建築技術など
随所に見ることができます。
八幡宮横を過ぎ飯塚中心部へ
飯塚宿の東構口付近でゴールとしました。
