2020年04月22日

旅好きになった原点を紐解く。その5

社会人になった頃にはネットが充実してきました。
情報は本よりネットで得ることが多くなり、
愛読書であった鉄道雑誌はお役御免になりました。

前に書きましたが
本という媒体のパワーはすごいものがあると思います。
ネットは情報をスピーディーに得ることが出来ますが、
興味があるものだけを見るというスタンスになりがちです。
一方、本は購入してるので興味がない記事でも読むことがあるので
購入しなくなってからは随分と知識が薄くなった気がします。

社会人になっての最初の3年間は静岡で暮らしました。
決まった時は大阪から離れて暮らせる嬉しさがありましたが
一方で東海地震のことが心配で行きたくない気持ちもありました。
しかし、3年という期間を設定してくれていたので
3年をいかに充実して過ごすかを考え行動に移しました。

まずはネットで静岡の知り合いを増やしました。
地元の穴場やグルメ、温泉などいろいろ教えてもらったり、
東京や山梨、長野も近いことで遠方へも足を延ばしていました。
やはり現地での知り合いを作ることは楽しむ上で大事なことで
おかげで静岡の印象が180度変わったのは言うまでもありません。

大阪に帰ってからは
静岡での経験を元にして再びネットを用いて
新たな出会いを作ることを心掛けました。
出会いといっても当時のネットは男性が8割ぐらいだったので
女性を求めてというわけではありません。と書くと嘘になりますが。
しかしながら、いろんな人と新たに出会うということは
今まで自分が知らなかった何かを発見できるチャンスです。

その一つが卓球です。
卓球をやりたい人を集めて細々と始めてみると、
思いのほか楽しくサークルを作るまでに発展しました。
試合に向けて強化特訓はあまりしない気楽なもので
高松へ讃岐さぬきうどんツアーを企画したり、
スキーやキャンプ、BBQなんかもやっていました。
おかげで旅をどうすればみんなが楽しめるかを考えたりと、
随分と旅の企画力を鍛えられた気がします。

卓球サークル自体は今も続いています。
長い年月をやっていると生活スタイルが皆一様に変わるものですが
それでも続けれていることは有難いことです。

さて、社会人になっての旅の目標の一つは私鉄の全線完乗でした。
また鉄道か!と言われそうですが以前とはスタイルが違います。
お金があることで現地まで飛行機や新幹線を利用するなど、
時間をお金で買うスタイルが増えていきました。

例えば沖縄にはモノレールが走っていますが、
モノレール自体は1時間もあれば乗れるものなので
目的が終わればあとはレンタカーを使って観光をします。
ネットが発達したおかげで旅の計画が楽になりましたが
どこに寄ればいいかなど事前に調べる楽しみが増えました。
おかげで詰込み過ぎになることがありましたが
私鉄の全線完乗率は100%に近付きつつあります。

長野県にスキーにいった折には骨折し2回の手術を経験します。
その後リハビリで始めたのが街道歩きです。

街道沿いには魅力的な名所が数多くありますが、
歩き旅ゆえにスルーせざえる得ないことがあります。
一時期、毎週のように街道歩きで長距離をいけていたのは
寄り道はほどほどにして歩いていたことが大きな理由です。

なぜ、魅力的な名所をスルーすることが出来たのでしょう?
それは今までの旅の積み重ねが理由の一つです。
鉄道の多くは街道沿いに敷かれることが圧倒的だったので
主だった名所は鉄道旅行の時に既に寄っていたんですよね。

もちろん、名所に限らず「場所」というものは
時代や時期、時間によって同じ顔はないことは十分承知です。
しかしながら歩き旅の制約上、何かを削らないといけないので
街道自体を思いっきり満喫するというスタイルにしたわけです。

おわりに。
何事も好きになるキッカケは何か理由があるものです。
私はたまたま鉄道を入り口にして旅好きになりましたが、
今こうして振り返ってみると、鉄道という核があったからこそ
それに肉付けが出来て自分のスタイルが出来たのだと思います。

キッカケはいつどこで訪れるかわかりません。
そういう意味で出会いは大事なのだとつくづく思います。



posted by にゃおすけ at 14:10 | Comment(0) | 懐かしい記憶 | 更新情報をチェックする

2020年04月10日

新型コロナと街道歩きについて

GWに予定をしていた長崎街道歩きは延期にしました。

散歩をすること自体は問題ないとはいえ
長崎街道は遠方なので罹るリスクが大きいと判断しました。
ちなみに外出「自粛」のお達しは強制力がありませんが、
今回の「自粛」は今まであったような「自粛」とはわけが違います。
自身を守るため、家族を守るため、他人にうつさないためという、
防衛的なものなので「やりたくなくてもやらざるえない」ところです。
死んでしまっては街道歩きはできません。

長崎街道歩きは残すところ2回の遠征で完歩となります。
長崎といえば再来年に新幹線が開業という記念すべき年を迎えます。
今年行く予定だった分を来年にまわせば新幹線開業前の姿を見れますし、
ラストを再来年にすれば新幹線に乗って帰ってくることが出来ます。
関西に住んでいると地理的に長崎はなかなかいけませんから、
延期は逆によかったのかもしれません(なんというポジティブ思考)

そういうことでGWの予定が空いてしまいました。
運動目的での散歩として街道をたしなむのは良いと思うのですが
いまいち良いアイデアが浮かびません。

私事ですが通勤は日ごろはバスを使っていたのですが、
1月中旬からはコロナ対策でマイカーに切り替えています。
こんなに長い間、鉄道を利用しないのは初めての経験です。
街道歩きを田舎にすれば電車バスは空いてて3密の回避は可能ですが、
万が一、それで罹ってしまうと今までの苦労が水の泡です。

ある日のニュースを見ていると、
既に症状があって医者に検査するように言われていたにも関わらず
仕事を優先して検査に来なかったという話がありました。
この人がどういう手段で仕事に行っているかはわかりませんが、
満員電車に乗っていたらと思うとゾッとしますね。
おそらく感染経路不明はこういうことなんだろなーと思います。

新型コロナの蔓延が収まるまでor薬ができるまでは
今までのような街道歩きは厳しくなると思いますが
街道には踏破目的以外にもたくさんの魅力があります。

峠や宿場などピンポイントで面白い場所が点在しているので
そういった場所を訪れての散歩も1つの方法でしょう。
もちろん3密など対策をした上での話です。
しかしながら現在感染が拡大してる地域では
さすがにこういうことも止めておくのが無難です。

追記:
コロナ関連の状況が日々変化しています。
最新情報には気を配り行動を考えましょう。


街道歩きは自宅でも楽しめるのが大きな強みです。
自分自身で調べあげた街道を歩くことは至福なはずなので
この機会にしっかりと街道のことを勉強して計画を立てて、
足のトレーニングなどもして次に備えておきましょう。




  
posted by にゃおすけ at 15:50 | Comment(2) | つぶやき | 更新情報をチェックする

2020年04月01日

旅好きになった原点を紐解く。その4

大学へ進学となり自由な時間が増えました。
まず第一に社会人になると出来ないことは何かを考え、
その一つにJRの全線乗り潰しの旅を本格化していきます。

学生ですからお金はそれほど多くはありません。
当時は夜行列車が数多く走っていたことが幸いして
周遊券という切符があれば列車を宿代わりにできました。
お風呂は駅周辺の銭湯や温泉で済ますといった感じで
旅行費用の比重が高い宿泊を節約出来たのは助かりました。

せっかく遠方の旅をしているのだからと
名物や観光地も楽しむようになっていったのはこの頃。
人気の駅弁を現地で食べることはデパ地下とは全然違います。
うまく表現できませんが中身は同じでも何かが違うのです。

乗りつぶしの旅では列車に長時間乗ることがあり、
いくら鉄道が好きだといっても飽きてきます。
ただ単に乗ってるだけでは面白くもない苦行なので
沿線の観光や路線の情報が書かかれた単行本を携帯しました。

例えば、車窓に特長的な山が見えたとしましょう。
まず名前はなんなのか気になると思います。
本には山の名前や歴史まで事細かに書かれてあるので
パッと本を取り出せば答えを知ることが出来ます。
もし持参してなかったなら知らないままでした。

今の時代は簡単にスマホで調べれるようになりましたが、
共通するのは自分の目で実物を見て調べること。
これは旅をする上での楽しみの一つではないかと思います。

最近は特急列車で一気に移動することが多くなりましたが、
貧乏旅行は違った別の良さがあって良いものです。
普通列車の車内では日常の生活を垣間見れ、方言も楽しめます。
機会があればまた同じような旅をしてみたいです。

当時はパソコンの黎明期でした。
知り合いからもらったパソコンの中にゲームが入っていて、
秀吉が天下を目指していく「太閤立志伝」にはハマりました。
織田信長に謀反ができるなど自由度の高さが面白く、
城や武将の説明も事細かに書かれてあり読みふけりました。

ゲームの力はすごいですねー。
歴史が苦手だったのが一気に好きになりました。
ちょうど車の免許を取った時期でもあったので
各地の城や資料館へ車を使っての旅が増えていきます。
高校時代からレトロには興味を持ちつつあったのですが
ゲームのおかげでレトロと歴史がようやくマッチングし、
古いものへの興味がますます強くなっていきました。

学生時代のバイトは松本で住み込みをやっていました。
内容はバスの車掌で時給はさほどよくなかったのですが、
実際は時間外労働が多く月に50万稼いだことがありました。
繁忙期は朝の4時から22時の乗務があったりヤバかったですが、
乗務自体が旅の感覚だったので旅をしながら稼げて良いバイトでした。

この頃は常々親元から離れて暮らしたい気持ちがあったので
松本で暮らせてる喜びをヒシヒシと噛みしめてました。
休みの日には長野県、岐阜県をいろいろ回れましたし
観光地のバイトなので全国各地からの知り合いも出来ました。
この思い出はまた別の機会に書いてみたいと思います。

そうこうしているうちに大学を卒業、社会人へ。
JR全線完乗は卒業間際で達成することができました。

 
posted by にゃおすけ at 09:52 | Comment(0) | 懐かしい記憶 | 更新情報をチェックする