2020年07月29日

『街道歩きのススメ』2020年版ルート作成術。

最近、AppleWatchなるものを手に入れたのですが、
これを街道歩きで使えないか試行錯誤していると、
今までにない革命的な方法が見つかりました。

それは「ヤマレコアプリ」です!

AppleWatchに対応しているので
スマホを鞄に仕舞ったまま歩くことが出来る上、
ルート作成は高低差が自動で付く地図なので、
今は亡きルートラボからの移行にもうってつけです。

では、さっそく見ていきましょう。

1.jpg

ヤマレコというサービスは簡単に言うと、

・山行計画でルートを作成できる
・山行記録で歩いた記録を作成できる
・それらの情報を共有できる


この3点でしょうか。
これらはアプリ上で全てすることが出来ますが、
操作性はweb版のほうが断然便利です。
なので途中まではweb版での話をします。

ルート作成で用いられているのは「地理院地図」です。
この地図は山奥の道や旧道などの細い道も載っているので
街道歩きで有能であることはご存知の通りです。

2.jpg

〇手順 1
マイページ→山行計画を書く→地図を書く地域を選択→
手動入力をON→開始地点をクリックしてからルートを書く

地図の右側の入力欄に時間等を書く必要がありますが、
これは後で訂正できるので適当で構いません。

3.jpg

〇手順2
次からのページで保存ステップをいくつかこなします。

最後にある「確認・保存」のステップで
「提出・共有しないで終了する」を押せば完成です。

いくつかステップを踏まないといけないのですが、
こちらも入力項目はメモ程度で適当で構いません。
ルートを描く時間以外なら一瞬で出来ちゃいます。

ルート自体はこれで完成となります。

ただし、一つだけ問題点があります。
それはヤマレコの地理院地図の縮尺が細かくないのです。

地理院地図のサイトで作れば更に拡大できるので、
詳細にルートを作りたい場合はヤマレコで作ることはせず、
まず地理院地図サイトで作ってからヤマレコにインポートします。

追記:ヤマレコでも問題なく縮尺を拡大できるようになったようです

★ポイント
ヤマレコにインポートする理由は地図に高低差がつく。
AppleWatchでルート地図を見れるようにする。の2点。


インポートする場合の手順を紹介します。

〇手順1
地理院地図サイトで作ったルートはkmlファイルで保存する

〇手順2
ヤマレコの山行計画を書く→作成をスキップ→ルート作成ステップ→
GPSログを登録→ログファイル形式をkmlにする

手順1で作ったkmlファイルをインポート。
これでヤマレコの地理院地図の欠点を補えます。

5.jpg

6.jpg

ここまで文字で書くと長々となりましたが、
慣れればスムーズに出来る作業となるはずです。

では、作ったルートを使っての実践といきましょう。
ここでようやくヤマレコアプリの登場となります。

〇手順1
右下のマイページ→山行計画→該当の計画をクリック

7.jpg

〇手順2

「この地図とルートをダウンロード」をクリック。
次の画面では地図の範囲を求められます。

特に問題がなければ一番下のところにある
「この地図とルートをダウンロード」をクリック。

8.jpg

これでスマホの端末に地図がダウンロードされるので、
電波が届かない場所でも見ることができます。

〇手順3

9.jpg

一番下に登山開始というボタンが出てきますが、
まだ押してはいけません。

ここでは上の赤丸で囲んだ該当の計画をクリックします。

10.jpg

〇手順4

一番下にある「登山開始」を押せばスタートします。
開始と同時にGPSログが記録されていきます。
設定によりルートから逸脱した場合の警告や、
時間や標高の音声案内などが出来ます。

ゴール時にはGPSログ録りも終了すると同時に、
ヤマレコサイトの山行記録に下書きとして
アップロードされるという仕組みです。

11.jpg

★ポイント
ログ録りしてくれるのは超優秀。
道中での写真やメモなども残すことが出来るので、
帰ってからの記録作成が非常に便利。


以上がルート作成から歩くまでのご紹介でしたが、
ここからはAppleWatchも活用した方法のご紹介です。

10.jpg

この画面に戻ります。
左下にWatchのボタンがありますが、
これはAppleWatchへデータの転送ができるものです。

AppleWatchのヤマレコアプリを立ち上げた状態で、
Watchボタンを押せば地図もルートも転送されます。

そして、スマホの画面に戻って「登山開始」をクリック。

これで連携が取れた状態でスタートできます。

両手がフリーになることは良いことで、
藪道での藪漕ぎや山道での転倒などでの怪我や、
スマホが壊れたであろう事例からも防ぐことができます。
言わば革命的な歩き方と言っても過言ではないでしょう。

この辺りの詳しいことは
ヤマレコブログに良い記事がありましたので紹介しておきます。

徹底比較 登山に使うスマートウォッチ!
https://www.yamareco.com/10th/?p=6699

実際に歩いて試してみて気になる点を少し。

・バッテリーの持ち
・他のアプリとの同時使用でアプリが落ちるか
・写真をメモとして残した時のアップロードの通信料


バッテリーの持ちに関しては
他のGPSアプリと似たような減り方のように感じました。
問題はAppleWatchですね。これは使い方次第です。
頻繁に見ないようにするならば特に問題はないでしょう。

万が一、充電がなくなった場合はスマホで見れば良く、
AppleWatchは歩く上での必須道具ではありません。
あれば便利という程度の認識で良いと思います。

2番目の他のアプリとの同時使用については、
これも他のGPSアプリと同様のことのように思いました。
落ちる時は落ちるし、落ちない時は落ちない。
Twitter程度なら問題なさそうですが重いアプリは要注意です。
ちなみにGPSログはアプリが落ちても続きから記録されます。

3番目の写真アップロードの通信料の問題。
歩いてる時に写真と同時にメモも残せるという機能は
ゴールしたと同時にサーバーにアップロードされるようです。
スマホの料金プランによってはマズイと思いますので、
写真は帰ってからアップロードする方法もアリかなと思います。

追記:写真のアップロードは終了と同時ではなくなったようです

さいごに

まだ本格的に歩く前でのレポになりましたが、
街道を歩いてる時に欲しいものといえば古地図や航空写真です。
それらをヤマレコアプリで見れれば最高なのですが
ヤマレコは名前のとおり山歩きをメインとしているので
それらが実装されるのは期待薄でしょう。

そこで、これらを見る時は別アプリも使用します。
そう、拙ブログで何度も出ている「スーパー地形」です。
こちらにもルートデータをインポートしておくことで
昔の情報や地形が丸わかりで非常に便利です。

先般のルートラボのサービス停止、
そしてfieldaccessアプリの更新停止で
ルート作成の本命は一体何かの模索が続いてましたが
ようやくヤマレコアプリという本命が出てくれたなと思います。

また気付いたことがあれば追記していきます。




posted by にゃおすけ at 15:55 | Comment(0) | 街道歩きテクニック | 更新情報をチェックする

2020年07月28日

上高地線である国道158号の改良2 〜松電バイト記憶から番外編〜

前回は安曇三ダムについてまでお話しました。

水殿ダムから奈川渡ダムにかけては
狭いトンネルが続き非常に走りにくい区間です。

抜本的な改良工事として進められているのは
「一般国道158号 奈川渡改良」というもので
この区間に新たにトンネルを掘って一気に抜ける計画です。

工事の概要について概要
https://www.ktr.mlit.go.jp/ktr_content/content/000711114.pdf



いずれ工事起点から先はバッサリと旧道化になるわけですが、
木々の隙間から見える奈川渡ダムの光景や眼下の景色が
見れなくなる可能性があると思うと寂しい気持ちではあります。

眼下といえば、この辺りはかなりの高さになります。
手前に鵬雲崎バス停には蕎麦屋があるのですが、
ここにある展望台からの景色はなかなかの絶景です。
ダムとダムとの中間に位置するのでダム湖は川幅ぐらいしかなく、
まるで山水画のようなダイナミックな光景が楽しめます。



大白川バス停付近のヘアピンカーブ。
新しいトンネルの坑口が見えていますね。

この先にある新入山トンネルを抜ければ奈川渡ダムです。



「アーチ形のダムとしましては日本で2番目の大きさを誇り〜」
「左手に見えます梓湖は諏訪湖の2倍の貯水量〜」

たしか当時はこんな案内をしていたと思います。
ストリートビューを見ての通りダムの真上を走ります。

「渡」という名前は、この地方の独特の言い回しで
「奈川渡」は「ながわど」というように「ど」と読みます。
川と川の合流する場所という意味になります。

上高地への輸送拠点に「沢渡(さわんど)」地区がありますが、
お客の中には結構な確率で「さわたり」と言うことが多く、
誤乗は少なかったように思いますが大変紛らわしかっためか、
現在はバス停名が平仮名になっています。

【追記】
現在の奈川渡ダムはアーチ形では日本で3番目になっています。
また、貯水量は土砂の堆積で諏訪湖の2倍あるかは微妙なところです。



水底の記録写真という動画があがっていました。
当時の風景や話など貴重で大変興味深いものです。

ダムが出来る前の国道158号線は地図で見ると
現在とは逆の梓川右岸を通っていたことがわかります。
これは江戸時代にトバタ崩れがあった影響で、
右岸を通らねばならない事情がありました。

梓川上流・トバタ崩れ(1757)に伴う天然ダムの形成と決壊対策
https://www.sff.or.jp/content/uploads/H19Gakkai12.pdf

とても左岸は通れる状態でないことがわかりますね。
対して右岸もガンクラという難所で安全ではなかったようです。

前回、揚水式発電についてお話をしましたが、
三ダムのうち一番上流に位置する梓湖は、
夕方になると水量がかなり減ることになりますが、
水不足の年だと沈んだ道路が見える場所がありました。

当然、痕跡はボロボロです。
しかし、これは生活があったという証拠であり、
昔の様子を少し垣間見れるもので嬉しいものでした。



沢渡が近くなってくると梓湖は狭くなり、
やがてダム工事前から存在していた旧道が合流してきます。

上のストリートビューは沢渡の手前の大崩落ですが、
ここから中の湯にかけては、こういう崩落が何か所もあり、
かつての旧道は幅が狭く大変危険なものでした。

そこで、橋やトンネルで一気に抜ける抜本的な対策が取られました。

先ほどまでの区間とは打って変わっての快走路が続きます。
沢渡から上高地までは約30分の道のりです。
抜本的な対策がなければこうもいかなかったはずで、
上高地の観光需要を支える肝はココと言えるほどです。

上高地ではマイカー規制を早くから実施してましたが、
長野県側では沢渡地区の駐車場に置くことが基本になっています。

沢渡には広い土地があったから拠点になったようですが、
温泉は引かれ、大駐車場がいくつもあり、新道まで出来て、
私がいた当時と比べると3倍以上のキャパになってるように見え、
沢渡地区の発展には目を見張るものがあります。

おわりに。
上高地線である国道158号区間について書いてきましたが、
バイトをするまでは「上高地」という名前は知っていたものの、
非常に遠い場所で行きづらい場所という印象をもっていました。

それが実際に行ってみると国道はきちんと整備されており、
意外と近くて行きやすいんだと驚いた次第です。
もちろん、これは今までの改良の歴史があったからこそ。
昔の人は本当に苦労して上高地に行っていたのだと思います。

これまで道の改良に就かれた先人に感謝するとともに
今後の発展にも楽しみにしたいと思います。



posted by にゃおすけ at 14:22 | Comment(0) | 懐かしい記憶 | 更新情報をチェックする

2020年07月21日

上高地線である国道158号の改良1 〜松電バイト記憶から番外編〜

今回は番外編として国道158号の変化について書いてみます。

新島々と上高地を結ぶ路線は本線と呼ばれていましたが、
以前は1時間15分だったのが今は1時間5分に短縮されています。
これは釜トンネルの改良が大いに影響しているものですが、
途中の区間での地道な改良も効果があったものと思われます。

では、新島々から上高地に向けて出発してみましょう。



山小屋風の素敵な駅舎になっていますね。
よく見るとお客の導線が変化しているようです。
昔はお土産物屋がある通路を経由する不便な構造でしたが
スムーズに乗り換えれるようになったことは良いことです。

ちなみに、駅前の一等地(?)に松電の寮がありました。
プレハブ2階建てのタコ部屋で薄汚いものでしたが、
どうも2015年頃までには取り壊されたようですね。
道路改良が進んだことで繁忙期の車掌需要が減少してきたので
時間の問題と思ってましたが無くなるのは寂しいものです。



国道158号は安房トンネルが出来てからは
高山、富山への通行量が飛躍的に増えたように思います。
当然それを見込んで開業前から道の改良が進められていました。

長野県側の国道158号は野麦街道を軸にしたものです。
全般的に梓川に沿った道筋でカーブやトンネルが多く、
途中の集落である徒歩での上高地登山口になっている島々や、
交通の要衝であり物資輸送の中継地であった稲核宿では、
集落内を通ることから線形は良いとは言えないものでした。



例えば、島々バス停付近。
バイパスが出来て通行量が少なくなりましたが、
急カーブが存在し通過するために減速しなければなりません。
この為、時にはカーブを先頭にした渋滞がおこります。

一方、稲核宿の急カーブは元は桝形の一部であり今も残ります。
カーブは昔と比べると内外に大きく拡張された形跡があり、
山と崖に挟まれた狭い場所にも関わらず苦労の跡が見られます。



さて、江戸時代までの野麦街道の道筋ですが、
現在の位置とは違い、梓川右岸の山中を通っていました。

山の中を進むことは街道を敷く上で一般的なことでして、
川沿いは建設が困難であり洪水で危険が多いことがその理由です。
明治になって技術が発達したことや自動車を通す必要性から
川に沿った道が開削され現在と同じ梓川左岸に移ります。

島々宿の少し上流に橋場集落がありますが、
ここにある雑炊橋は初めて架かったのは平安時代に遡ります。
両詰が天然の岩盤だったことから構造は刎橋となっていて
松本藩において通年の使用が可能な数少ない橋だったそうです。

車掌をやっていた当時は、そんなことはつゆ知らず。
今だったら街道のことを熱弁していたんでしょうが・・・

案内放送では両岸の男女が好き合う仲になったけれども、
橋が架かってないので頻繁に行き来して会うことが出来ず、
それならと雑炊で節約し、そのお金で架けたという話をしてました。
まあ、よくある恋愛話です(この方がお客にとっては面白かったのかも)

現在、稲核までの左岸には洞門は多いもののトンネルは1本のみ存在します。
それが三本松トンネルで橋場付近の大崩落を受けて急遽作られました。



雑炊橋の右奥に崩落した洞門が見えます。
トンネルが出来るまでの3年間は河原に仮設道路を敷き、
大量の観光輸送を乗り切ったというから大したものです。

峠は峠で怖いですが
川沿いはこういうことがあるから怖いですね。

さて、長野県の国道158号で欠かせない話が
安曇三ダム(稲核、水殿、奈川渡)のことでしょう。
車窓に大きなダムと湖が広がり我々を楽しませてくれます。



これらダムの役割は揚水式といって
昼間の電力需要が大きい時は普通に発電をして、
逆に夜間は電力需要が低いので余った電力を使って、
一番下の湖に貯まった水を上の湖に引き上げる作業をします。

このことは車窓からも一目瞭然です。
朝は一番下の湖には水がそれほど貯まっていません。
ところが帰りには満タンになってる。といった具合です。

揚水式の発電は、水を再利用できる発電方法で、
雨量が少ない時でも安定的に発電が出来るのが利点の一つです。



これら三ダムを造る際に国道158号は改良工事を受けます。
必要な資材を大量に輸送するには道が脆弱だったからです。
湖底に沈む区間は高台への移転を強いられました。

この改良のおかげで片側1車線の立派な道へと変貌し、
トンネルでルートが短絡され所要時間も短くなりました。

ただ、トンネルは現代の寸法からみると狭いものです。
一部のトンネルでは付替えたルート上で崩落があったため、
崩落を迂回する形で急遽作られた影響もあったようです。

いずれにせよ、近年の交通量の増加を考えると十分とはいえず、
歩道もない狭いトンネル内での大型車の行き違いにおいては
徐行を強いられることがあり渋滞の原因になっています。
そこで、抜本的な改良が求められるようになりました。

梓川(あずさがわ)の揚水発電用ダムの建設
http://ktymtskz.my.coocan.jp/K/dam0.htm

このページは見ごたえがありますね。
以前は、奈川渡ダムに東京電力のPR館があって、
ダム内部の見学が出来たり大変勉強になったんですが、
福島原発の影響で残念ながら閉館になってしまいました。

その2に続きます。


  


posted by にゃおすけ at 15:01 | Comment(0) | 懐かしい記憶 | 更新情報をチェックする