2020年07月06日

昔の釜トンネル 〜松電バイト記憶からその2〜

上高地に車で入る場合、必ず通るのが釜トンネルです。

梓川が激流になるほどの狭隘な場所に位置し、
かつてはバス1台がやっと通れる大きさしかなく、
信号で交互通行をせざるえない名物トンネルでした。

現在は改良によりスムーズに通行が出来ますが
バイト当時は赤信号では最長13分10秒待つ必要があり、
一方で青信号の時間は2分ぐらいだったと思います。



この赤信号の時間からもわかるように
トンネル内はスピードを出せず、時間がかかりました。
急こう配な上にハンドルを豪快に切る急カーブもあり、
ベテランの松電運転士でも気を遣う場所でした。

一般的に交互通行というものは
どちらも赤信号になる時間が存在します。
途中でかち合わないようにする為の処置ですが、
釜トンネルの場合は少し事情が違いました。

繁忙期ともなると膨大な交通需要となります。
バスやタクシーは回転数を上げないと捌ききれないので
回送時(上高地方面)は皆さん急いでいた様子でした。
なんと言っても稼ぎ時ですからね。

そういうことから、トンネルの信号が青から赤になっても
車列が続いていれば赤でも入っていくことが多かった気がします。
まー、これは上高地側の信号待ちの車からすると

「青になったのに、いつまで待たせるんじゃい!」

と、上がってくる車列がなくなるまで待ちぼうけになります。

もちろん、こういう違反まがいのことをせずとも、
ノロノロ走る車がいたら同じような状況になっていたので
旧釜トンネルの末期は、かなり逼迫したものでした。



釜トンネルの手前の区間ですが
安房峠トンネル開業に合わせ道幅を広げられました。
このロックシェッドは、その一例ですが
見事な継ぎ足し感は萌え要素があるものです。

このように改良した区間は沢渡地区まで続きます。

車掌は何もない時は外を眺めていることが多いのですが、
川沿いにあるボロボロになった旧道は自然と目に入り、
いつもこの道はなんだろう?と不思議に思ってました。

今思うと旧道好きの原点はこれだったのかもしれません。



川の対岸には小ぢんまりした露天風呂がありました。
ストリートビューで痕跡を確認できると思います。
道路から丸見えなのに囲いは殆んどないという代物で、
時おり入ってる人が手を振ってくれたことがありました。

そういう時はマイクでアナウンスするわけです。
「左手に露天風呂がありますから手を振ってみてください〜」
当然、車内は盛り上がりました。

それはそうと、この辺りから釜トンネルまでの区間では
車内放送で釜トンネルの説明と帰りのバスの説明をしていました。
当時のバスには冷房がなく、窓は開けっぱなしだったので
放送中に運よく青信号で入れた時は大変でしたね。

トンネルの内部は手彫りや鉄板で巻かれた場所があり
爆裂な騒音が車内に響き渡り、放送はかき消されまくり。
そういう意味では赤信号のほうが良い時もありました。



そういえば、釜トンネル内での事故として
急カーブでの立ち往生事件がありました。

上高地での作業があり業者が入ろうとしたのですが
長尺のトラックはどうあがいても引っかかって前に進めず、
後退しようにも後ろには既に車が繋がっている状況でした。

こうなると車掌の出番です。
状況を打開しようと走って誘導したのですが、
古いトンネルなので排気装置はほとんどありません。

トンネル内の排ガスの充満は酷いもので、
時折、壁面にある小窓で新鮮な空気を吸っていたものの
よく誰も倒れなかったなと思います。


posted by にゃおすけ at 11:48 | Comment(2) | 懐かしい記憶 | 更新情報をチェックする

2020年07月01日

過酷な安房峠 〜松電バイト記憶からその1〜

学生時代は松本電鉄バスでバイトをしていたのですが、
山岳路線を多く抱えていたため安全対策から車掌が必須でした。
車内放送は元より切符の集改札、バスの誘導が主な仕事で
イメージ的にはバスガイドですが実際は大きく違っていました。



まず第一弾として安房峠を紹介します。
長野県と岐阜県の県境にある標高は1,790 mの峠です。

乗務当時はデジカメという記録媒体がなかったので
ストリートビューでの紹介となってしまうことをご容赦下さい。

2012年までは峠の茶屋の建物は残っていたんですね。

安房峠トンネルが1997年に開業したことで峠は一変しますが、
それまでは過酷な道を越えてきての唯一の安らぎといえる場所で
数多くの車やバスが小屋の前に止まっていたのを思い出します。

峠付近から松本側に少し下れば穂高連峰がよく見えました。



さて、安房峠区間でのバス乗務ですが、
上高地と平湯温泉、乗鞍山頂を結ぶ路線がありました。

ストリートビューを見てもらうとわかるように
峠区間はバスの離合が困難な道幅の場所ばかりで、
行楽期になるとバスや車が何台も連なる大渋滞になりました。

それもそのはず安房峠は単なる県境の峠ではなく、
首都圏と富山方面を結ぶ近道という役割もあったんですよね。
観光に関係ない車も多く地域の大動脈だったわけです。

大渋滞になると本来は約1時間の乗務行程のところ、
3倍から5倍の時間がかかることがありました。
乗客には上高地で観光して平湯温泉に泊まる人が多かったですが、
15時のバスに乗れば普通なら16時すぎには宿に着くはずが、
まさかの渋滞で22時になるとは思ってもなかったと思います。

宿の関係者も食事の準備など大変な苦労があったと聞きます。



記憶では、この12号カーブ付近が一番酷かったですね。
車掌は前方を見て対向車を素早く見つける役目がありまして
自社のバス同士なら無線で前もって退避できるのですが、
慣れてないドライバーはどんどん突っ込んできます。

この付近は対向できる場所はかなり限られています。
安房峠はヘアピンカーブに注目されがちですが
本当に問題になっていた場所はこの付近だったのです。

ここで重要な役目を負うのが車掌でした。
渋滞が前方で起きていることを察知すると、
バスの扉を開けてもらい渋滞の先頭へ走っていきます。

いわゆる安房マラソンです。



渋滞の先頭では誘導を行います。
大抵のマイカーの方は不慣れですから
右往左往して止まったまま半ば諦め状態なことが多く、
車掌は対向できる場所を必死に探して誘導することで
渋滞の原因を取り除くことに努力していました。

こういうことがあったので渋滞の時は
車掌はバスにいないことが多かったのですが、
汗だくになってバスに疲弊した姿で戻ってきたのを見て
乗客から拍手やビールをもらったこともありました。
ちょっとした英雄扱い(?)で嬉しいものでした。



車掌の間で話題にしていたのが上の「おばけカーブ」です。
実際におばけが出るからというわけではありません。
単におばけの絵が描いた看板があったからです。
気を付けないと死ぬぞ的なことが書いてあったと思います。

安房峠の旧道はなかなか目印となるものがなく、
無線で現在地を知らせる時はあだ名をつけていました。

ヘアピンカーブだとそれぞれ番号があるのですが
例えばこのカーブだと「おばけ通過」と言ってました。
他に「焼岳が見える場所」という目印もありました。

松電バイトの話はまだまだ尽きませんが
とりあえず今回はここまでとします。




  
posted by にゃおすけ at 10:46 | Comment(2) | 懐かしい記憶 | 更新情報をチェックする