2021年03月29日

古い参詣道の辻子谷越え(生駒山)その1

大阪の東部に位置する生駒山地には
登山道が縦横無尽に走っています。

その中の辻子谷越えは古くから往来があり、
石切神社、興法寺、宝山寺といった名所もあることで
現代においても人気のハイキングコースです。

今回は奈良県側の廃道になっている区間も含めて
歴史を交えながら紹介しようと思います。

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↑詳しいルートと記録は【山行記録のページへ】もご覧ください。

京都と高野山を結ぶ大阪東部の大動脈である
東高野街道との追分よりスタートします。

辻子谷(ずしだに)は生駒山から西へ流れる音川の谷で、
かつては大量の水車が並ぶ凄い光景がありました。

これら水車で作られたものは薬種問屋や製粉業者に卸され、
大坂の商業発展に大変な役割があったといいますが
大軌が開業し電力事情が良くなると水車は減少の一途を辿ります。

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石切神社の参道を進みます。
「石切さん」として親しまれています。
この日も熱心にお百度参りされてる方がいました。

辻子谷越えの大坂側のルートですが、
近鉄電車と交わる付近までは2つの道筋がありました。
もう一方の道は石切神社の北方を抜けるルートを取ります。
東高野街道を越えた先に流れる恩智川に繋がることから、
大坂からは舟を介しての利用も多かったようです。

それら人々の一番の目的は生駒の宝山寺でした。
辻子谷越えと平行する暗峠経由でも行くことが可能でしたが、
最短距離で行ける上に石切神社や興法寺の名所の存在は大きく、
峠のピークが暗峠より100m高いにも関わらず人気でした。

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ちょうど近鉄電車と交差する辺りが
新生駒トンネル開通まで存在していた旧石切駅です。
今も線路に平行して階段の跡が残っています。

旧駅で降りた多くの人々の目に入ったのは
この巨大な丁石ではなかったでしょうか。

左 千手寺西一丁
右 興法寺東十丁


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面白いのは石切神社の表示がない点で
石切といえば石切神社という代名詞があるので
彫る必要はなかったというところなのでしょうね。

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恩智川ルートとの追分には大きな石仏があります。
爪切地蔵と呼ばれ室町時代の作品とのこと。

一説には弘法大師が一夜のうちに爪で刻んだのだとか。
あれ?時代が合わない??

まあ、説なのでこういうことはよくあることです。
ここから先は音川に沿って進んでいきます。

生駒山にある峠道の全般に言えることですが、
大阪側は等高線が狭く奈良側よりも急なのが特長です。
辻子谷越えも例外ではなくこの辺りからキツくなります。

もし、楽に辻子谷越えを楽しみたいよって人は、
奈良側から登るとゆったりいけるかもしれません。

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道中には一定の間隔で丁石や石仏が置かれています。

上の丁石は文政年間のもので
興法寺十八丁、宝山寺二十六丁と刻まれています。

一方、石仏は下の写真のように二体一組で置かれ
興法寺に至るまで数多く目にすることができます。
石仏のどれもが表情豊かに彫られているのが特長で
急坂において癒しというべき存在でしょう。

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随分と上ってきました。
振り返ると大阪平野を一望できますが
眺望が良いのは残念ながらここまで。

峠の手前までは草木に覆われ眺めることが出来ません。

下の水車は復元されたもの。
ゆうに直径が5mはあるでしょうか。
これがぎっしりとあったと思うと実に壮観ですよね。

ちなみに現在も水車の流れを汲む会社が点在していますが、
昭和50年頃を境に機械化になってしまったそうです。

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珍しい指差し道標がありました。
鷲尾山とは興法寺のこと。

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ここから先は関係者以外の車は進入禁止。
こういう感じの舗装は暗峠の道にもありましたね。
それだけ同じような急坂があるといえます。

とはいえ、こちらは歩行者専用なので、
車を気にせず歩けるのは気楽でいいですし、
ハイカーに人気の理由の一つなのでしょう。

今回はここまで。

【出典】
生駒の古道 生駒民俗会著
大阪の街道と道標 武藤 善一郎著 など



    
posted by にゃおすけ at 14:37 | Comment(0) | 大阪近辺の街道 | 更新情報をチェックする

2021年03月22日

卓球サークルを20年主催をして続けるコツなど

ブログでは余り触れてなかったですが、
卓球サークルを始めて20年もの月日が流れました。

個人が作るサークルは続いても10年程度が多いといいます。
続かない理由としては10年ひと昔という言葉があるように、
趣味自体が変わってしまう人、結婚する人、転職する人など、
活動に参加できる環境が大きく変わってしまうことにあります。

また、大人数になるほどメンバーの考え方が様々になり、
サークルの方向性が設立時と大きく変わってしまったりと、
内部分裂や崩壊を引き起こしてしまうこともあります。

そこで、今回はいかにサークルを続けることができるかがテーマです。

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まず、結論から申し上げますと、
設立時の方向性は大きく変えないことが一番でしょう。

メンバー同士で意見を出し合いながらの成長は大事ですが、
根本的な部分を変えてしまうと混乱が起きてしまう元で、
収拾には並々ならぬ努力が必要となってきます。

これはあくまで個人サークルの考え方で、
大きな組織力のあるサークルならば話は別です。

そして、最も大事なのは主催者も楽しめてないといけない。

個人サークルの運営は仕事ではなく趣味の延長です。
楽しいからやってるというのが重要なポイントだと思います。

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ここで、どんなサークルなのか説明しておきましょう。
私自身、元々は卓球に興味があり家に卓球台があるほどでした。
それなので中学校の部活は卓球部へ当然のごとく進むのですが、
2週間でスピード退部。理由は素振りだけやらされたからです。

これは多くの卓球部経験者から御叱りを受けそうですが、
素振りは基礎だから一番大事なのはよくわかります。
でも、自分が求めるものと違ったので清く撤退したわけです。

時は流れ、社会人になって夜な夜な卓球で遊ぶことが増えていきました。
仲間でやる卓球は楽しいものでこれをきっかけに再び火が付きます。

「こんなに面白いなら新しい人を集めてみない?」

そこで「ご近所さんを探せ」という掲示板を利用することにしたのです。

まずサークルを作るには方向性を考えないといけません。
卓球部を2週間で退部した経験から「楽しさ第一」を基本にしました。
試合は2の次です。試合だけを目標にするとギスギスすることがあるので
これだけは続ける上で頭に入れておく必要があると考えました。

一番最初の開催はゲームセンターに併設した卓球場でした。

結局、5人ほどが集まったわけですが
あえてこの場所を選んだのは「楽しさ第一」だったからで、
服装は普段の服、ラケットはレンタルで気楽なものにしました。

もし、最初の開催を本格的な卓球場でしていたとしたら、
そして、主催者がユニフォームを着て登場していたとしたら
ガチな卓球サークルと思われ今とは違うものになっていたことでしょう。

サークルの方向性を定めるのは一番最初が肝心だと思います。

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そんなことで、卓球以外にも飲み会や旅行などもやったりと、
サークルの規模はピーク時で60人程度まで膨れ上がりました。
毎回参加してくれる人はそのうち3割程度の20人ぐらいでしたが、
男女比は7:3でネット黎明期にしては女性の割合は多いほうでした。

これだけの人数となると、まとめるのが大変です。
卓球台の確保や飲み会のセッティングなんかはまだ楽なほうです。

ある日のことガチで試合に参加していきたいという話がありました。

試合は試合で楽しく、それに向けての練習も楽しいものですが、
試合目的の活動になればサークルが変わってしまう恐れがあり悩みました。
結局、やりたい人はチームを組んでやっていくことになったのですが、
活動自体は今までと同じノリでやろうということで落ち着きました。

これによってガチでやっていきたい人の中には去る人が出てきました。
でも、これは存続する上で仕方ないと割り切らないといけない部分で
そうでないとサークルの趣旨に賛同して入った勢まで失いかねません。

ここで最初に考えたサークルの方向性が意味をもってきます。
何かの究極の選択を迫られた時、方向性に従うのが重要です。

と、いろいろ書いてきましたが、
結局は人が一番大事という考えになると思います。

卓球の台の確保にしても皆で助け合ったり、
飲み会では会計係などの分担も自然にしてくれたりと、
あらゆる面で人に恵まれていたなとつくづく思います。

これが、全部自分1人で段取りしていたとしたら
パンクしていただろうし楽しめなかったことでしょう。
そうなれば早々とサークルを畳んでいたかもしれません。

そんなこんなで楽しいサークルなわけですが、
私自身、結婚し子供が出来てから少し遠のいてしまっています。
子供が大きくなったので再び卓球をと思った矢先にコロナです。

「あー、いつになったら本格的に再開できるんじゃい!」

さいごに。サークルを作って良かったと思うことは、
メンバー同士での結婚が3組も生まれたことでしょう。
これだけでも作った甲斐があり実に感慨深いものがありました。


 


posted by にゃおすけ at 14:42 | Comment(0) | つぶやき | 更新情報をチェックする

2021年03月16日

和歌山に恋柱を求めて。鬼滅の聖地?

鬼滅に出てくる甘露寺蜜璃(かんろじみつり)ちゃん。
9人の柱の1人で”恋柱”と呼ばれ、めちゃ強いのです。

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和歌山の貴志に甘露寺というお寺があるのですが、
今、聖地巡礼で多くの人で賑わっています。

上の写真を見る限りは普通のお寺です。

ところが、境内に入ると張り紙があり、
静かにしてくださいと注意書きがあると思いきや

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「さあ、みんなでお参りしましょうか」
「悲鳴嶼行冥???」

鬼滅を見てない人は意味不明かもしれません。
悲鳴嶼さんも蜜璃ちゃんと同じ柱の1人で元僧侶。
ようするに悲鳴嶼さんが語り掛けているんですよね。

これはおそらくお寺の方が書いたのでしょうが、
我々を拒絶せず迎え入れてくれているのは嬉しいことです。

境内ではコスプレイヤーの方もいらっしゃいました。

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甘露寺のすぐ近くには平池緑地公園があります。

大きな池が真ん中にあり鴨が悠々と泳いでいます。
言わば市民の憩いの場でもある公園ですが、
入口に注目です。大きな柱が立っています。

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恋の柱。

甘露寺蜜璃ちゃんを意識したものと思いますが、
普通の人から見るとただの柱にしか見えないのがミソ。

鬼滅ブームが去ったとしても
何事もなく恋人の聖地として立ち続けるでしょう。
普通はブームが去れば廃れちゃいますもんね。

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この甘露寺は和歌山電鐵甘露寺前駅が最寄りです。
実は駅も見どころでピンク色に染まってるんです。

縁結び入場券やおみくじなどもあり、
ここぞとばかりブームに乗っかっているようです。

自転車置き場のプレートにもハートマークが。

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実は2年前にも当駅を利用していたのですが、
こんなにピンクだらけだったかは全く記憶にありません。

和歌山電鐵ではお得な切符が発売されています。

小学生以下の子供と大人1人で全線300円で乗り放題です。
この値段設定は75%引きになるそうでヤバいですよね。
期間は3/21までとのこと。普段は1人800円もします。

たま電車といった面白い電車が走っていますし、
貴志駅や伊太祁曽駅には猫の駅長がいることも有名です。

車で来る人も伊太祁曽駅でパークアンドライドすればスムーズで、
見どころ溢れる沿線を丸一日満喫できることでしょう。

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さいごに、お食事ですが、
大池遊園駅近くにある「St. ZEPHYR」はオススメです。

ランチは11時半からですがモーニングは10時ぐらいからあり、
大きな窓から池を眺められ舌鼓を打つ。至福なひとときです。

席の予約が出来るようなので
行く日が決まれば早めに予約しておきましょう。
桜のシーズンは特に多くの人で賑わうようです。

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posted by にゃおすけ at 15:57 | Comment(0) | 近畿ボラボラ_和歌山 | 更新情報をチェックする