ここからは廃道も存在します。
↑詳しいルートと記録は【山行記録のページへ】もご覧ください。
笠置街道は東海道のようなメジャーな道ではありません。
数少ない資料を使って歩くルートを考えるわけですが、
廃道が想定された区間となると綿密に計画を立てていても
不安とワクワクが交錯してドキドキが止まりません。
メジャーな街道ではなかなか味わえない感覚です。
上の写真の場所は峠越えの入口。
この先に果たして道があるのかないのか。それとも・・・。


古道キタコレ!!
こういう瞬間があるからたまりません。
道端には古い石仏が置かれていたりして、
その昔この道がメインであったことがわかります。
この古道を暫く行けば舗装された区間に入るのですが、
道幅は先ほどまでと全く変わっていないことを考えると、
補修してるか否かで随分と印象が変わるものです。


北村地区にあった廃車体。
街道では懐かしいものに出会う率が高いですが、
Twitterで聞いたところかなりのレア車両とのこと。
マツダのライトバスA型。
昭和40年代、先進的なデザインで人気でした。
車体には幼稚園の名前が書いてありましたが、
当時を知る園児は今や中年になっていることでしょう。


白看板はかつてメインだった道筋の証。
色褪せ具合が時代の流れを感じます。
再び県道に合流すると多くのダンプが行き交っていました。
この先は良い真砂土が取れる産地なのです。
大型車の姿に目をつぶれば長閑な光景が広がります。
桜が見られる時期は花々も美しく街道歩きの楽しい季節です。


腰痛地蔵尊。
石仏の周りには槌の子が奉納されているのですが
近隣だけでなく遠方の地名が書いたものも置かれています
これは腰痛の人は供えてある槌の子を持ち帰って、
痛むところを軽く叩いてお願いすれば治ると伝えられているもので
治れば新しい槌の子を奉納するというのが習わしだそうです。
まさに知る人ぞ知る。お地蔵様です。

鳴川地区には軽い山越えがあります。
先ほどの須川の古道と似た感じではあるのですが、
こちらのほうは藪が少し多めで歩きにくい感じでした。
日の当たる場所が多ければ藪が多いのも仕方がありません。

奈良は歴史の宝庫ということで、
街道を歩くだけでも歴史を十分感じることができます。
中の川バス停にあった立派な石仏を調べてみると、
永正14年とあるので室町時代に作られたもの。
なんとも年代がぶっ飛んでます。
こういうのが奈良の街道の面白さです。


赤の太線が旧道
中の川交差点では国道である新柳生街道と合流します。
古い地図と照らし合わせてみると、
旧道の位置が微妙にずれていることがわかります。
交通量増加による拡幅した影響と考えるのが妥当ですが、
不思議なことに中の川地区の多くの場所で違っています。
これはおそらく崩れやすい真砂土が関係してると思いますが、
崩れては直し、時には付替えたりの繰り返しだったのでしょう。

奈良盆地を遠望。
首なし地蔵と牛塚がある辺りで弥勒の道と合流します。
弥勒の道は今回たびたび出てきてますが、
ルート上には下のような案内プレートがあったりして、
今後人気になりそうな雰囲気をヒシヒシと感じます。
歴史探訪のハイキングにもってこいでしょうね。


浄水場に咲く綺麗な桜並木。
やがて、伊賀伊勢の道標で伊賀街道と合流します。
道標には伊勢まで27里と書いてあります。

この距離呈は加茂を経由する伊賀街道のものですが、
笠置街道も補完的な役割があったのは古地図を見れば明白で
歩く人々の目的によって使い分けていたと思われます。
伊賀街道その4・加茂→奈良公園と加茂の舟運
https://borabora.seesaa.net/article/401299074.html
伊賀街道については上を参照して頂きまして、
奈良阪にて笠置街道歩きを終えることにしました。