水間街道は全区間に渡って程よく旧道が残っていて、
距離も手頃なのでミニハイクにもってこいです。
↑詳しいルートと記録は【山行記録のページへ】もご覧ください。

ここは国道26号と交差する場所「鳥羽」
この先は水間寺に関連する地名が続いていきます。
地名のどれもが難読に近い名前になっているので
それだけでも歴史を感じることができるでしょう。
水間寺は行基が創建したものですが、
その当時の天皇は有名な聖武天皇でした。
ある日、天皇の夢に現れたという観音菩薩を求めて
行基が白鳥(しろとり)に導かれ歩みを進めていきます。
ところが当地で白鳥を見失ってしまったのです。
その後、彷徨っていたところ現在の「清児」付近で
観音菩薩の化身(16人の童子)と遭遇します。
そして、その童子の案内で現在の「水間」の地へ進み、
そこで竜神から聖観音像を授けられたという話です。
いやぁ、こういう話があったとは。
やはり歴史を調べてみて初めて知ることは多いですね。

さて、今回の水間街道では藪漕ぎもありました。
一見すると普通の農業用のあぜ道といった類ですが、
実は古地図を見ればれっきとした街道そのもの。
所々で、お地蔵さんが祀られていました。
中には地名が刻まれた道標型地蔵の類があるので
気になる方は前掛けをめくってみても良いでしょう。


この先で熊野街道と合流します。
泉州では小栗街道と呼ばれるのが一般的です。
また並行する府道は13号線と呼ばれています。
ただ、それは正式名称でないんですよね。
「大阪府道30号大阪和泉泉南線」
と、立派な名前がついてるのですが、
地元の古老に聞いてもよくわからないとのこと。
一説には道幅の「十三間」からきているらしいですが、
まぁ、泉州の大いなる謎の一つかもしれませんね。

清児(せちご)の集落入り口。
良い雰囲気です。
旅人にとっては嬉しい町並みではあるのですが
道路の狭さ一つ見ても生活している人にとっては
いろんな不便があることを想像できます。

この先で水間街道と並行する水間鉄道と交差します。
昔はキロあたりの運賃が1番高かった記憶がするのですが
今はどうなのでしょう?車両も随分と変わりましたし。


名越の集落。
各集落の出入口には祠があることが多いので注目です。
森神社は水間寺とセットで参る人が多かった神社で、
拝殿の奥の本殿は江戸時代中頃のものになります。
元々は東方の山頂に建つ神社だったそうです。


水間街道の文字。
こういうのいいですよね。
鉄道は水間観音の手前で終わっているので
駅からは今も現役の街道と言ってもいいでしょう。
水間厄除け街道マップなるものもありました。


水間寺が見えてきました。橋を渡ればゴールです。
本堂は文化8年再建。三重塔は天保5年再建。
三重塔は明治以前に建てられた大阪府内唯一のものです。
水間街道は広義の意味では奥水間方面も指すのですが、
これはまたの機会にしておきたいと思います。


帰りは水間鉄道を利用しました。
水間観音駅は何かを模した駅舎としては
古い部類だったはずで登録有形文化財になっています。
なお、今回の記事での解説およびルートは、
大阪の街道と道標 武藤 善一郎著を主たるものとして
現地の案内看板、古地図を参考にしています。