2021年06月25日

長崎街道その8・佐賀城下→久保田宿

佐賀城下の長崎街道の道筋は複雑です。
これは他の城下町と同じく防衛上からのものですが、
とりわけ佐賀は様々な工夫が見られます。

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↑詳しいルートと記録は【山行記録のページへ】もご覧ください。

東溝口は佐賀城下の東の入口にあたります。
番所が設置され街道を往来する人々が必ず通る場所でした。

ところが、番所を避けて脇道で抜ける人が絶えません。
これでは防衛の意味をなさないことになるので
次第に市中各所に木戸や番所が増えていきました。

特に長崎街道は長崎から来ていることから
キリシタンへの警戒も必要だったのでしょう。

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かつての城下には指差し道標があちこちにありました。
これはレプリカですが現存のものもあります。

このような道標があったおかげで
昔の人も迷わず歩くことが出来たものと思います。
現代においても旧街道にはカラー舗装が施されていて、
地図を見ずとも長崎街道を楽しめるのは良いですね。

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思案橋からの眺め。
昔は川舟が行き来していた場所ですが、
上流の芦町は歓楽街、下流の今宿には遊郭があったので
「行くか戻ろうか」と思案する場所だったのが橋の由来です。

材木町の町並みを抜けると柳町です。

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佐賀城下の町並みといえばココ!というべき場所で、
城下最古の町家建築の牛島家など無料で見学が可能です。

無料というのは旅人にとって有難いもので、
興味がなくても覗いてみようかという気になります。
本丸御殿でさえ無料で公開しているのには驚きました。

佐賀県は歴史分野に関して力を入れてる気がします。
長崎街道を歩いていても案内看板をあちこちで見かけます。

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旧古賀銀行。
もちろんこの中にも入ることが出来ます。
資料館になっていて喫茶店にもなっています。

ちなみに地名の佐嘉が佐賀になったのは明治初めのこと。
それまでは佐嘉が一般的だったそうです。

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旧道はショッピングセンターの中へ。
ビルの敷地になってしまい消失したと思いきや、
出入口には立派な案内看板があり通ることができます。

そういえば中山道の熊谷にもありましたね。
重装備でこの中を歩くのは場違い感が凄いですが。

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龍造寺八幡宮での道筋は少々複雑です。
多くの街道ウォーカーが悩む場所だと思います。

建久年間(1190年〜1199年)に鶴岡八幡宮から勧請され、
慶長9年(1604年)に佐賀城内から現在地に遷座されています。
建物自体は境内を北に拡張した明治34年頃と思われます。

この「北に拡張した」という言葉。重要です。

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街道は古地図を見ると本殿の後ろを通っているのがわかります。
現在においても本殿の後ろに道が通っています。

拡張時に本殿なども一式移動していることから、
元々あった道も移動していると考えるのが自然なので、
現在の本殿の後ろにある道は移設したものと考えられます。

では、元々の街道の位置はというと、
鳥居と拝殿のちょうど中間を通っていたと思われます。
ようするに完全に境内に取り込まれているのです。

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佐賀城下ではあちこちで恵比寿様の像を見かけます。
上の写真は江戸中期の寛政年間に作られたもので、
最も古い部類になります。

佐賀市内においての恵比寿像の分布ですが、
商家や旅籠の近くが多く特に街道沿いに目立っています。
これは商売繁盛の神様だけに納得の分布です。

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善左衛門橋。

元々、土橋が架かっていたところ老朽化したので
私費で架け替えたもので完成は1764年とあります。
その後、明治になって補強が行われています。

下を覗いてみると橋脚は昔のままのようです。
佐賀城下は水路が多く古い橋も多い印象があります。

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八戸地区。のこぎり型の町並みとして有名です。
家の敷地をのこぎり状にすることで敵が来襲した際は、
窪みに隠れて奇襲することができるというものです。

これは佐賀城下の東側では見かけなかったので、
長崎側からの襲撃を意識したものかもしれませんね。

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佐賀城下の西の端に当たる場所が高橋です。

江戸時代までは川には多くの舟が行き交っていて
橋の周辺は荷物の集積場としての役割がありました。

高橋の地名の由来は”高い”橋からで、
舟の帆が当たるのを避けるための対策が施されてました。

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嘉瀬集落にあった「別れの松」。

俗に言う”刑場”というものは
町の中には設けず郊外にあることが多かったわけですが、
佐賀城下も例外ではなく現在の森林公園にありました。

刑場へ向かう罪人との最後の場所がこの場所で、
水を酌み交わすこと許されていたそうです。

ここから刑場へは1kmほどの距離。
どのような気持ちで刑場へ向かったのでしょう。

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やがて嘉瀬川を渡れば今回の目的地の久保田宿。
次回は武雄温泉へと向かう道中になります。




  
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2021年06月18日

長崎街道その7・吉野ヶ里→佐賀城下

2年ぶりの長崎街道歩き。
このところ地元の街道ばかり歩いていたので、
当然のことながらテンションがあがります。

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↑詳しいルートと記録は【山行記録のページへ】もご覧ください。

遠方の街道歩きの良い点は
日頃と違う空間を楽しめることでしょう。
歩くことで土地の人の生活ぶりを感じられたりして、
住んでいる地域と比較できるのは楽しいものです。

もちろん自動車や自転車でも感じることはできますが、
街道歩きはスピードが遅いのでより濃厚といえます。

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田手は間の宿として栄えていました。

一見すると古い家があるので昔の風情を感じますが、
明治維新後の佐賀の乱で大きな被害を受けています。

しかも、最大の激戦地と言われた場所なので、
おそらく古い家は乱後のものかもしれません。

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GW時期の佐賀は麦畑が広がっています。

街道は畑を縫うように進むわけですが、
古地図を見れば昔も似た感じだったことがわかります。

中には土地区画整理で失われた場所もありますが、
昔の人と同じような感覚で歩けるのは嬉しいものです。

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ちなみに麦畑は6月には稲作に変わります。
いわゆる二毛作で10月になると稲刈りをして野焼きを経て、
11月下旬には再び麦を植えるというものです。

佐賀県は田植えが47都道府県の中で最も遅いそうで、
農地の空く時期に有名なバルーンフェスタが行われています。

下の写真は「ひのはしら一里塚」。
長崎街道で唯一現存するとされているものです。
名前は神崎宿にある櫛田宮の朱塗りの鳥居からきていて
かつてはここに立っていたといいます。

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頂上にはイボがとれる地蔵様が祀られています。
一里塚から程なく進めば神崎宿です。

神崎の名の起こりは実は櫛田宮からきています。
不幸が続き住人が苦しんでいたところ当社を建てたところ、
あら不思議!災厄がなくなったのだとか。

そこで「神幸(かむさき)」と言われるようになり、
やがて「神崎」となっていったようです。

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雰囲気のある神社前。
明治以降においても賑わいがあったので
重厚なレトロ建築を見かけることができます。

宿場内の中心部には馬場川が流れていて
有明海への物資を積んだ船の往来がありました。
ようするに地域の物流の拠点でもあったのです。

古絵図には川沿いの道も太く赤く塗られています。
おそらく物資輸送はこちらを経由したのかもしれません。

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上の写真は西木戸があった場所です。
神崎宿は重要な位置づけとなっていたことから
出入口は木組み格子の頑丈な扉が設置されていました。

それは、吉田松陰曰く
「並々ならぬ構えぶりであった」と記しているほどです。

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城原川沿いを下って行くと、
姉本集落をはじめ環濠集落が点々とあります。

その周囲には弥生時代の集落跡も確認されていて、
佐賀県では吉野ヶ里遺跡が全国的に有名ではあるのですが
実はこの辺りも歴史深い場所だったりするのです。

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地蔵橋にあった六地蔵様。
円柱状になったタイプは珍しいものだと思います。
佐賀の乱の戦死者を祀るため地元民が建立したそうです。

やがて境原宿へ入ります。

かつては蝋の問屋が多く白壁の土蔵が並んでいましたが
ここも先の宿場と同様に佐賀の乱で被害がありました。

現在は古い家は見渡してもない状態ですが、
宿場内には桝形の痕跡や旧道の一部が残っていて、
わずかながらに宿場だったことを感じることができます。

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この辺りから増えてくるのは恵比寿像です。
初代藩主の鍋島勝茂公が西宮神社に崇敬があったことで
佐賀城下を中心にあちこちで見ることができます。

若宮神社では立派な肥前鳥居が構えられていました。

神社と街道の間には水路が通っていますが、
鏡原宿でも水運が盛んで多くの舟が出入りしていたそうです。

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郡境石。「従是西佐嘉郡、東神埼郡」

まもなく佐賀城下です。

今回はここまで。
この日は久保田宿まで歩きました。




posted by にゃおすけ at 10:37 | Comment(0) | 長崎街道 | 更新情報をチェックする

2021年06月11日

歩こう。佐賀県。歩くライフスタイルとは

佐賀県ではこのようなプロジェクトがあって、
歩きが楽しくなる町づくりをしてるそうです。

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簡単に言うと自家用車を利用しない移動は、
これまで気付かなかったものが見えてくるよという話。

街道ウォーカーの方なら実感してると思いますが、
歩くことによってスピードが遅くなることから
車では見落としがちなものに気付くことができたり、
その土地の空気を直に感じることによって、
より魅力を知ることができるのです。

欠点としては時間がかかることですが、
時間をかけた分だけ得るものはあると思います。

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先日、長崎街道を歩いてきました。
佐賀県内ではすれ違う同業者が多かったです。

これは東海道といった一線級の街道であれば、
1日に何度かあるのですが地方街道だと多くはありません。
案外「歩こう。」が浸透してるのかもしれませんね。

さて、佐賀市のお隣に小京都である小城という町があります。

中心部に歴史資料館的なものがありますが、
小城の魅力は町全体が資料館の役割があることでしょう。

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○○の跡、○○の旧家といった場所には、
必ずと言っていいほど説明板が置かれてあります。

やはり百聞は一見に如かずということで、
現地で直接、目に入るものは訴求力がありますね。

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小城の名物といえば「小城羊羹」です。

町のいたる場所に羊羹を売る店があるのですが、
中には試食ついでにお茶まで頂ける店まであります。

実に懐かしい味です。

砂糖をふんだんに使ってるといいますか、
今回、初めて食べるものと思っていたのですが、
おそらく、誰かの土産で頂いていたのでしょう。
以前に食べた記憶が蘇ってきました。

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さて、小京都と呼ばれる小城ですが、
古い町並みは殆んど残ってない気がします。

もしかすると見落としがあるかもしれませんが、
駅前から伸びるメインストリートは立派なものなれど、
区画整理がなされており残念ながら情緒がありません。

ただ、少し脇道に逸れてみると、
区画整理から免れた古い家々に出会うことができました。

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小城駅舎は明治時代の築です。
駅構内は広く、長いホームにSL時代の面影が残ります。

これだけでも小城に来る価値があるものですが、
4月の中頃に火事があり一部燃えてしまっています。
全焼してないのは不幸中の幸いですが痛々しい限りです。




posted by にゃおすけ at 11:44 | Comment(0) | 九州ボラボラ | 更新情報をチェックする