2021年11月24日

パパとムスメの東海道五十三次・JR山科駅→草津宿

●2日目 JR山科駅→大津宿→JR石山駅

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↑詳しいルートと記録は【山行記録のページへ】もご覧ください。

少し肌寒い、晴れの日になりました。

さっそく現れた飛び出し坊やに娘はおおはしゃぎ。
まるで一緒に手を繋いでるかのような写真が撮れました。

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逢坂峠へと続く長く緩い上り坂。
これまで山登り自体してなかったので不安でしたが
娘は坂がまるで平坦であるかのように
手を振りほどき走っていきます。

置いてかれる・・・。

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道中の楽しみといえば食事です。
出来るだけ名物を食べさせていくつもりですが、
5歳の娘は好き嫌いがかなりあるのが悩みのタネです。

逢坂峠の名物というと「ウナギ」です。
値段が結構しますが景気づけで張りこんでみます。

ところが。
身は殆んど食べず、タレご飯のみ食べる始末。

「ウナギはなかなか食べれないよ〜」

と、言ったものの食べてくれません。
この先、宮、浜松、三島でウナギが名物となってますが
果たして何時食べてくれるようになるか楽しみでもあります。

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大津宿。

以前、歩いた時と比べると、
電線が地中化になって印象が随分と変わりました。

この日は当初の予定では大津宿まででしたが、
娘は歩き足らない様子で「歩く!」と声を頂いたので
6kmほど延長して石山駅まで進むことにしました。

ウォーキングには丁度良い季節ではありますが、
脚力が私が思っている以上に付いてきてるかもしれません。
また、精神面でも「帰りたい」と発することがなくなり、
歩きを楽しめているように感じた2日目でした。

●3日目 JR石山駅→草津宿


↑詳しいルートと記録は【山行記録のページへ】もご覧ください。

実は予定ではこの日の前に歩く計画をしていたのですが、
朝になって行きたくないと連発したので中止にしています。

どうやら、たまたま機嫌が悪かっただけのようですが、
今後は泊まりの行程も出てくるので少し不安な点です。

時おり、娘はこう言います。

「車で回ったほうが早くて楽だよ」と。
現時点では東海道を歩く意義をわかってないかもしれません。
これはいずれ自ずとわかってくるものでしょう。

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いざ、歩き始めるとご機嫌です。

近江八景の一つである「瀬田の唐橋」では
出発から30分も経ってませんが大休憩にしました。
名所で時間を取ることは大事なことです。

そして、寄り道としてはそこそこの距離になる
近江一之宮の建部大社にも寄ってみました。

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参道には松並木がづらりと並びます。

「昔の道はこんな感じだったんだよー」

と、私が言っていた矢先から、
「松ぼっくり」拾いが始まってしまいました。

予定していた時間はオーバー気味になりますが、
こういう楽しみは今後も大切にしていきたいです。

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滋賀はタヌキが多いですね。飛び出し坊やも多いですが、
東海道沿いはタヌキの比率のほうが高い気がします。

こういう看板の類は娘にとって新鮮なようで、
「写真を撮って!」と、毎回のようにせがまれます。

そして秋ならではのキンモクセイの香り。
「すごく良い香り」と言って顔を近づけてました。

家の中や都会ではなかなか感じれないものが、
街道にはいっぱいあるんだと改めて思い知らされます。

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この日は12キロ程度の行程でした。
普段は1人では30キロ越えの街道歩きをするのですが、
娘をレクチャーしながらだと丁度良い距離かもしれません。

他に印象に残った娘の反応は
・公園があれば寄って遊ぶ(歩きの疲れとは別らしい)
・ダンゴムシがいそうな石を見つけてはひっくり返してみる
・本陣見学は殿様が使ったと説明すると興味を持ち見学する
・今回も途中で帰りたいと言わなくなった(基本ご機嫌)
・あとどれぐらい?はよく聞かれた(次回から子供用地図を準備)

まだまだ課題が多いですが、
ようやく軌道に乗ってきたと感じた3日目でした。



   
posted by にゃおすけ at 09:00 | Comment(2) | 東海道五十三次 | 更新情報をチェックする

2021年11月15日

パパとムスメの東海道五十三次・三条大橋→JR山科駅

現在5歳の娘にとって街道は冒険です。
街道に目覚めていく様子をどうぞご覧下さい。

●出立まで

まず街道について知識が全くゼロだった頃、
レクチャーと称して古い町並みに連れていきました。

・古い町並み散策はほどほどに
・散策中にご当地の美味しいスイーツを提供
・動物園など大きな公園も忘れずに(娘はこれがメイン)


これを5、6回続けたおかげか、
古いものに対する興味が少しは湧いたようです。

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奈良は宇陀の町並みでレクチャー

ある程度の距離を歩けるようになった頃合いで行程を考えました。
日本橋からにするか悩みましたが結局は三条大橋にしました。

・住居地が大阪なので行程に融通が利きやすい
・慣れない頃は1日10キロ程度での行程になる
・私が東から西に向かって既に歩いている


まず、肝心なのは娘が歩きを嫌にならないことです。
無理は禁物。最初はのんびり歩く計画にしました。

そして、本番前に先達さんからアドバイスを頂きました。

いま娘さんと歩かれてる狐勇さんによれば

・お菓子は多めに持っていく
・トイレの位置は事前に把握しておく
・トイレはしたくなくても早め早めの行動


街道沿いのトイレは限られた場所にしかないので、
出来る限り地図にマッピングしておきました。

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このアドバイスを踏まえて荷物の準備をしました。


・地図、写真撮影用のiPhone
・2人分の雨具一式
・娘の着替え一式(お漏らし用)
・2人分の防寒着一式
・2人分の帽子
・タオル、ウエットティッシュなど
・2人分の水筒



・写真撮影用のiPhone
・大量のお菓子(行動食代わり)


おかげで私のリュックはパンパンです。
泊まり行程では考え直す必要があります。

●1日目 三条大橋→JR山科駅

秋の涼しい頃合いを待ちました。
初日はなんとしても晴れでないといけません。
雨だと次に繋がらないのではと思ったからです。


↑詳しいルートと記録は【山行記録のページへ】もご覧ください。

いざ、歩き始めてみると、
普段の街道歩きとは全く違いました。

道にどんぐりが落ちてると拾いながら歩いたり
だるまさんが転んだをして遊びながら進んだり。

私としても一度は歩いてる区間なので
遊びながら歩く余裕があったからではありますが
こういう街道歩きは新鮮で良いものです。

いずれにしても、飽きさせないように気を使いました。
それでも「帰りたい」と何度か言ってきましたが、
少し歩けば忘れてしまっていたみたいです。

道中では休憩を大小問わず繰り返しました。
お菓子やアイスなど食べれて大満足のようでした。

そして、恐れていたことがやってきます。

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「トイレいきたい・・・」

周りを見渡してもコンビニがありません。
少し歩けばセブンイレブンがあることを教えると
そこまで我慢できる?と聞いてから直行しました。

やはりアイスや水分は注意しないといけません。

初日は6キロほどの行程となりました。
ゴール後は動物園やら美術館に寄ったので
トータルでは15キロ歩いてることになっていました。

なので次回は10キロ越えの行程を考えることにしました。

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posted by にゃおすけ at 12:00 | Comment(0) | 東海道五十三次 | 更新情報をチェックする

2021年11月04日

長崎街道その14・千綿駅→松原宿→大村宿

千綿駅から暫くは山側を進みます。

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↑詳しいルートと記録は【山行記録のページへ】もご覧ください。

駅周辺には一見すると雰囲気良い旧道がありますが
これらは残念ながら長崎街道ではありません。
国道建設などの影響で地形が随分変わっているのです。

旧道は小学校付近から復活しています。
うどん坂の急坂を下った先が江の串地区です。

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江の串は古墳時代から開けていた場所で、
近世では大村藩によって斜面開発が行われています。

山には立派な段々畑を見渡すことができますが、
畑に草木が生え揃っているところを見ると、
廃れてしまったものが多いようです。

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あぜ道のような道筋が続きます。
日陰でない場所は草の生え方が激しいです。

かつては多くの人が通っていたであろう道も、
年月が経てばこのようになるのは仕方ないですが、
往時の様子は手記などで伺い知ることができます。

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シーボルト曰く、
「千綿街道は湾沿いに続く丘の険しい斜面の〜」
と記すように斜面にへばり付く道筋が続いています。

才貫田地区の旧道は特にそのような場所だったようで、
街道の道筋は谷を越えるために山側に巻いていたりと、
大きく蛇行する様は険しさを象徴しています。

現在は一部を除いて廃道となっています。
簡単なレポートはヤマレコの記録をご覧ください。

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大村線の踏切を渡って海側へ。
元は島だった頂きに「さや御前」があります。

特長的な御神体の姿を見てもわかるように
性の神様として慕われているそうです。

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松原宿が近づいてきました。
宿場の出入口には刑場や墓があることが多いですが
松原宿においても例外ではなく広大な墓がありました。

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この3つの墓石は相撲取りの墓と言われています。

古い家が所々に残っています。
松原宿は全体的にこじんまりとした印象ですが、
彼杵宿と大村宿という大きな宿場に挟まれた場所なので
これぐらいの規模で十分だったのかもしれません。

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松原八幡への参道付近が宿場の中心にあたる場所です。
かつては旅籠として営業していた建物が今も残ります。
昭和40年代までは民宿としても営業していたそうです。

やがて、石渡りだったという郡川を渡ります。

シーボルト曰く、
「深くはないが時には急流になる」
「大きな玄武岩が横に並べてあって」と記しています。

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郡川は大村市を流れる最大の川で、
その流域は早くから開けていた場所でした。

西九州新幹線の線路を横目に見て国道沿いへ。
JR竹松駅付近では平坦な直線が続きます。

この直線は元は馬場だった頃の名残りで、
江戸末期に桜が植えられ「桜馬場」と地名に残ります。

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華やかなものがあった一方で、
この付近は「郡崩れ」の中心的な場所だったことで、
処刑されたキリシタンに関する遺跡が点在しています。

直線が終わり国道と分かれて旧道に入ると、
城下町特有の曲がり角が多い道筋となります。

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途中、大曲には自衛隊駐屯地があるのですが、
街道沿いには小さな店が並んでいて賑やかでした。
主に駐屯地客向けに商売をしているのかもしれませんね。

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大村家の菩提寺である本経寺を過ぎても、
大村宿まではまだ少し距離があります。

大上戸川を渡ったあたりが大村宿の入口。
アーケードには長崎街道の文字が刻まれていました。

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posted by にゃおすけ at 14:30 | Comment(0) | 長崎街道 | 更新情報をチェックする