●11日目、四日市宿→富田→桑名宿↑詳しいルートと記録は【山行記録のページへ】もご覧ください。娘曰く、今までで一番最高に楽しかった!という今回。
実は布団から出るとき今日は行きたくない!と言ってきたので、
家を出る予定時間のギリギリまで行くかどうか悩みました。
寒い時期の朝の5時半起きですし無理もない話です。

でも、家を出れば機嫌は一転。
近鉄特急に乗って四日市で降りてマクドを食べれば、
寝起きのことが嘘のように軽快に歩き始めます。
この日は1月15日ということもあって、
諏訪大社ではどんど焼きの準備に追われていました。
今の季節ならではの光景は良いものです。


四日市の名物は「なが餅」です。
平べったい10cmほどの長い餅ですが、
さっそく店に入って頂きました。
すると娘は何を思ったのか
ホッカイロで温め始めるではないですか。
大した熱量ではないので温かくはなりませんでしたが、
時に子供の発想は大人の想像を越えることがあります。
これだから一緒に旅をすると面白いものです。


1月の厳冬期ということで
四日市を含むエリアでは前日は大雪でした。
その影響で道端に雪が残っていたのですが・・・。
雪を見つけては遊んでしまう始末。
もう全然思うように進みません(笑
「雪の上を歩くと靴が濡れて大変だよ?」
そう注意しても完全に無視。ズカズカ雪に入っていきます。
今回は行程に余裕があったので生暖かく見守っていたのですが、
雪遊びのおかげでかなりの満足感があったようです。


素晴らしき街道松。
娘と比べると高さは一目瞭然です。
この辺りの名物といえば「焼き蛤」が有名です。
食べ方は資料に「焼くが最上である。煮るが次である。」とあり、
「焼いて食べるには、松ぼっくりの火が最良」とあったので
これら東海道松並木のものも活用されていたかもしれませんね。

「焼き蛤」は特に間の宿である富田のものが美味しく、
桑名藩内だったので「桑名の焼き蛤」として売られていました。
江戸時代では香ばしい匂いが立場中に立ち込めて、
中には食べるのを
一生に一度の楽しみにする人もいたほどでしたが
今は1軒も焼き蛤を売る店がないのは残念なところです。
結局、我々は近鉄富田駅前の粉モノ屋で昼食にしました。
お好み焼き、焼きそば、テイクアウトでタコ焼きを頼みましたが
馴染みのメニューでも土地が変われば作り方が違うもので、
お好み焼きは薄く平べったく中に半熟卵が入っていて驚きました。


タコ焼きは少し歩いた後で朝明橋のほとりの公園で頂きました。
公園は一面真っ白。
これにはまたまた娘は大コーフン。
おかげで靴が随分と濡れて回復不能になってしまいました。
まあ、こういう街道歩きも良いものです。
余裕のない行程だったら雪遊びをスルーしていたでしょうし、
遊びたいのに遊べないジレンマで不機嫌になっていたかもしれません。
今後を考えると遠方になるにつれ余裕時分が厳しくなっていきますが、
出来る限り娘も楽しめる行程になるよう心掛けていきたいものです。


この立派な建物は朝日町資料館です。
元は役場として大正5年に建てられています。
私の持論では土地の歴史を知ってから旅をすることで、
より深く理解出来、町の見え方も変わるというのがありますが、
街道歩きでも見かけると立ち寄るようにしています。
寄棟造瓦葺で正面中央の懸魚付き切妻造の玄関が見事でしたが、
娘は終始雪だるまを作って楽しんでいました。

桑名宿は名古屋の宮宿とともに旅籠の数は相当多く、
渡船場としての賑わいが大いにあったのですが
旧家は残念ながら戦災で随分失われてしまっています。
桑名城下の入口には火の見やぐらが復元されていました。

ふと、娘が
「ハート!」「ハート!」と呼び止めます。
前回も同じような感じで呼び止められたのですが、
今回は雪の形がハート型で嬉しがっていました。
どうもハートがマイブームのようです。
家でも手をハートの形にして踊っていたりします。

元銀行だった石取会館を見学してから、
街道沿いにあった東海道五十三次公園で少し遊びました。
三条大橋から日本橋までのミニチュアになっていて、
東海道五十三次の疑似体験が出来るのです。
三条大橋で写真を撮ったり富士山に登ったり、
そして日本橋でも写真を撮って良い予習になりました。


伊勢の一の鳥居。七里の渡し場でゴールとしました。
この直前の街道筋には飲食店がずらりと並びます。
家々は新しいですが往時の雰囲気を感じることができました。
そして夕食には「蛤料理」を頂きました。
やっぱ名物を食べなきゃね!
今後の装備的な対策としましては、
これまでの道中では大きな雨に見舞われていませんが、
靴の防水対策は早急に進めないといけないと感じました。
子供の成長が早いので靴選びが難しいところですが・・・。
次回は宮宿から豊明駅付近まで行けたらと考えています。
七里の渡しは鉄道で越えます。