↑詳しいルートと記録は【山行記録のページへ】もご覧ください。
このところ週末ごとに歩いています。
難所の箱根を真冬に越えたくないのが理由で、
逆算するとこれぐらいの頻度になってしまいます。
真夏も歩くとすれば余裕なのですが、
さすがに無理をさせることはできません。
金谷宿は大井川と小夜の中山の難所に挟まれた宿場町。
町はレトロな雰囲気が漂っています。
エモンガ(というポケモン)のポーズをして歩く娘。
まあ、何事も楽しみながら歩くことは良いことです。
新緑がパッチワークのようで美しい。
大井川鉄道新金谷駅に少し寄り道してみました。
旅情たっぷりの木造駅舎は昭和2年築。
この日はSLの運行はなく閑散としていましたが、
見頃を迎えた藤の花がとても綺麗でした。
道の奥に大井川の堤防。
昔はこの辺りから河原が始まっていて
川越え関係のいろんな施設があったそうです。
なぜ、大井川が難所だったのか。
それは江戸防衛のため架橋や渡船が禁止だったからで、
肩車などして人の力で渡るしかなかったのです。
大井川橋は全長1,026m。
トラスは17連もある雄大なもの。昭和3年架橋。
横に歩道が別に設けられているので安心です。
娘は「なんで橋と写真を撮るん?」
と、橋の貴重さをまだわかってない様子。
大・井・川!
歩道の幅は1人通れるほどなので
強い風が吹くとかなりおっかないです。
先週歩いた小夜の中山が遠くなっていきます。
昔の大井川の川越えイメージがこちら。
写真のような蓮台は少々お高く、
肩車が最もリーズナブルだったそうです。
ちなみに殿様用の蓮台は屋根まで付く代物でした。
大井川を渡った島田側には
江戸時代さながらの光景が広がっていました。
ここで”お蕎麦”を投入しました。
娘は美味しそうに”ざるそば ”をペロリ。
私「どう?いつものと違うやろ?ははは」
娘「いっしょやで」
この年頃だと全部同じに見えるのでしょうか。
ちなみに娘は”ざるそば”が大好物なのです。
島田宿。
大井川が増水すれば滞在する客が増えるので
江戸のような賑わいがあったそうです。
大善寺の閻魔様を見て説明していると、
「地獄って何?天国って何?」
そこからの説明だったので大変でした。
詳しくすると夜寝れなくなりそうなのでやんわりと。
プリンどら焼きをget!
冷凍でしたが15分経てばちょうど食べ頃になりました。
暑い日に食べるこういうのは良いですね。
ヒンヤリ感がたまらなかったです。
本陣跡付近。区画整理がされたようで都会的な雰囲気。
でも、基本はレトロなアーケードが広がっていて
ずらーと商店が続いています。
町アーケードたすかる。
この日の気温は27度ぐらいになっていました。
暑い季節になってきたので娘の装備に変化があります。
UVの帽子とウォーキング用の靴下を新調しましたが
暑い日差しに”つば”の広い帽子は効果てきめん。
新しい装備に娘は上機嫌です。
娘の道ガール化が進みます。しめしめ。
松並木も日差しを遮ってくれるので有難いもので
影に入れば明らかに温度が低いのです。
実はこの日は14時からポケモンGOのイベントがありました。
歩きながらは危ないので止まりながらしたわけですが、
ここから先は距離の割には随分と時間がかかりました。
「街道歩き中にするなよー」とお叱りを受けそうですが、
1日に10km程度進めたら良いという緩い街道旅なので、
こういう楽しみもあってもいいかなーと思います。
青島の立場跡にも松並木が連なります。
染飯という「黄色のおむすび」が名物で
足腰の疲れを癒すと評判だったそうです。
そして、程なくして1日目のゴールに辿り着きました。
よく見ると娘の顔が赤いですね。
たぶん私も同じ顔だったと思います。
終了と思いきや、バスで蓮華寺池公園に移動。
ここは藤枝市民の憩いの場になっていて
ジャンボ滑り台などを楽しみました。
トータルで10本ぐらい滑ったでしょうか。
まだまだ体力が残っていたようです(笑