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前日と同じく綺麗に晴れてくれました。
駅舎がシブい大磯駅より出立です。
ちなみに荷物は平塚のホテルに置いたまま。
平塚宿を通過する時に回収するという戦法です。
まずは親子共々身軽な格好で朝散歩♪
松並木がずらりと並ぶ。
朝から清々しい気持ちにさせてくれます。
下の写真は化粧井戸。
化粧とかいて「けわい」と読みます。
虎御前も化粧に使ったというから歴史は古く、
私も試しに・・・と覗くと空でした(涙
平塚宿の浮世絵にも描かれた高麗山が見えてきました。
「あの山の先は山深い場所だから今夜はここで泊まっていきな」
という風に宿の人が客寄せをしていたそうです。
そんな高麗山のことを・・・
あろうことか「クレヨンしんちゃんのお尻に似てる」と。
たしかに特徴的ではあるけども(笑
高麗山が良さげに見える度にお尻のポーズを手で表現する娘。
同じようなショットを10枚ぐらい撮らされました(汗
ちなみに、この辺りが平塚宿の京方の入口にあたる場所で、
近くには平塚の名前の由来になった「塚」が存在します。
いわゆる「平塚の塚」というもので
桓武天皇の孫娘がこの地で亡くなったので墓として塚が築かれ、
その塚が平らな形状だったことが一説のようです。
10年前に訪れた時は寺の境内の中にあったのですが
今は平塚市に塚の周辺の土地を割譲したとのことでした。
そして、ここが江戸方の見付。
現在の駅からは随分と西に離れた場所が宿場の中心でした。
立派なアーケード。こういうのはコーフンしますね。
平塚といえば大きなアーケードのあるイメージです。
平塚八幡宮に寄り道してお参りしました。
手を合わせて「無事に家に帰れますように」
「コロナにかかりませんように」声に出して拝んでおりました。
神社でお参りする意味もわかってきてる様子。
2礼2拍手1礼の作法も様になってきました。
ホテルで荷物を回収して再び歩き始めます。
娘の装備は朝と変わらず。重いのは私だけ・・・(涙
馬入橋からの富士山をパシャリ。
さて、今回の道中からは関東平野に入ったわけですが
人の多い町中をどう乗り切っていくかが悩む点でした。
町の雰囲気を聞いてみると
「大阪と一緒やん!」「イオンあるしな」
子どもの目からすると同じように見えるのでしょう。
でも、どこかしら大阪と違う部分があるのです。
そういう細かな違いを教えながら楽しみました。
たとえば
娘「2階建ての電車すごい!」
私「15両だよ」「環状線は何両だったっけ?」
娘「1,2,3、、、8両!」
ってな具合に(笑
あと、車の多さは暑さよりも大変でしたが、
湘南地方はまだまだ緑が多いのには助かりました。
押しボタン式信号を押すのは娘が率先してやってくれます。
南湖の左富士。
江戸から歩くと普段は右側に見える富士山ですが
道の湾曲によって左に見えるという特別な場所。
富士を見ながら楽しめる茶屋が人気だったそうです。
ちなみに、茅ヶ崎は茅が生える沼地が広がっていたことが由来です。
元々は南湖がこの辺りの賑わいの中心だったのですが
鉄道開業でごっそりと駅周辺に茶屋などが移転してしまいます。
ここでランチタイム。
せっかくなので茅ヶ崎の名物をと思うのですが
街道歩きではタイミングを合わせるのが難しいことがあります。
地元でもよく食べる”びっくりドンキー”での食事。
まあ、好きなのでこれで良いのです。
何を思ってか松の大木の切株を撫でる娘。
茅ヶ崎の駅周辺には意外と松並木が残っています。
都会にも関わらず現代になってもあること自体凄いことで
茅ヶ崎の行政には頭が下がる思いです。
松並木があるということは
江戸時代はただの道だった証拠でもあります。
これだけでも昔の情景がわかって面白いものです。
嬉しそうに指を指す娘。
「ディズニーランドもうすぐやで!」と声をかけてやりました。
四ツ谷立場は大山阿夫利神社の一の鳥居や道標などがある
言わば、追分らしい”追分”です。
立派なお不動さん。
目を見ながら横を歩くと目が動いてるように見えるんですよ(汗
下の写真はおしゃれ地蔵。
願いが叶うと化粧をするのがルールらしい。
私が「べっぴんになりたいと願ったら?」というと
「またここに来なあかんな」と娘(笑
藤沢宿は多くの参詣道が集まる交通の要衝で
遊行寺の門前町として古くから栄えた場所でした。
藤沢本町駅付近で今回のゴール!
駅に裏にある伊勢山に登ると江ノ島がよく見えました。
藤沢から小田原までグリーン車で移動して
1階席と2階席の乗り比べなんてのもしました。
小田原では足湯もあるビュースポットに立ち寄り。
疲れたわ〜っていう表情がウケる(笑
てな感じで少し観光もしつつ新幹線で帰阪。
次回は鶴見駅まで。
残すところ2回の遠征でのべ4日となりました。