2023年06月19日

パパとムスメの東海道五十七次・髭茶屋追分→京阪墨染駅

●1日目 髭茶屋追分→大宅一里塚→京阪墨染駅


↑詳しいルートと記録は【山行記録のページへ】もご覧ください。
 
去年11月に東海道五十三次を終えてからなので、
約半年ぶりの街道歩きとなりました。

それだけに娘の成長を楽しみにしていたのですが、
まー、街道歩きに限っては半年じゃ余り変わりませんね。
街道とはなんたるか急に語り始められても困ります(笑

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東海道五十七次とは五十三次から延長する道筋で
京都から大阪にかけて伏見、淀、枚方、守口を通ります。

そうです!東海道はまだ終わってなかったのです!!

娘にそのように言い聞かせ、東海道の旅をいざ再開。
自作のスタンプラリー用紙も前回同様に作っておきました。

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道標でムスメの成長を実感。
2021年秋に通過したときは蓮如の如の位置が頭でした。

娘は5月で7歳になります。早いものです。

この辺りは越屋根のある町家が多くて雰囲気あります。
下り坂になっているのもGood!

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私「旧道はどっちと思う?」
娘「あっち!」と指を差す娘。

「正解!!」と言おうとすると
娘「やっぱ、あっち!」と。

あー、適当だったか(笑

とはいえ、東海道で鍛えた街道脳は
半年のブランクを感じさせないものがあって、
見るからに古い石積みを「石垣が古いな」と言ってみたりと、
何かを考えながら歩いてるようには見えます。

親としてはそういう姿を嬉しく思うところで、
思わずニヤニヤしてしまいます。

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川があれば魚を探す姿。
これは半年前と変わりませんね〜

国道1号を越えるあたりから車の交通量が増えてきます。

都市部での旧道は残っていること自体は嬉しいのですが、
時に抜け道として使われたりして難所と化しています。

この辺りは風情が良かったのですが、
娘を守る行動に神経を尖らせ気を使いました。

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大型バスも頻繁に行き交う

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これは、大宅一里塚。
久しぶりに見る本物に嬉しさが込み上げてきました。

ただ、あるはずの大きなヒノキがありません。
不思議と思い調べると台風で倒木したのだとか・・・。

いつまでもあると思うな街道の名所です。

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私「久しぶりの街道はどうだい?」
娘「足に聞いてみる!」と。

なかやまきんに君かーい (笑

こんな問答ができるほど春の街道は心地良いものですが、
昼前になると暑さを感じる陽気になってきました。
そして、花粉も飛び交っていてマスクが手放せません。

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お昼はなか卯で高級食材丼をチョイス。

娘はお子様セットでリンゴジュースが付きますが
ここで飲んだがために後で大変なことに・・・。

食後は勧修寺(かじゅうじ)に立ち寄ります。
山科の南に位置する花の名所です。

咲き誇る花に娘も大喜び!

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じゃーんぷ。元気でよろしい(笑

ちなみに、勧修寺手前の東海道ルートですが、
昔の絵図や明治の地図を見ると門前で左折になってるのですが、
何故か、随分と手前で左折になっている資料が多いのです。

門前には移設したと思われる道標群がありますし謎が深まります。

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門前の道標群

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右は名神高速です。

元をただせば東海道線の敷地であって、
さらに遡れば東海道でもありました。

なので、この区間の街道は消滅している箇所が多く
自然とテンションが下がってしまいます。(涙

ここに来て娘の様子に変化が・・・。
「トイレ!」「トイレ!」の連呼が始まりました。

そうです。なか卯のリンゴジュースの仕業です。
進めど進めど、コンビニなど何もない山間部なので、
五十三次ではなかった「おもらし」の4文字が頭によぎります。

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広大な竹林を横目に進みます。
京都だな〜。と風情を楽しむ余裕は正直なかったです(笑

なんとか、この先にあったガソリンスタンドで解決しましたが、
街道歩き中の水分補給はホント要注意ですね。

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藤森への坂。なかなかの登りごたえ。

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風情ある京の町並みが続きます。
腰掛けのある軒先で一休み。

藤森といえば藤森神社が有名です。
ここは競馬ファンにも人気のスポットになっています。

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私「これは馬って書いてあるよ」
私「人と馬はこっちね!」
娘「馬ってほんまなん!??」
娘「馬ここ通るん?」と信じられない様子。

私も本当に馬が通るのかよく知りません(^^;

それにしても境内にあった競馬の奉納絵馬が見事でした。
テイオーにブライアンに思わず胸が熱くなります。

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やがてゴールの墨染駅。
元々の計画では一駅先の丹波橋駅まででしたが
半年のブランク明けですし暑さもあってやめておきました。

次回は京阪八幡市駅までか、京阪淀駅までか。
トータルでは残り5回ほどになるでしょうか。
急ぐ旅でもないのでのんびりいこうと思っています。



   
  
posted by にゃおすけ at 08:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | 東海道五十三次 | 更新情報をチェックする

2023年06月07日

長崎街道その18・日見宿→長崎出島&総括

さぁ、長崎街道最終回! 

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↑詳しいルートと記録は【山行記録のページへ】もご覧ください。

長崎を目の前にして日見峠が立ち塞がります。

標高は250m程度ながらも日見側は特に険しく
高低差のある九十九折が連続しているのです。

まさにラスボス的存在・・・。

この難所は近代になっても厳しいものがあって
新技術が開発される度に新道が作られてきました。
大正、昭和、平成に掘られた立派なトンネルを見てると
各時代の技術の発展具合がわかります。

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今昔マップより

上の明治時代の地図を見ると
蛇のようなヘアピンカーブがわかると思います。

1.8kmの道のりに13ヶ所も曲がりくねる様は、
全国的に見てもそう多くはないものです。

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こういった峠道では生活上の不便さから
標高が高くなるにつれ民家が減っていくものですが、
ここではかなり上になっても相変わらず多く見かけます。

平地が少ない長崎ならではの光景でしょうか。

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大正のトンネル坑口まで到達すると
江戸道は舗装路から草道へと変わります。
少し藪化していて一見すると登山道のようですが、
そこは元は街道。急登という程ではありません。

比較的なだらかで歩きやすいのは
多くの人や物が行き交っていた証拠でもあります。

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しばらく登れば日見峠です。

この舗装された峠は明治になって掘り下げられたもので
車両を通すために切通しに改造されています。

こういう事例は他でもあるのですが、
日見峠での工事は殊の外大掛かりだったようで、
工費がかさみ有料道路(明治道)として開通しています。

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一方、元々あった峠はというと、
明治道のさらに上に登った場所にありました。

ちょうど日見関番所が建っていた辺りですが、
敷地の半分は明治道建設の際に削られています。

ちなみに峠から先の道筋は
明治道を交差するような形で下っていました。
この廃道区間の詳細はヤマレコ記録で紹介しています。

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ようやく、長崎の町が見えました。
正面の山は稲佐山です。夜景の名所ですね。

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峠といえば茶屋ですが
長崎側に一軒、日見峠に一軒、
そして、矢上側に二軒あったといいます。

下の写真は新茶屋と呼ばれた場所で
藤棚のある絶好の休憩場だったと思われます。

そうそう、この辺りの道は舗装されてますが、
剥がせば昔の石畳が眠っていると話に聞きました。

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標高が下がると一気に市街地の様相に。

この辺りは開発された歴史が古く、
河内高部ダム付近は長崎の水源にもなっています。

完成は明治24年と随分と昔なので
元々の街道の道筋は今や知る由もありません。
おそらくは池の底を通っていたものと思うのですが。

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やがて、蛍茶屋。
長崎電気軌道(電車)の電停がある場所です。

明治の地図を見ると今とは違って家が殆んどありません。
かつての蛍茶屋はその名の通り蛍の名所で茶屋がありました。

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言わば、市民の憩いの場でもあった場所でしたが、
一方で長崎から旅立つ人にとっては別れの場でもあって、
蛍茶屋まで見送りに来る人も多かったといいます。

ちなみに、傍らに架かる一ノ瀬橋は1653年のもの。
一度も崩落がない優れものです。

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しばらくは車道と離れた旧道が続きます。
小さな川にも石橋が架かっていて見逃せないです。

やはり、長崎といえば坂、石橋です。

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通称シーボルト通りと名付けられた通りに
「長崎街道ここに始まる」の碑がありました。

ここから先が長崎市中という意味になります。

ここでゴールでも良かったのですが
長崎街道歩きのゴールとしては中途半端で悩みました。
道路元標がある旧県庁前で終えようとも考えたのですが
せっかくなので出島まで歩くことにしました。

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諏訪神社を過ぎれば一気にビルが立ち並びます。

驚いたことに交差点ごとに案内看板があり、
「ここは昔は●●だった」と的な説明があります。

こういう説明があると全く印象が違ってきますね。
一見すると普通の都市の町並みに見えても、
長崎は歴史が詰まっていることを実感できます。

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県庁前を過ぎると出島まであと僅か。
道路元標がある場所は元は長崎奉行所でした。

そして近年復活したという出島の橋を渡り、
念願の長崎街道完歩となりました。

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さいごに、完歩しての感想を少し。

江戸から西に向かって12年かけて歩いてきましたが、
今回の完歩はいつもと違う感慨深さがあったと同時に、
これで一区切りつけたという安心感がありました。

長崎街道は面白味という意味では、
五街道にもひけをとらないものがあると思います。
シュガーロード、シーボルト、坂本龍馬などの幕末の志士、
象やキリスト教など関連する史跡が多く楽しいものでした。

また、沿道の自治体の熱意は相当なものを感じました。
街道は長距離であるほど複数の自治体に跨るものですが、
熱の入れ方の違いが歩いてるとよくわかります。

でも、長崎街道はどこも同じ熱の入れように驚きました。

その一つに案内看板の多さ、
そして、パンフレットなどPRが活発ということでしょうか。

これもあったからこそ
充実した楽しい歩きが出来たものと思います。

と、いろいろ伝えたいことがありますが、
長崎街道には大きなポテンシャルを感じます。
なにせ、九州を代表する街道ですもんね。
今後とも注目していきたい街道です。




   
posted by にゃおすけ at 08:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | 長崎街道 | 更新情報をチェックする