2023年08月22日

天竜二俣を散策。転車台の見学と。

2023年のGWは静岡を選びました。
行き先は天竜二俣です。

「え?どこ、そこ??」

大半の人がそうなると思います。
GWだからこそ混雑の少なそうな場所へ。

でも、実は今ちょっとした人気の場所なのです。

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浜松から遠鉄に乗って北上します。
エヴァンゲリオンのラッピング車両に驚きました。

後で知ったことなんですが、
劇場版で浜松周辺が舞台になっていたようです。
このアニメは昔はガッツリ見ていたのですが、
カオルが出てきた辺りでついていけなくなりました(涙

終点の西鹿島駅。
三角屋根が見事ですよね。
まるでペンションのような佇まいが素敵。

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ここからバスに乗り換え。
本田総一郎の記念館近くまで乗りました。

スクラッチタイルがなんとも美しいですね。
元は二俣町の役場だったようです。昭和11年築。

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この隣にあったお寺が清瀧寺です。
徳川家康の長男である信康公の墓があります。
今、ちょうど大河ドラマがやってる最中ということで
いずれここも多くの人が訪れるに違いありません。

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そして、町歩き。
5月の心地よい陽気は幾ら歩いても疲れません。

全体的に雰囲気が昭和で止まっています。
下の写真の建物の壁は一見は銅板に見えたのですが、
よーく見ると銅板に似せた木のもので驚きました。

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昭和初期の赤いガソリン計量器と触れ合う娘。

もちろん、今は実際には使われてないのですが、
町にポツンとあっても違和感がないところが良いですね。

去年あたりに真っ赤に塗りなおされたようで、
大切にされてる感じがまた良いものでした。

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そして、天竜二股駅へ。

木造を多様した駅構内を見ると
昔の主要駅はどういうものだったかを教えてくれます。

ここの凄いところは転車台が今も現役であること。
毎日定時に見学ツアーが開催されています。
予約不要で気軽に参加できる点も助かります。

13:50の回に参加しましたが、
30人ぐらいの参加者がいたでしょうか。
これはまあGWだから仕方のないところでしょう。

ちなみに見学料は600円。窓口で支払います。
子供は本来は300円ですがGWは特別に無料でした。

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給水塔。コンクリ造りです。
かつては日本各地で見かけたものですが、
今や殆ど見かけなくなってしまいましたね。

話に聞くと気動車も給水があるとのことでしたが、
今はこの1/3ぐらい大きさで間に合うそうです。

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駅構内の施設群。
まるで映画のセットのような雰囲気です。

中でも風呂場は圧巻でした。

実は静岡に住んでいた頃、
会社にこんな風呂があったのですが、
大勢が入るのでいつも垢が浮きまくって汚いものでした。

無料だからと私もたまに入っていたのですが、
湯舟に浸かったのは数えるほど・・・。
今、もし入れるなら喜んで入るのですけどね。

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そしてメインの転車台。
気動車が実際に乗って実演をしてくれました。

これだけでも十分価値があるもので、
老朽化してるのかコンパクトサイズだからか、
車両が乗ると轟音がして壊れそうな勢いがありました。

それは梅小路にある転車台の重厚さとはまた違う、
一地方の転車台の良さというものなのでしょう。

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ここを見学すれば最後に併設の資料館へ。
空襲警報発令などというレアなものも見れました。

いやー、いろいろ楽しめました。

一つ残念に思ったのは
大半の人がマイカーで来られていたことでしょうか。
これはまあ今の時代仕方ない点ではあります。

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帰りの列車を待つまでは自転車トロッコで遊びました。
誰もいなくなった構内はこれまた素敵なものでした。
   

 







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2023年08月07日

パパとムスメの今切の渡しと清水道

GWは東海道の忘れ物を取りに静岡へ。

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かつて東海道で浜名湖を横切るときは
今切の渡しという舟を利用する必要がありました。

現代は残念ながら舟を利用するすべがないので
我々は電車でワープしていたのが心残りでした。

「せっかくなら東京大阪の全区間歩いておきたい・・・」

娘にもその勲章を!という思いもありますが、
友達と話すとき「東海道五十三次を歩いたよ」というより、
「東京まで歩いた」のほうがわかりやすいですよね。


↑詳しいルートと記録は【山行記録のページへ】もご覧ください。

なので、歩くのは僅か4kmほどの区間ですが
我々にとっては大いに価値があるものとなりました。

ちなみに今回の旅で娘には歩くことを言ってません。
一言「静岡の友達に会えるよ!」とだけ言いましたが、
行程は全て謎という言わばミステリーツアーで出発しました。

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久しぶりの新居町駅。

歩くことを察してか少し不機嫌な娘。
まぁ、無理もありません(笑

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道中では気になったもの(特に植物)があれば
iPhoneを出してGoogleレンズで調べていました。
小1にも関わらず操作は随分と手慣れたものです。

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城郭風喫茶店にびっくりの娘。
古い観光地は驚きの建物と出会えるから楽しいですね。

浜名湖の風に当たりながら一休み。
家から持ってきたパンをむしゃむしゃと。

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やがて弁天島にたどり着きました。
南国のような風情が良いものでした。

さて、翌日は静岡市の清水に移動。
次なる道は東海道と清水湊を結ぶ清水道です。

これもずっと気になっていた街道で、
距離は4q程なので友達と歩くには良いかなと考えました。

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東海道分間延絵図より

清水道は一体どこを通ってるかですが、
上の絵図を見ると宿場から左下へ伸びているのが久能道。
そこから川沿いに広がる清水湊に向かう枝道が清水道です。

今の感覚だと宿場の辺りも清水だとは思うのですが、
昔は巴川河口地域に広がる港集落を指すのが一般的で、
宿場のある江尻とは別の町という認識だったようです。

その清水は駿府の外港の役割もあったので
古くから大変な賑わいがあったといいます。

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清水の友達と合流して娘もニッコリ。
若干ハイテンションなのが気になりましたが、
快適な街道歩き日和となりました。

東海道との追分に立つ道標は実に立派です。
二人揃って触りまくる姿に思わず笑みがこぼれます。

「是より志ミづ道」

「清水」や「しみず」と書かないあたり粋ですね。

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ちびまる子ちゃんの母校の横を進みます。
ほぼ道なりの街道歩きなので子連れでも楽ちんです。

ただ、騒がしい(笑

ひたすら何気ない町中を歩くのですが
そういう中でも下のような標識があると嬉しいですね。

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江尻宿から伸びる久能山への道と交差した先で、
街道の風情が少しだけ変わります。

道に若干ながらも緩い勾配がついていたりと、
町並みに立体感があるようになってきました。
これは川や海が近いこともあるのでしょう。

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八幡神社。
境内には何本もの大木があって歴史を感じます。

そして、裏手にあるのが「ちゃんちゃん井戸」
実はこれが清水の謂れとなっているものです。

こんなものがあったなんて・・・。

20年前に住んでいた頃は全く知る由もなく、
やはり歩かないとわからないことは多いものです。

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巴川に出ました。

対岸に見える木々が生い茂ってるあたりが古城跡。
ようするにここが清水の元々の中心地になります。

ひと際目立つ地元企業「鈴与」のお屋敷もあったりと
周辺には蔵が立ち並んでいて往時の賑わいを感じました。

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次郎長通り商店街。アーケードが素敵!

この辺りの雰囲気は20年前とさほど変わっていません。
狭い道が多いので車だと敬遠していた場所でしたが、
歩いてみると空は広く奥行きもあり驚きました。

ここには次郎長の生家があり見学ができます。
娘は土産に「勝ち守り」をGetしていました。

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やがてエスパルス通りを経てゴールとしました。

子供たちは道路わきのサッカーのモニュメントに夢中。
こういうハチャメチャな街道歩きもアリですね。







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2023年08月01日

廃バスになってた旧友と再会。 〜松電バイト記憶からその5〜

先日Twitterを眺めていると
乗務したことがある車両を見つけました。

廃バスの写真は好きなので色々と見てきましたが、
まさか縁のある車両がこのような形で見つかるとは驚きました。
おそらく引退してから20年以上は経っているものと思います。

毎日のバス車掌の仕事として車内のモップ掛けや座面の清掃、
乗務前の前面窓ガラス磨き、曇り止めにクリンビューなど、
大切に扱っていただけに廃バスの状態はショックでしたが、
スクラップとならず今も形としてあるのは嬉しいことです。

出来れば現地で再会したく旅の計画をたてています。

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撮影者のべーたさん @onecuprain からお写真をお借りできたので
この車両にまつわる話を少し書いてみます。

まず「10514」という車番ですが
現場では下3桁だけで呼び合っていて「514」と呼んでいました。
この系列は1970年代後半に製造された車でして、
未改良の国道158号線を進むために車長を短くする必要があり、
釜トンネルの高さ制限の影響で屋根も低くなっていて
山用の特殊車両だったように記憶しています。

私が乗務した1996年ごろは上高地輸送の応援用として、
沢渡-上高地のピストン輸送が多かったように思います。

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この沢渡ピストンという輸送は、
自家用車の駐車場と上高地を結ぶ片道30分ほどの路線で
難しい交通誘導などがあまり必要がなかったことから、
車掌に就いて間もない新人さんに当てがわれることが多く、
交通誘導が苦手な車掌もよく乗務していました。

ようするに仕事内容的には比較的楽な路線で
老バスになった「514」も最後のご奉公ということで
楽しむようにのんびり走っていたように思います。

ちなみに車掌的には一番儲かる路線でもありました。
時間外労働になると折り返す毎に15分貰えたのですが、
折り返す回数が多いピストンでは荒稼ぎができました。
それは学生バイトでも月に50万稼ぐ人がいたほどです。

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バス入口にバタンと倒すタイプの車掌椅子が見えます。
これが個人的に一番嬉しい点でした。

乗務中はこれに「座りたい!」と思っても、
基本的には立っていないといけない謎ルールがあったので
運転手の判断で座ることが出来れば天国そのものでした。

ちなみ「514」の車掌の定位置(車掌椅子がある空間)は
とても狭かった上に下方向が深かったように記憶しています。
なので、ちょっと乗りづらかったですね(^^;

1日の乗務車両は運転手は車両とペアになってはいたものの、
車掌はペアではなく日替わりで変わるのが基本でした。
この「514」も1週間に1度巡ってくるかどうかのもので、
仕業が決まると「あ〜、ハズレや!」と思ったものです。

当たりは島々所属の冷房車6台でした。

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車内は見事なまでのがらんどうです。
おそらく引退後は倉庫として使われていたのでしょう。

後部座席はきっちりと残ってますね。

この後部座席は分厚いシートを上に敷いて
お客用のザック置き場となることがありました。

始終点では車掌や係員数人で積み下ろしするのですが、
下山客が乗る上高地発の荷物はヤバい臭いだらけで大変でした。
これはまあ当然のことなので仕方ないところですが。

その他の客席はというと、
通路に補助席を2つ(!!)縦に並んでいました。
なんと、横一列は6人掛けだったのです。

今じゃ考えられない詰込み主義でしたが、
路線的な都合で立ち席が認められなかったからで、
無理矢理にも座らせていたのが理由だったようです。

沢渡ピストンでは渋滞はあまりなかったですが、
中には釜トンでの信号待ちが最長で13分10秒がありましたし、
お客的には相当な苦痛があったものと想像できます。

時代ですね〜

今回の件で記憶が再びいろいろ蘇ってきました。
また続編を書いてみます。


 


posted by にゃおすけ at 08:00 | Comment(2) | TrackBack(0) | 懐かしい記憶 | 更新情報をチェックする