2023年08月01日

廃バスになってた旧友と再会。 〜松電バイト記憶からその5〜

先日Twitterを眺めていると
乗務したことがある車両を見つけました。

廃バスの写真は好きなので色々と見てきましたが、
まさか縁のある車両がこのような形で見つかるとは驚きました。
おそらく引退してから20年以上は経っているものと思います。

毎日のバス車掌の仕事として車内のモップ掛けや座面の清掃、
乗務前の前面窓ガラス磨き、曇り止めにクリンビューなど、
大切に扱っていただけに廃バスの状態はショックでしたが、
スクラップとならず今も形としてあるのは嬉しいことです。

出来れば現地で再会したく旅の計画をたてています。

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撮影者のべーたさん @onecuprain からお写真をお借りできたので
この車両にまつわる話を少し書いてみます。

まず「10514」という車番ですが
現場では下3桁だけで呼び合っていて「514」と呼んでいました。
この系列は1970年代後半に製造された車でして、
未改良の国道158号線を進むために車長を短くする必要があり、
釜トンネルの高さ制限の影響で屋根も低くなっていて
山用の特殊車両だったように記憶しています。

私が乗務した1996年ごろは上高地輸送の応援用として、
沢渡-上高地のピストン輸送が多かったように思います。

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この沢渡ピストンという輸送は、
自家用車の駐車場と上高地を結ぶ片道30分ほどの路線で
難しい交通誘導などがあまり必要がなかったことから、
車掌に就いて間もない新人さんに当てがわれることが多く、
交通誘導が苦手な車掌もよく乗務していました。

ようするに仕事内容的には比較的楽な路線で
老バスになった「514」も最後のご奉公ということで
楽しむようにのんびり走っていたように思います。

ちなみに車掌的には一番儲かる路線でもありました。
時間外労働になると折り返す毎に15分貰えたのですが、
折り返す回数が多いピストンでは荒稼ぎができました。
それは学生バイトでも月に50万稼ぐ人がいたほどです。

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バス入口にバタンと倒すタイプの車掌椅子が見えます。
これが個人的に一番嬉しい点でした。

乗務中はこれに「座りたい!」と思っても、
基本的には立っていないといけない謎ルールがあったので
運転手の判断で座ることが出来れば天国そのものでした。

ちなみ「514」の車掌の定位置(車掌椅子がある空間)は
とても狭かった上に下方向が深かったように記憶しています。
なので、ちょっと乗りづらかったですね(^^;

1日の乗務車両は運転手は車両とペアになってはいたものの、
車掌はペアではなく日替わりで変わるのが基本でした。
この「514」も1週間に1度巡ってくるかどうかのもので、
仕業が決まると「あ〜、ハズレや!」と思ったものです。

当たりは島々所属の冷房車6台でした。

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車内は見事なまでのがらんどうです。
おそらく引退後は倉庫として使われていたのでしょう。

後部座席はきっちりと残ってますね。

この後部座席は分厚いシートを上に敷いて
お客用のザック置き場となることがありました。

始終点では車掌や係員数人で積み下ろしするのですが、
下山客が乗る上高地発の荷物はヤバい臭いだらけで大変でした。
これはまあ当然のことなので仕方ないところですが。

その他の客席はというと、
通路に補助席を2つ(!!)縦に並んでいました。
なんと、横一列は6人掛けだったのです。

今じゃ考えられない詰込み主義でしたが、
路線的な都合で立ち席が認められなかったからで、
無理矢理にも座らせていたのが理由だったようです。

沢渡ピストンでは渋滞はあまりなかったですが、
中には釜トンでの信号待ちが最長で13分10秒がありましたし、
お客的には相当な苦痛があったものと想像できます。

時代ですね〜

今回の件で記憶が再びいろいろ蘇ってきました。
また続編を書いてみます。


 


posted by にゃおすけ at 08:00 | Comment(2) | TrackBack(0) | 懐かしい記憶 | 更新情報をチェックする