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約1か月ぶりの東海道歩き。
この間に娘は小学生になりました。
前回の歩きからそう時間は経ってないものの、
小学生というだけで随分と成長を感じます。
移動では記念に京阪プレミアムカーを利用しました。
1つの席が500円の快適空間なわけですが
私「ガチャガチャ2回分出来るで。」
娘「高いわ!!」
娘「もう乗らんからガチャガチャさせて!」と。
さすがは大阪の女の子です(笑
いざ、淀宿へ出発っ!
桜は散ってはいるものの爽やかな貴重な晴れ間。
翌週から京都競馬があるので混む前に歩けてラッキーでした。
墨染寺。読み方は「すみぞめ」ではなく「ぼくせんじ」
墨染は駐車場が京都市内より安いので
パークアンドライドで度々使うことがあるのですが
狭い道だらけで車が多いという印象があります。
これだけ見れば京都市街も似たようなものですが、
かつて墨染には遊郭があったことがわかりました。
その名は『橦木町遊郭』
今は入口だった場所に二本の石柱があるぐらいで、
昔を偲ぶものは殆どないように見えました。
石柱には「志ゆもく町廊入口」と書かれてあります。
ここで、娘に遊郭のことをやんわり教えます。
「大人が遊びに行くところやねん」
「鬼滅にも出てきてたやろー?」
すると、娘は「あ〜、わかった!!」と。
アニメの力で説明が省けました(^^;
少しして「ちょっと腹減ったわー」と
娘が突然言い出します。
え、まだ1キロも歩いてないよ!?と思いつつ、
実は先ほどから和菓子屋がチラチラ見えていたのです。
いかにも寄れ的なニュアンスで言ってくる娘。
まんまと策略にハマってしまいました。
確実に成長しています(笑
甘味は街道歩きの楽しみ♪
しばらく行けば、伏見宿です。
宿場が近くなるにつれ賑わいが出てきました。
UFOが乗っかったようなアーケードに驚き、
古い道標を見てはテンションがあがります。
京都は戦災や災害が少なかったからか
古い建物が多く残っていて町歩きが楽しいものです。
「 左 ふねのり場」「右 京大津みち」
東海道五十七次 伏見宿。
伏見城の城下町でもあった酒どころ。
ただ、街道は酒蔵や寺田屋などの観光エリアを
迂回するような道筋になっています。
これは城下町でもあるがゆえのものでしょう。
ちなみに迂回したエリアには遊郭がありました。
地名に「西」「東」と付いてる辺りには、
往時を思わせる建物が一軒だけ残っていました。
この色合いがたまらんですね。
他にも、昭和6年創業の新地湯も目立つ存在で、
伏見の名水に入ることが出来る貴重な銭湯です。
お昼は舟を眺めながらコンビニ飯。
天気が良い日はこれが最高です。
遠方での歩きなら名物を食べるのですが、
近場ですし食べる機会はいくらでもあります。
何より、節約が肝心です。
伏見港が近づいてきました。
伏見は京と大坂を結ぶ水運の拠点でもありました。
この三栖閘門は宇治川との水位を合わせるための設備。
築堤改良に伴って昭和4年に作られています。
なんともお城みたいな外観がステキです。
娘「ここに2人用の椅子があるで!」と喜んで座ってます。
私「いやいや、そこ、椅子ちゃうちゃう」
娘「ええから、とうちゃんも座りー!」
娘の優しさを知れたひと時ではありましたが(汗
ここから先は宇治川沿いに進むのですが、
通る予定だった橋が老朽化で通れません。
大アクシデント発生!!
「ルートしっかり調べとかなあかんやん!」
と、至極まっとうなことを言われてしまう始末、
おかげで、東海道五十三次では出会えなかった
極上の藪漕ぎをを体験することが出来ました。
その結果、予定より30分多めに歩くことになったのと
足に大量の”ひっつき虫”がついてきました。
娘「ママに怒られるで!!」
と、必死に2人して取り合いっこ。
まぁこれはこれで良き思い出にはなりました(笑
横目に京阪電車がひっきりなしに走っていきます。
今回の旅で娘は「プレミアムカー」という言葉を覚えました。
私が子供のころは「テレビカー」と言ったものですが
これも時代の流れでしょうか。
橙の大輪が薄曇りの京都競馬場に大きく咲いた!
淀宿が近づいてきました。
城下町らしい道筋が続く三川合流の地です。
ここから宇治川は木津川、桂川と合流して淀川となります。
このような場所だったので、
古来から水害に悩まされていた町だったそうです。
昔の絵図を見れば水路があちこちにあったのが確認できます。
淀小橋の跡にも水路が残る
駐車場の長いロープを見て
「これ100人で大繩跳びできるやん!」
まー、楽しそうだけども(笑
淀宿のメインは少し先になりますが、
切りの良い京阪電車淀駅でゴールとしました。
次回は樟葉付近までを予定しています。