2024年01月23日

東海道で川舟体験(八軒屋浜→枚方)

娘と東海道で枚方を歩いていると、
淀川を舟で行けるというチラシを見つけました。

値段はネット予約で5800円。
舟代の他に資料館代、ガイド代などが付きます。

ちなみにこの区間を電車で行くと350円ほど。
実に16倍の値段なので正直迷いましたが、
参加して良かったと思える内容でした。

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かつて大阪と京都は陸路の東海道とは別に
淀川を使った舟便が盛んに運行されていました。
なので陸路の宿場町の賑わいは他の東海道と比べると
交通量の割に規模が小さかったのだそうです。

人気だった舟便はどういったものだったのか。
江戸時代とはかなり趣きが違うものと思いますが、
歴史好きにとって絶好の機会となりました。

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舟は大阪でおなじみのアクアライナー。
背丈は低く、コースによっては天井が上下します。

この日は11/23の祝日。
天候が良いにも関わらずガラガラでした。
(同日に優勝パレードがあったからかな?)

それはさておき、
今回の船旅で良かった点が2点あります。

その一つが語り部さんが同行してくれたことです。

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おそらくですね、
テープか何かの案内だけですと、
たぶんどこかで眠っていたと思います(笑

古い大阪弁で話す語り部さんがいたことで、
グッと心に響いてくるわけなんですよね。
話し方なんて私の祖父の言葉と似たものだから
懐かしい気がして終始楽しいものでした。

ちなみに大阪弁の中でもいろいろ種類がありまして、
泉州弁、河内弁などがあるわけなのですが、
とりわけ汚い言い方なのが河内弁と言われています。

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枚方の名物に「くらわんか餅」があります。

舟で売りに来る売り子が「食えや〜」「買えや〜」と
他の地域の人にとっては高圧的に聞こえる言葉ですが、
地元としては普通に使う言葉なんですよね。
言葉が名物の名前になった面白い事例だと思います。

船旅で良かった2つ目は毛馬の閘門です。

イメージとしては有名なパナマ運河と同じもので
川の内と外では水位が違うので調整なくしては通れません。
そこで舟に乗りながら上げ下げを行うというものです。

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普段は川砂利をすくう運搬船ばかり通るそうですが、
客船が通ること自体珍しくなかなかない機会だと思います。

もっとも江戸時代はこういうハイカラなものはなく、
淀川自体も毛馬で分かれる新淀川が開削されてないので
水位を気にせずとも進めたものとは思いますが・・・。

そういえば、新淀川という言葉。
昔はもっとあちこちで聞いた記憶があるのですが、
今では死語のような扱いになってしまったのか
とんと聞かなくなった気がします。

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枚方に着いてからは、
御殿跡と名物のかき氷を食らいました。
東海道歩きで出来なかったことの落穂拾いです。

最後に今回の船旅の感想を一つ。

時間をかけて枚方に移動したことで、
どこかめちゃくちゃ遠い町に来た感がありました。

よく行く町なのに見知らぬ町に来たような感覚。
これだけでも十分価値があったように思います。

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posted by にゃおすけ at 08:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | 近畿ボラボラ_大阪 | 更新情報をチェックする

2024年01月10日

パパとムスメの東海道五十七次・京阪牧野駅→光善寺

●4日目 牧野駅→枚方宿→光善寺


↑詳しいルートと記録は【山行記録のページへ】もご覧ください。

寒い寒い!
冬の寒さがやってきました。

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風が強くなかなか思うように進みません。

「こりゃ○○が歩いたら飛ばされるで!」
注・5歳次女の名前が入ります

娘もまだ7歳なのに妹の心配ばかりしています。

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街道歩きの靴は防水仕様。水たまりも負けない!!

思えば、これほどの寒さの中を歩いたのは
一昨年の東海道鈴鹿峠だったように思います。

防寒グッズはネックウォーマや手袋などは以前と同じですが
今となってはそれぞれ随分と小さくなったと感じます。
これも成長の証しといったところでしょうか。

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さっそく片埜神社で休憩。
秋の深まりを感じつつ菊をバックに撮影しました。
娘は今日もご機嫌のようです。

蹲(つくばい)などに一之宮の表記がありましたが
河内国の一之宮は枚岡神社ですしあれ?となりました。
恐らく交野地域の中での一之宮の意味なのでしょうね。

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街道歩き気持ちェェェ〜!

冬の街道歩きは防寒さえしっかりしておけば大丈夫なので
夏に比べると随分楽かななんて思います。

娘も急に走り出したりして
久しぶりの街道を満喫しているようでした。
(寒いから走って温まりたかったのでしょう)

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片埜神社への大阪側の入り口にあった立派な常夜灯。

昔は街道を歩いての参拝が一般的でしたから、
こんな場所が入り口だったの?と驚くことがありますが、
古い地図を見れば一目瞭然。導線が面白いようにわかります。

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京阪特急×娘×京阪快急のコラボが実現!

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私「ザクロだ!」
娘「なにそれ!」

そう言うのも無理もないでしょう。
私も数十年食べていません(久しぶりに食べてみたい)

それにしても、風が強く落ち葉が舞う道中。
これが小雨でも降っていたら大変なことになっていました。

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明治国道2号線の標柱がありました。

現代の2号線というとは大阪から下関ですが
当時は東京から大阪を指していました。

驚くのはこれが立っていた場所。
なんと京阪電車の踏切内にあったのです。

移設した痕跡があるとはいえ
京阪電車の開通前からのものなので感慨深いものがあります。

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椅子を見つけては休憩が欠かせません。

私「ちゃっちゃと歩いて早く終わらせたほうがいいよ」

と言うのですが、それには耳を貸さず、
娘は寒くてものんびりと行きたい派みたいです。

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枚方宿は淀川水運の港でも栄えた町。
今も立派な旧家が多いように思います。

枚方というと菊なだけあって、
家々の軒先に飾られる様子に目を楽しませてくれます。

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道路元標らしきものに座る。座り心地がいいらしい(汗

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枚方橋の跡や宗左の辻の道標といい、
駅のそばなのに遺構が残してくれてるのは有難いですよね。

おそらく多くの人にとって素通りされるもの。
気づかないものなのでしょうけど・・・。

あと、枚方宿内の街道はカラー舗装されているのもGood。
東海道を観光資源としているようにも見え嬉しく思いました。

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「あれ階段やん!」

不思議な階段のようにも見える建物に
私も娘もぼーっと眺めておりました。

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有名なかき氷屋さん。

さすがにこの日はお客は疎らでした。
人気店なだけに私も入るか悩みましたが
街道歩き中の無茶はやめておいたほうが良いでしょう。

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この道標は向きが逆ですね。
移設するときに撤去されるものが多い中で
今もこうして残されていることを喜ぶべきかもしれません。

まぁ、でも、せっかく残ってるのだから
正確な向きにと思うのですけどね…^^;

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くらわんか船の鍵屋を見学しました。
本日は関西文化の日で無料!

前回に引き続き娘のラッキーガールぶり発揮です(笑

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「これ何?なんでこうなってるん?」と興味津々。

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くつろぎすぎやで(笑

いやぁ、堪能できました。

鍵屋から先の光善寺までの区間は
堤防沿いと内陸を通る2つのルートがあったのですが、
ここは迷わず安全な後者を選びました。

ちなみに分間延絵図では堤防沿いが太く描かれています。

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立派な光善寺をバックに。

この場所は出口という地域で
京都と大阪のちょうど中間地点にあたります。

この先は長い長い淀川の堤防上を歩くことになりますが
あと残り2回なだけに楽しんでいきたいと思います。

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おまけ。
これは手を洗おうと近づいたけど
水がなかったので呆然とする様子。

反応がいろいろ面白い(笑


  

  
posted by にゃおすけ at 10:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | 東海道五十三次 | 更新情報をチェックする