淀川を舟で行けるというチラシを見つけました。
値段はネット予約で5800円。
舟代の他に資料館代、ガイド代などが付きます。
ちなみにこの区間を電車で行くと350円ほど。
実に16倍の値段なので正直迷いましたが、
参加して良かったと思える内容でした。

かつて大阪と京都は陸路の東海道とは別に
淀川を使った舟便が盛んに運行されていました。
なので陸路の宿場町の賑わいは他の東海道と比べると
交通量の割に規模が小さかったのだそうです。
人気だった舟便はどういったものだったのか。
江戸時代とはかなり趣きが違うものと思いますが、
歴史好きにとって絶好の機会となりました。

舟は大阪でおなじみのアクアライナー。
背丈は低く、コースによっては天井が上下します。
この日は11/23の祝日。
天候が良いにも関わらずガラガラでした。
(同日に優勝パレードがあったからかな?)
それはさておき、
今回の船旅で良かった点が2点あります。
その一つが語り部さんが同行してくれたことです。

おそらくですね、
テープか何かの案内だけですと、
たぶんどこかで眠っていたと思います(笑
古い大阪弁で話す語り部さんがいたことで、
グッと心に響いてくるわけなんですよね。
話し方なんて私の祖父の言葉と似たものだから
懐かしい気がして終始楽しいものでした。
ちなみに大阪弁の中でもいろいろ種類がありまして、
泉州弁、河内弁などがあるわけなのですが、
とりわけ汚い言い方なのが河内弁と言われています。

枚方の名物に「くらわんか餅」があります。
舟で売りに来る売り子が「食えや〜」「買えや〜」と
他の地域の人にとっては高圧的に聞こえる言葉ですが、
地元としては普通に使う言葉なんですよね。
言葉が名物の名前になった面白い事例だと思います。
船旅で良かった2つ目は毛馬の閘門です。
イメージとしては有名なパナマ運河と同じもので
川の内と外では水位が違うので調整なくしては通れません。
そこで舟に乗りながら上げ下げを行うというものです。

普段は川砂利をすくう運搬船ばかり通るそうですが、
客船が通ること自体珍しくなかなかない機会だと思います。
もっとも江戸時代はこういうハイカラなものはなく、
淀川自体も毛馬で分かれる新淀川が開削されてないので
水位を気にせずとも進めたものとは思いますが・・・。
そういえば、新淀川という言葉。
昔はもっとあちこちで聞いた記憶があるのですが、
今では死語のような扱いになってしまったのか
とんと聞かなくなった気がします。

枚方に着いてからは、
御殿跡と名物のかき氷を食らいました。
東海道歩きで出来なかったことの落穂拾いです。
最後に今回の船旅の感想を一つ。
時間をかけて枚方に移動したことで、
どこかめちゃくちゃ遠い町に来た感がありました。
よく行く町なのに見知らぬ町に来たような感覚。
これだけでも十分価値があったように思います。
