2024年03月25日

姫路レトロが楽しい!

姫路は空襲で焼け野原になりましたが、
その後の復興によるものが今も多く残ります。

姫路といえば姫路城が有名です。
すぐ隣に併設している動物園にも目を向けてみると、
驚きの懐かしい空間が広がっています。

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この動物園は市が運営しているもので、
規模は大きくないですがその分値段は安く、
気軽に楽しむことができるのが特長でしょう。

園内は昭和レトロを感じます。
遊園地のエリアには飛行塔もありました。

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値段は1回200円だったでしょうか。
たしかどの乗り物もこの値段だったと思います。

観覧車はコンパクトな1人乗りタイプ。
大人と子供なら2人で乗れそうな感じです。

ギシギシ音がたまらないです。

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個人的に姫路城を眺めるスポットとしては、
この動物園からの眺めが気に入っています。

水を張った堀と石垣も入った構図が取れて、
人に邪魔されない静かな空間。

平成の大修理から随分と経ってきて
真っ白だった屋根が灰色になってきています。
ようやく年を重ねて風格が戻ってきた感がします。

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ちなみに姫路へは新幹線を利用しました。
新大阪を昼前に発車するキティ新幹線です。

キティちゃん好きにはたまらんでしょうね。
もちろん、うちの娘も大喜びでした。

 
posted by にゃおすけ at 08:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | 近畿ボラボラ_兵庫 | 更新情報をチェックする

2024年03月06日

電車の懐かしい記憶

小学校低学年ぐらいまでの記憶で
備忘録がてらに書いてみました。

まず前提として近鉄大阪線住民でしたので
関西の鉄道がメインとなります。

==国鉄==

おそらく京都へ行ったときのこと、
153系新快速に乗車した記憶があります。
混んでいたので中程まで入って立っていました。
昼下がりで車内全体に気だるさが漂っていて
子供ながらに早く降りたいと思うほどでした。

かなり断片的な記憶ですが、
近鉄民なので京都へは京阪が便利だったはずで
わざわざ国鉄を利用した理由はなんだったのか、
今となっては不思議でしかありません。

==近鉄==

小学校高学年になると隣町の塾へ通っていのですが、
乗る電車のタイミング的にいつも会う電車がありました。

それはまるでガイコツのような顔で、
電車の編成は凸凹。全く統一感がありません。
しかも誰も乗っていない・・・。

当時、幽霊電車と言っていた気がします。

大人になってから調べてみると、
鮮魚列車なるものだとわかりました。
ガイコツに見えていたのは元奈良電の特急車両でした。

この他に当時は2両の運用もよく見かけました。
小学校から窓越しに線路が見えたのですが
「また2両や、儲かってないんやな」
と、子供ながら思ったものです。

それらは旧型車両を使った荷物電車と、
名阪ノンストップ特急でした。

そういえば昔は宅急便がなかったので
鉄道駅には小荷物窓口があって賑わっていました。
窓口の中を見ると何人も働いてる姿が見えたのですが、
こういう駅でも今は無人駅になってたりするので驚くばかりです。

==南海==

高野山へ祖父に連れていってもらった時のこと、
カッコいい「こうや号」には満席で乗ることが出来ず、
一般車を使った臨時のこうや号で移動しました。

クロスシートは継ぎはぎだらけ、
車内は薄暗くて少し怖かった記憶しかありません。

祖父は「臨時のでゴメン」と謝っていましたが
今となっては逆に貴重な経験だったと思います。

==阪急==

我が家では正月の1/2は清荒神へ行っていました。
台所の神様なので関西で有名な神社です。

当時は臨時特急が走っておりました。
ヘッドマークには「初詣」の文字。

当時の私はそれを「はつゆびで」と読んでいました。
子供の頃ってこういう読み違い多いですよね。
今でも初詣の文字を見ると思い出します。

あと、阪急といえば
西宮北口のダイヤモンドクロスの記憶があります。
廃止前は吊りかけの旧型車も走っていましたので、
通過する時の音は強烈でした。

==名鉄==

田舎が愛知の南知多でしたので
夏休みなどは近鉄特急に乗って行っていました。

当時の名鉄は他の私鉄に比べると
旧型電車がまだまだ第一線で活躍してました。

富貴で特急から普通に乗り換えますが、
そこで待っていたのは”なまず”であったり、
”いもむし”であったりと往年の名車なわけです。

その貴重さは後になってからわかったのですが、
走ると轟音で振動が響き渡り一言でいうと煩いのです。

「ふるーふるー」(吊りかけモーターの音)

こんな感じの音なので
「古い電車だからふるーふるーって言ってるんや!」
と、子供ながらに納得していたのでした。

そういえば当時は海水浴輸送が凄かったですね。
マイカーよりも鉄道の需要が大きかったのでしょう。
いまは臨時すらないというのが驚きでなりません。

あと、思い出すのは名古屋駅。
今もそうですがひっきりなしに電車がやってくる様は、
地下ということで暗くてかなり怖かったです。
近鉄との連絡通路も薄汚く背も低く怖かった記憶があります。

==阪神、京阪==

乗ったかもしれないのですが
ほとんど記憶に残ってないのがこの2社。

阪神は沿線に縁がなかったのはわかるのですが
京阪には京都寄りに便利な場所がいくつもあります。
あと、ひらぱーという遊園地もあります。

でも、記憶に残ってないのは、
京都の観光地は寺社仏閣がメインなので
子供を連れていくことはなかったのでしょう。

ひらぱーに関しては、
当時は各電鉄に自前の遊園地があったので
近鉄民だとわざわざ行かなかったのだと思います。
ちなみに初ひらぱーは大人になってからでした。

以上、簡単にではありますが、
昔の電車の記憶をまとめてみました。
たかが40年前といっても随分と変わったものです。


  
posted by にゃおすけ at 08:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | 懐かしい記憶 | 更新情報をチェックする