小学校低学年ぐらいまでの記憶で
備忘録がてらに書いてみました。
まず前提として近鉄大阪線住民でしたので
関西の鉄道がメインとなります。
==国鉄==おそらく京都へ行ったときのこと、
153系新快速に乗車した記憶があります。
混んでいたので中程まで入って立っていました。
昼下がりで車内全体に気だるさが漂っていて
子供ながらに早く降りたいと思うほどでした。
かなり断片的な記憶ですが、
近鉄民なので京都へは京阪が便利だったはずで
わざわざ国鉄を利用した理由はなんだったのか、
今となっては不思議でしかありません。
==近鉄==小学校高学年になると隣町の塾へ通っていのですが、
乗る電車のタイミング的にいつも会う電車がありました。
それはまるでガイコツのような顔で、
電車の編成は凸凹。全く統一感がありません。
しかも誰も乗っていない・・・。
当時、幽霊電車と言っていた気がします。
大人になってから調べてみると、
鮮魚列車なるものだとわかりました。
ガイコツに見えていたのは元奈良電の特急車両でした。
この他に当時は2両の運用もよく見かけました。
小学校から窓越しに線路が見えたのですが
「また2両や、儲かってないんやな」
と、子供ながら思ったものです。
それらは旧型車両を使った荷物電車と、
名阪ノンストップ特急でした。
そういえば昔は宅急便がなかったので
鉄道駅には小荷物窓口があって賑わっていました。
窓口の中を見ると何人も働いてる姿が見えたのですが、
こういう駅でも今は無人駅になってたりするので驚くばかりです。
==南海==高野山へ祖父に連れていってもらった時のこと、
カッコいい「こうや号」には満席で乗ることが出来ず、
一般車を使った臨時のこうや号で移動しました。
クロスシートは継ぎはぎだらけ、
車内は薄暗くて少し怖かった記憶しかありません。
祖父は「臨時のでゴメン」と謝っていましたが
今となっては逆に貴重な経験だったと思います。
==阪急==我が家では正月の1/2は清荒神へ行っていました。
台所の神様なので関西で有名な神社です。
当時は臨時特急が走っておりました。
ヘッドマークには「初詣」の文字。
当時の私はそれを「はつゆびで」と読んでいました。
子供の頃ってこういう読み違い多いですよね。
今でも初詣の文字を見ると思い出します。
あと、阪急といえば
西宮北口のダイヤモンドクロスの記憶があります。
廃止前は吊りかけの旧型車も走っていましたので、
通過する時の音は強烈でした。
==名鉄==田舎が愛知の南知多でしたので
夏休みなどは近鉄特急に乗って行っていました。
当時の名鉄は他の私鉄に比べると
旧型電車がまだまだ第一線で活躍してました。
富貴で特急から普通に乗り換えますが、
そこで待っていたのは”なまず”であったり、
”いもむし”であったりと往年の名車なわけです。
その貴重さは後になってからわかったのですが、
走ると轟音で振動が響き渡り一言でいうと煩いのです。
「ふるーふるー」(吊りかけモーターの音)
こんな感じの音なので
「古い電車だからふるーふるーって言ってるんや!」
と、子供ながらに納得していたのでした。
そういえば当時は海水浴輸送が凄かったですね。
マイカーよりも鉄道の需要が大きかったのでしょう。
いまは臨時すらないというのが驚きでなりません。
あと、思い出すのは名古屋駅。
今もそうですがひっきりなしに電車がやってくる様は、
地下ということで暗くてかなり怖かったです。
近鉄との連絡通路も薄汚く背も低く怖かった記憶があります。
==阪神、京阪==乗ったかもしれないのですが
ほとんど記憶に残ってないのがこの2社。
阪神は沿線に縁がなかったのはわかるのですが
京阪には京都寄りに便利な場所がいくつもあります。
あと、ひらぱーという遊園地もあります。
でも、記憶に残ってないのは、
京都の観光地は寺社仏閣がメインなので
子供を連れていくことはなかったのでしょう。
ひらぱーに関しては、
当時は各電鉄に自前の遊園地があったので
近鉄民だとわざわざ行かなかったのだと思います。
ちなみに初ひらぱーは大人になってからでした。
以上、簡単にではありますが、
昔の電車の記憶をまとめてみました。
たかが40年前といっても随分と変わったものです。
posted by にゃおすけ at 08:00
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