さぁ行こう いざ参らん!最終回!
↑詳しいルートと記録は【山行記録のページへ】もご覧ください。
春の陽気の快適な道中となりました。
娘のファッションも春らしくジーパンスタイル。
歩きにくそうではありますがこれが良いとのこと。
その日の気候に合わせて服を柔軟に決めれるのは
ゴール地(大阪市)に住んでる利点かもしれません。
守口宿から続く文禄堤上の道を進みます。
途中にあった公園では桜がチラホラと咲いていて
例年なら満開になる4月初めでも今年は随分と遅めです。
ふと娘に目をやると変わった遊具に挑戦中。
私「ブランコや滑り台もあるよ」
娘「いらんわ!」
だって(笑
普段の町歩きと同じように見えても
ここは東海道なんですよね。
そう思うと景色が違って見えてきます。
なんだか不思議な感覚です。
娘が国道を走る天満橋行きのバスを見て
「あのバス乗っていけばゴールちゃうん?」
それじゃ意味ないんだよな〜
千林商店街は公設市場、闇市と多彩な歴史を持つ
テーマソングが流れる賑やかな商店街。
東海道の25mほどは全覆いアーケードになっています。
娘には日頃から商店街=安いと教えていることもあってか、
ルートを外れて探索を始めようとしてました。
恐らく目的はポケモンカードかガチャガチャでしょうけど
自らルートを外れようとするのは今までになかったこと。
町歩きの楽しさを7歳にして会得したかのようです。
スマホを駆使してメモする様子。
何か気になると調べたりすることが増えました。
これも東海道歩きの初期と大きな違いですね。
川に差し掛かると娘は魚を必ずチェックします。
あれは滋賀県区間だったか、それ以来ずっとです。
私「魚おる??」と聞くと
娘「正直言って京阪電車といっしょの色やで!」
と川の色を電車に例える始末(笑
発想のほうも随分と成長してきました。
関目から野江にかけては七曲りと呼ばれていて
昔はウネウネとした道となっていたそうです。
一説には大阪城防御のためだったとか。
痕跡は大通りの脇に残る道筋だったりするのですが、
一歩そこに入ると昔のままの風情が今も残っていて、
まるでタイムスリップ気分を楽しめました。
写真の野江の商店街の緑の幕も実に良きですね。
今回の区間は町中とはいえ意外と旧道が多いので
生活感がある中を歩けて実に面白いものがあります。
やがて、JR京橋駅へと続く商店街へ。
ここも千林と同じく人通りも多く賑やかですが、
ひと際目立つモニュメントがこれ!
私「口の中に手を入れるとやばいで」
私「言うこと聞かない子は食われてしまうらしいで」
娘「その前に届かんやろ」
そやな(笑
ちなみに京橋とは大阪城に架かる橋のことで、
大阪城から京へ行く超重要な橋でした。
でも、京橋駅から結構離れています。
どちらかというと天満橋駅のほうが近いです。
これは鉄道開業時のことが関係しています。
当時京橋に一番近い駅が現在の京橋駅だったのです。
大阪城だ!
あと1キロで東海道歩きが終わってしまう。うぅぅ。
五十三次の日本橋の時ような号泣近い感じではないものの
娘と歩き終えるという感慨深いものが沸いてきました。
で、娘はというと、
駄洒落を思い付いたらしく即メモしています。
「いぬはいいぬりえをかく」😇
見てくれこの脚!見てくれこの脚!
これが東海道を歩き切った娘の脚!
これにて高麗橋で完歩!!やった!
世界中の街道ウォーカーに
東海道を歩き切ったことを報告したい。
そういう気持ちを嚙み締めつつ
大阪らしくうどんで完歩ぃをしました。
5歳から始めた東海道歩き。
一気に歩くと20日ほどで歩ける距離ですが、
間もなく8歳を迎えるところで完歩となりました。
これだけ長い期間をかけると娘の成長がよくわかります。
初期のころは休憩ばかりしていたのが嘘のようです。
私「そろそろ休憩しよか」
娘「休憩せんと早うゴールするで!」
こんな具合です(笑
次なる目標としては佐屋街道が待ち受けています。
五十三次の七里の渡し区間では電車でワープをしました。
これでは東京から大阪を完全に歩いたことにはなりません。
娘にはもうちょっと頑張ってもらうことにしましょう。
それが終われば娘が行きたいとなったら一緒に歩く方向で。
街道ウォーカーの下地は十分に整いました!