2024年08月26日

網干レトロを堪能

網干というと関西では馴染みのある地名です。
JRの車庫があって網干行き電車があるからですが、
今回の場所は少し離れた山陽電車の網干駅界隈です。

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早朝の電車に乗ってまず向かったのは
町のシンボル的存在の旧網干銀行(大正11年築)
銅板で出来たドームや煉瓦と窓を交互に配した外観といい、
大正期が詰め込まれた感じがとても良いものでした。

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網干は全体的に観光地化されてる感じはない印象で、
大都市姫路に近いこともあって極端な過疎化もなく、
生活感があるレトロさ加減がなんとも良い感じです。
あと、小一時間で巡れるコンパクトさも良いものです。

唯一、観光地化されてるなと思ったものは
先ほどの旧網干銀行はお洒落なレストランになっています。
営業前だったこともあり中に入れませんでしたが、
近代建築の中での食事はさぞや美味しいものと思います。

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町を歩けば瀬戸内海航路の要衝だった頃を思わせる
立派な旧家をあちこちで見ることが出来ました。

その中でひと際目立っていたのが
3階建て望楼を持つ山本家住宅。

「神戸より西にない建物を」と造られたもので
道路から外観だけ見てもその立派さが伝わってきます。
毎月第1・第3日曜に一般公開されてるそうなので、
中がどうなっているか見学する価値はありそうです。

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「境橋」跡は欄干のみが残ります。
江戸期は龍野藩、丸亀藩の両藩が治めていましたが、
その境界というべき場所が町を流れる川でした。

ちなみに丸亀藩は元々は網干の領主でしたので、
飛び地になっても引き続き支配する事情があったのでしょう。
このことからも町の重要さがわかるような気がします。

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こちらはダイセル異人館です。

明治41年にセルロイドの技術指導のために
招いた外国人技術者の宿舎として建てられた洋館です。

綺麗に外壁が塗装されて
とても美しい状態で保存されています。
見学も可能ですが今は受付停止中のことでした。

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ここで純喫茶アポロで少し遅めのモーニング。
どでかいアーモンドトーストには驚きました。

パンを一枚追加で頼んでいたのですが、
このボリュームなら追加せずに良かったかも。
それだけ満足できた一品でありました。

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網干散策は3時間ほど楽しみました。

この後は姫路へと移動しました。
お目当ては「あずきミュージアム」です。

関西では知らない人がいないと言われる
回転焼きである「御座候」の本拠地であります。
かねてから行ってみたい場所だったのですが、
いかんせん入場料が高い・・・。

企業ミュージアムは無料の場所が多いだけに
なかなかの強気な価格設定なわけですが、
内容と金額が釣り合わない感じは残念でした。
(これは見る人によって違うと思いますが・・・)

すいません。愚痴になっちゃいましたね。

この後は舞子の木下邸を見学して帰路につきました。

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愚痴ついでにもう一つ・・・。

せっかくの網干めぐりだったのですが、
写真を撮ってると前から車が迫ってきます。

そして邪魔だといわんばかりに
車のエンジンを吹かしまくって私をどかそうとします。
どうやら私がいる歩道脇に止めたかったようですが、
もうちょっとやり方があるでしょうに。。。

まぁこればっかりは人それぞれ事情があるので
どれが正解かは難しい問題ではありますが、
ここに限らずとも観光地でない町では
住んでいる人々の生活の場でもあります。

そのことを頭に入れて散策しておかないと、
何かしらのトラブルになることもあるのではと
改めて考える良い機会になりました。

また再訪してみたいと思います。

 
posted by にゃおすけ at 08:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | 近畿ボラボラ_兵庫 | 更新情報をチェックする

2024年08月05日

パパとムスメの佐屋街道・桑名宿→佐屋宿

●1日目 桑名宿→長島→佐屋宿


↑詳しいルートと記録は【山行記録のページへ】もご覧ください。

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先日の東海道五十七次でゴール高麗橋に無事に到達。
ただし、七里の渡し区間では電車でワープしているので
東京-大阪を全て歩き切ったということにはなりません。

これではお友達に説明しても拍が付かない!

そこで七里の渡し区間にある佐屋街道を歩いて、
東京-大阪を完全なる完歩を目指すという作戦です。

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五月晴れとなった桑名の渡し場。
前回は2022年1月の大雪の日だったので
同じ場所でも随分と印象が違って見えます。

さっそく六華園で休憩。
鹿鳴館に似た重厚な作りに癒されました。

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ここで佐屋街道を整理しておきますと、
桑名と宮の間は一般的に七里の渡しがありましたが、
七里となると28kmなので結構な船旅です。

船が苦手な人は佐屋街道で迂回も多かったのですが
ここにも木曾三川を越える渡しがあるんですよね。
いわゆる三里の渡しです。

えー、結局は船に乗るの!?な感じですが、
七里の渡しが海を進むのに対して川を進むので
揺れ具合など全然違うものだったと想像できます。

そんな三里の渡しですが川砂の堆積が問題で
晩年は思うように航行できなかったと聞きます。

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背後に長大河川を見てご機嫌ポーズ

今回の1日目はまさに三里の渡しの区間です。
道が存在しなかったのでルートはどこでも良いのですが、
折角ならと旧道がある場所はそこを選んで歩くことにしました。

現代の難所と言うべき揖斐長良川橋梁。
薄い鉄板が敷かれただけの狭い歩道部分は、
所々でネジが外れていたりと劣化が直に見て取れます。

眼下を見ると足が竦むぐらいの怖さもあって、
何かが縮んだ思いです(汗

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娘はというと意外と余裕。
川を見て魚を監視するのは相変わらずです(笑

対岸は長島という地域。
木曽三川の堤防に囲まれていることから、
洪水対策の仕組みがあちこちで見られます。
いわゆる輪中と呼ばれるものですね。

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今や”なばなの里”などのレジャーで人気ですが、
水害の度に不死鳥のように蘇ってきたことは
相当な苦労もあったことでしょう。

と、ここで昼食タイム。
どさんこラーメンに入りました。

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お子様セットお菓子付きを頼んだら
なんということでしょう。1箱丸ごとでした。

これで850円。
普通の味噌ラーメン780円より高いだなんて(汗

娘「えー、食べきれないよ」

その後のお菓子をリュックにどうしまうか
悩みまくったのは言うまでもありません(笑

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さすがは長島。一向宗の立派なお寺が目立ちます。
旧道には古い道標も立っていて雰囲気も良しです。

「前ケ須 津島 宮 名古屋道」と見えます。
もちろん我々は津島方面へ。

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木曽川を昭和8年供用の尾張大橋で渡って
長大橋梁との恐怖はこれで終わりとなりました。
それにしても今も国道1号の現役の橋とは恐れ入ります。

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暑さを忘れる心地よいJRガード下で休憩タイム。
ここで今回のファッションアイテムを紹介しましょう。
まず、サングラス。ええ、100均のです。

「全然まぶしくなーい!快適!」
「いくら歩いても全然つかれなーい!」

私が「今5kmぐらい歩いてるよ」と言うと、
「え?2kmぐらいやと思っていたわ!」と娘。

100円でも効果絶大です(笑

あと、今回は初日だけリュックを背負ってもらいました。
中身は扇風機やタオル、そしてお菓子....。

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ふと娘が草を2本拾ってきて
「父ちゃん!対戦しよう!」と言ってきます。

2本重ねて切れたほうが負けという遊び。
名前はなんだったか忘れましたが、
小学校で教えてもらったのでしょう。

ゆったり行程だからこそできる遊べる余裕。
娘とのふれ合いは楽しいひとときです。

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思わず東京タワー!と喜ぶ娘。

やがて1日目のゴール佐屋宿へ。
最盛期には旅籠が31軒建ち並んでいたそうです。

今回、名古屋駅前に宿を取ったのですが、
夕食は折角ならと地元のものを味わいたいもので、
途中の枇杷島に聖地があったので寄ることにしました。

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その聖地とは「COCO壱番屋の創業店」
娘にとってはただのカレー屋に見えるでしょうけど、
若いころに1300gを挑戦した身でもあったので、
私はやや興奮気味。いつも以上に美味しく頂けました。

2日目は津島界隈の道中となります。

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posted by にゃおすけ at 08:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | 東海道五十三次 | 更新情報をチェックする