木曽路も深くなっていきます。
↑詳しいルートと記録は【山行記録のページへ】もご覧ください。
須原宿からは
旧中山道が線路に分断されたり
消えてる区間がさらに多くなってきます。
この先は線路で分断。少し迂回します・・・
並行する国道は19号線。
塩尻〜中津川の区間って
ほとんど信号もなく快適走路なので
同区間の高速道路と所要時間的に
あまり変わらなかったりします。
なので、飛ばす車が多いこと。
通称「木曽高速」とも呼ばれてますね(^^;
そういう国道を横断するのですが
あくまで安全第一。左右確認は怠らずに
注意して先をすすみますー♪
倉本駅からは翌朝より歩き出しました。
さすがに木曽路の早朝は
涼しいーーー!
心地よい気温のうちに距離を稼ぎます。
線路の脇道をウネウネと
沿道にはコスモスも咲いていたりして
まるで秋の装い。
そういや、宿では
寒さで目が覚めたっけ。。。
さぁ、名勝の小野の滝です。
中山道のすぐ脇にある大きな滝。
マイナスイオンが飛び散っています。
その時、突然轟音が。
オー!ノー!!
滝の前に
中央線の鉄橋があるんですが
その電車の通過音・・・。
静かなところだけに
轟音にはかなり驚きました(^^;
滝から少し山路に入り
川を眺めます。
橋の欄干には国道19号の文字が。
すれ違いもままならないほどの道幅。
これが昔の国道だったなんてー
木曽路の過酷さがよくわかりますねぇ。
階段を登り〜
この辺り、名勝が続きます。
寝覚の床です。
木曽川が作った奇岩群。
下まで降りてみると
なんとまぁ日本離れしてる光景!
それにしても
よくこんなところに流れてるなーと。
朝早くの訪問だったので
観光客もまばら。
良い景色を堪能できました。
旧中山道から寝覚の床への分岐には
古い茶屋の建物が残っていました。
現代でいう観光地にある
土産物屋や食堂の感覚でしょうか。
江戸期のそういう施設が残ってることは
観光地の当時の雰囲気を知る上で
とっても貴重ですよねー。
ほどなく行くと上松宿です。
過去の記憶では
駅前に貯木場が広がっていたんだけどなー。
その姿は見当たらず・・・
単なる思い違いなのかも(^^;
でも、この辺りは木材の産地。
中山道沿いの土地には
木材を置いてるトコが多いこと!
木曽ヒノキや杉など
木曽路ならではの光景です。
古い家もあまり残ってないものの
江戸方の枡形の辺り良い雰囲気。
朝は地元の方々も洗濯などで大忙し。
古い町並みで生活の光景を見るのも
街道歩きでの醍醐味(^^)
国道沿いを進みます。
相変わらず歩道のないところが多いこと。
まだ晴れてるからいいものの
雨の日は大変そうです><;
歩道がないということは
道幅を広げれない何かがあるものです。
それだけ、
地形的に過酷なところなのでしょうね。
その過酷さを物語る名所は
「木曽の桟」
読み方は「きそのかけはし」
国道の下に往時の石垣が残ってます。
この辺りは丸太を組んだ
橋のような道路があったそうなんですが
かなりの難所だったのでしょう。
転落して死んだ人が多かったそうです。
線路の脇の細い道を進みます。
山の中にあるからか
手入れをしていないと
草が生えまくってる区間も・・・。
忠実に昔のルートを辿るのが基本ですが
夏場の草ボウボウのところは
やや歩くのに気が引けます(^^;
でも確実に残ってるようなとこは行くけど
途中で消えていたりする場所は
今回はちょっとスルーしちゃってる所も。
実は蝉が苦手なんですwww
国鉄時代の線路のトンネルで
旧道をバイパスして歩くと
やがて福島宿。
比較的大きな町です。
田舎町なんだけど
ずっと山道だっただけに
大都会に見える不思議w
ここまで
難所の連続だっただけに
どこかホッとしましたー♪
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この先エドコヒガンザクラと鯉の養殖池の脇を通り、中央線の踏切を渡って19号に戻る、あの道?
まさしくその辺りですー。
後ろを振り向くと
面白い景色だったんで
思わず写真を撮ってみました♪
行く方角の景色もいいけども
木曽路は自然豊なところですし
今来た道の景色も見逃せませんね(^^)
ぼくの推測では、おそらくあれもいつぞやの時代に中山道であったと思うのですが、コヒガンザクラを過ぎたところから再び国道19号に戻り、国道の北側(つまり木曽川と国道にはさまれた道)が中山道らしいです。
先日旅行会社のコースではそちらを設定されましたが、ぼくらはあえてにゃおすけさんと同じ道を歩きました。
初期のものと江戸後期とルートが違ったり
災害によってルートが変更になったものなど
どのルートを歩いたらいいのか
実に悩むところでありますよねぇ(^^;
そして与川道などの脇道も魅力的で
いつかスポット的にまた訪れたいと
ちょっと考えています♪