佐久平へ夜行バスで向かいました。
↑詳しいルートと記録は【山行記録のページへ】もご覧ください。
さすがに寒い!!
快晴の日なので放射冷却があったのでしょう。
川からは「蒸気霧」が発生してました。
止まっていると冷える一方なので
即、岩村田の観光へGO!
そこで役に立ったのが
「佐久っとナビ」というiPhoneアプリ。
地図を見ることはもちろん
クリックすると豆知識まで見れるという
ガイドブック見なくてもこれ1つで
いろいろ観光できるのはいいですねー。
武田家ゆかりの龍雲寺。
岩村田宿には本陣がなかったので
その代わりを果たしていたとか。
たしかに立派な建造物です。
その後、大井城跡→鼻顔稲荷神社
→岩村田遊郭跡などを散策し
いざ、中山道のスタート!
今回も雲一つないお天気。
ありがたいことに浅間山がよく見えます。
岩村田の市街地を進み、
車道の端に名残の松がありました。
文献によるとここは茶屋の跡らしいですが
この辺りはほんと眺めの良いところですね。
現代は家が立ち並ぶ感じですが
当時はさらに素晴らしかったことでしょう。
やがて旧道に入り
しばらく行くと小田井宿。
女性がよく泊まったというので
姫の宿と言われていたそうです。
信濃路独特の家がチラホラ点在し
宿場の真ん中を貫いていた水路は
右端に移設されつつも健在というのは
なんとも嬉しい限りです。
本陣も健在。
家の前には立派な松の木が。
小田井宿は
なんともひっそりした
雰囲気がいいですねー。
さて、歩みを進めましょう。
岩村田宿からの道は
緩やかな勾配がずっと続いています。
時折、キツイ坂になってる部分も。
でも、疲れたからって休憩すると
一気に汗がひき寒くなるー。
冬の街道歩きは
なかなか休めないのが辛いとこです。
御代田の一里塚です。
中山道制定以前のものらしいので
古中山道時代のものでしょうね。
枝垂れ桜が植えてあり
浅間山とのコラボがいい感じです。
これを過ぎると
沿道の家は少なくなってきます。
浅間山が作ったと思われる地形。
火山灰などの影響でしょうか。
独特な光景を楽しませてくれます。
遠くに槍穂高連峰の山々が。
標高が高いところは
すっかり雪化粧になってました。
追分宿より2km手前には
旧道が残っていました。
(ルートマップを確認ください)
写真のとおり
草道のようになっています。
西から来る分には
この草道の入口はわかりずらいですが
どちらにしても家の敷地の中を
進む形に今はなってしまってます。
こういうとこは
行きたくても行きずらいのが
ちょっと辛いところですね(^^;
そこに街道の面影があるのに・・・
追分宿の手前には
中山道69次資料館がありました。
いつも手に持って歩いてる
ガイドブックの作者さんが館長です。
左の白い建物が資料館
じっくり説明を受けたり資料を楽しんだり
おまけにサインまで頂きましたー♪
追分宿の名前は
北国街道と中山道の分岐点からきてます。
そこには立派な道標があり
お地蔵さんや石碑も多数。
この日の追分宿は
道路が工事中でした。
石畳風の舗装にするそうです。
往時は大変賑わっていたそうですね。
岩村田宿から続いていた勾配も
とりあえず一段落。
浅間山を見ながらの
ゆったりした道を進みます。
国道との並行区間では
18号の最高地点となる看板も。
相変わらず外の空気は冷たい(^^;
沓掛宿は今の中軽井沢。
大火があったそうで古い建物など
宿場の面影はほとんどありませんでした。
あるのは
一里塚付近の標識のみ・・・。
もう沓掛の名は
ほとんど埋もれてしまってます。
沓掛宿の見所は「左浅間」でしょう。
東海道の「左富士」のようなもので
江戸から来た時に左に見えるのが
この付近のみということです。
本来の旧道は
河川の東側を通っていましたが
現在はその跡形がほとんどありません。
下に降りると藪が満載。
ここは迂回するのがベストでしょう(^^;
その先の旧道も
草道なところもありました。
線路沿いに行くわけですが
これもどれが本来の道だったのか
埋もれてしまってましたねぇ。
踏切を越えるとゴールまで後少し。
一気にリゾート地ぽさが出てきました。
別荘やお洒落なレストランなど
これまでの街道歩きの中では
お目にかかったことのない光景です。
大きい針葉樹林の並木道。
このような道がずっと宿まで続きます。
名所の雲場池を見学したあと
やがてゴール!!
夕刻近くの気温は
すでに0度になっていました。
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