2012年03月12日

熊野街道その2・天王寺→堺市

熊野街道紀伊路。
天王寺から堺市へまいります。

R0017888.JPG


↑詳しいルートと記録は【山行記録のページへ】もご覧ください。

アーケードのある歩道。
四天王寺のあたりから続いていた
こういう屋根付きの歩道も
この辺りになると人もまばらに。

R0017890.JPG

阪堺電車の電停で””阿倍野”の文字。
呼び名の歴史はかなり古いもの。

R0017896.JPG

熊野街道沿いの地名を眺めてるだけでも
とても勉強になりますねー。

R0017903.JPG

R0017920.JPG

松虫付近から旧道に入ると”阿部王子神社”

大阪府下唯一旧地に
現存の王子社として残るものだそうで
往時の雰囲気がとても伝わる風情があります。

R0017914.JPG

この近くには
安倍晴明の生誕地も。

R0017908.JPG

R0017932.JPG

帝塚山の高級住宅地街をぬけます。

R0017936.JPG

オシャレな喫茶店が多い多い!
天満橋から歩いてくるとちょうど一服も
良い頃合かもしれません。

R0017937.JPG

やがて万代池公園。

聖徳太子が
曼陀羅経をあげて池に棲む魔物を鎮めた。

という言い伝えがあるらしい。
それで「まんだら池」が転じて万代池。

R0017939.JPG

その池の湖岸沿いを進んでいきます。

R0017944.JPG

住吉の界隈になると
住吉大社で栄えた町の雰囲気になります。

R0017949.JPG

八尾方面から来る街道もあったり
古い建物も多くなかなか良い町並みです。

R0017956.JPG

遠里小野地区。
呼び方は「おりおの」

R0017972.JPG

少し変わってますよね。
古代からの古い地名です。

R0017973.JPG

江戸期の大和川付け替えで
大きな河川がここにはあるのですが
熊野街道が出来た当時はこれはないものなので
平坦な光景が広がっていたことでしょうね。

R0017970.JPG

江戸期に出来た川の影響で町が分断。

今もその名残として
川を挟んで大阪市側にも遠里小野。
堺市側にも遠里小野の地名があります。

R0017989.JPG

堺市に入ると
ルートがよくわからない箇所が多くなります。

これは中世の環濠の影響もあったり
太平洋戦争中の空襲も関係あるのでしょう。

R0017994.JPG

境王子の跡を過ぎると方違神社。

神社の周りに道はあるものの
ここの境内の中を皆通っていたものと思います。

R0017995.JPG

というのも、

古くから遠方へ出かける時その方向がよくない場合に、
一度別方向に向かってから出かける風習がありました。

方違神社はそのような時にお参りする
全国でも珍しい神社で、遠くへ旅する時や家を移る時などに、
ここに参れば災難に会わないという言い伝え〜
(堺観光ガイドより抜粋)

R0018004.JPG

こういう風習がある以上は寄ったと思うのが普通かな。
境内の常夜灯群はとても立派で見応えありました。

R0018011.JPG

仁徳陵古墳を横目に歩き
環濠の跡と思われる堀が見えると
宿院からの熊野街道別ルートと合流してゴール!

R0018016.JPG
川のように見えるのは環濠の跡

R0018022.JPG

さぁ、次回は和泉地方を歩いていきます。

 
posted by にゃおすけ at 20:32 | Comment(1) | TrackBack(0) | 熊野・紀州への街道 | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
こんにちは。ユートラベルノートと申します。
ブログ楽しく拝見させていただきました。

ユートラベルノートは、いろいろなブログや現地の旅行情報を集めたサイトで、たくさんの方がクチコミを共有したり、意見を交換できる場所です。
今後ワールドトラベルノートとして、世界中の情報を集めていく予定です。
是非この貴重な情報が詰まったブログをユートラベルノートに登録していただき、情報を必要とされているたくさんの方に広めていただけませんか?
よろしければ是非一度ユートラベルノートに遊びに来てください!!

↓ご質問などは…
contents@utravelnote.com
↓イベントも進行中です!!
http://www.utravelnote.com/member/gather/blogPermitForm.html
Posted by ユートラベルノート at 2012年03月28日 10:13
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:


この記事へのトラックバック