東京まで残り100kmっ!
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この日は綺麗に晴れましたー♪
同じ倉賀野宿でも天候が変われば
全然印象が違うものですねぇ。
日光例幣使街道との追分。
左へは日光、右は江戸。
いつかこの街道も歩かないと。
街道沿いには古い家が
ところどころに残っています。
そういえば、高崎を出発してからというもの
木曽から続いていた2階が独特の張り出した造りの家が
もう見られなくなってきていました。
上州の造りの家。
人々の生活もこれまでの区間とはまた違うのでしょうね。
岩鼻。ここは宿場ではないのですが
幕府の北関東の守りとして重要な所だったようです。
小さい神社の境内で少し休みました。
大きな木の先に坂道の中山道。
一体、どんな人がどんな感じで通ったのか。
昔の風情が多く残っているだけに
想像もそんなに難しくはありません。
利根川につながる烏川を渡ると
その先はサイクリングコース。
その横の旧道に大きな桜の木が。
桜はだいぶ散ってきてるんですが
心地良い風は桜吹雪に。
烏川の河川敷に”伊勢の森”
河川敷は運動公園になってるんですが
ここの周辺だけ中山道が健在でした。
この辺り洪水が多かったからか
木曽三川の輪中のように石で嵩上げされた
土台の上に建っている古い建物がありました。
まもなく新町宿。
中山道では比較的新しい宿場町です。
飯盛女に因むお菊稲荷は立派な境内。
宿場のあちこちには
ハナミズキ祭りののぼりが立っていました。
さぁ、県境です。
神流川の手前に土道の旧道が残ってました。
川まで続く道ー。
昔はここを舟から降りた人が歩いていたのでしょうねぇ。
現代は橋で迂回します。
埼玉県!!!
橋の上の歩道は恐ろしく狭い(^^;
たんたんと平坦な道が続きます。
やがて、本庄宿。
その手前の宿場入口付近の道路には
宿場の名前タイルの埋め込みがありました。
"金さな"神社付近で大きく直角に曲がり
宿場の内部へ。この直角は枡形なのでしょうね。
明治の初め
日本の首都候補地でもあった本庄。
利根川の水運を生かせるということで
結構本気で考えられていたそうですねー。
かつての繁栄の伺える立派なレンガ作りの家や
歴史資料館の洋風の建物・・・。
資料館には本陣の門が移設されてました。
そして街道の資料もたっぷり。
今は静かな宿場の風景ですが
昔は中山道一の宿場の規模だったそうです。
さて、長くなったのでこの辺で。
この日は籠原まで歩きましたがそれは次回 ^^
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本庄出身のものです。
最後の写真なのですが、見事に私の実家の前から見た裏路地の風景でビックリしました。
ただそれだけなのですが、あまりに見慣れた風景だったのでコメントしてしまいました。
失礼しました。
はじめまして。最後の写真ですが
良い雰囲気だなーと思い撮りました。
そうですか、地元の方なんですね。
こういう風情がよく残っている本庄宿では
なかなか楽しく歩かさせてもらいました^^