2012年06月14日

中山道六十九次その31・浦和宿→板橋宿

昼からも快晴!
最高の街道歩き日和。

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↑詳しいルートと記録は【山行記録のページへ】もご覧ください。

浦和宿から先は
JR線とどんどん離れていきますー。

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鉄道と離れてしまうと不便ですが
これが良かったのかこの先の蕨宿にかけて
街道風情たっぷりの道筋が今も残ってました。

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大宮台地の端にある

「焼米坂」

ちょっとした急な坂も久々なのですが
名前が付いてるのは嬉しいですねぇ。
歴史をとても感じます。

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東海道でも「焼米坂」がありましたが
こちらは焼米を売ってる店があったからだとか。

ちなみに東海道のは
歩いていて担いだ米が焼米になるぐらいキツイ。
たしか、そういう謂れだった気がします。

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町中は町中でも
景色にゆったり感が出てきました。

車も通る道ですが
交通量も少なくとてもイイ感じ。

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さぁ、蕨宿(わらび)です。

早い段階で道路がバイパスになって
宿場内をあまり通らなくなったのが
よかったのでしょうねぇ。

東京近郊にも関らず
良い宿場町風情が今も残っています。

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古い家もよく残ってるし
案内板も実に豊富。

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歩いていて楽しいー!

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でも、1つ残念な点として
資料館が祝日ということでお休み。

うーん、、、

しばらく資料館前で休憩してましたが
何人もの街道ウォーカーが足を止めて
残念そうな感じで去っていってました(^^;

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さぁ、気をとりなおして
国道17号沿いをひたすら歩いていきます。

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途中、消滅している区間もあるのですが
そういう所は一番近いところを歩いています。

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戸田の渡し跡。

いよいよ荒川を渡ると都内!

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何度も東京へは来てますが
やっぱ歩いて入るというのは格別ですね。

いまだここまで歩いてきたというのが
信じられないというか・・・・。

いろいろ考えているうち
思わずウルッときちゃいました。

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それにしても橋の上は強風。
飛ばされないように気を付けて進みます。

この戸田の渡しですが
江戸時代は橋が架けられなかったそうです。
もちろん理由は江戸防衛のため。

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都内に入り
道路標識がこれまで「東京」だったのが
「日本橋」という文字になりました。

やっぱいいね。日本橋。

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志村付近で旧道に入ります。

そこにある清水坂は最後の難所。
武蔵野台地を一気にかけ登ります。

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志村一里塚。
都内に両側に残ってる一里塚。

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よくこれだけきちんと残ってるなぁと
ただただ感動しました。

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昔の道幅も
この広さぐらいあったのでしょうね。

今は片側3車線の車も走る道。

当時は人と馬だけの世界だっただけに
一体どんな感じだったのでしょう。

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板橋宿の手前で旧道に入りました。

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夕方は歩行者天国になるようで
かなりの賑わいがありました。

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板橋宿の謂れの”板橋”。
手書きの鯉のぼりがイイですね。

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今も活気ある風情は
まるで昔の宿場町のよう。

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宿の客引きなどの声が
あちらこちらから聞こえてきそうでした。

  
posted by にゃおすけ at 17:27 | Comment(0) | TrackBack(0) | 中山道六十九次 | 更新情報をチェックする
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