最高の街道歩き日和。
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浦和宿から先は
JR線とどんどん離れていきますー。
鉄道と離れてしまうと不便ですが
これが良かったのかこの先の蕨宿にかけて
街道風情たっぷりの道筋が今も残ってました。
大宮台地の端にある
「焼米坂」
ちょっとした急な坂も久々なのですが
名前が付いてるのは嬉しいですねぇ。
歴史をとても感じます。
東海道でも「焼米坂」がありましたが
こちらは焼米を売ってる店があったからだとか。
ちなみに東海道のは
歩いていて担いだ米が焼米になるぐらいキツイ。
たしか、そういう謂れだった気がします。
町中は町中でも
景色にゆったり感が出てきました。
車も通る道ですが
交通量も少なくとてもイイ感じ。
さぁ、蕨宿(わらび)です。
早い段階で道路がバイパスになって
宿場内をあまり通らなくなったのが
よかったのでしょうねぇ。
東京近郊にも関らず
良い宿場町風情が今も残っています。
古い家もよく残ってるし
案内板も実に豊富。
歩いていて楽しいー!
でも、1つ残念な点として
資料館が祝日ということでお休み。
うーん、、、
しばらく資料館前で休憩してましたが
何人もの街道ウォーカーが足を止めて
残念そうな感じで去っていってました(^^;
さぁ、気をとりなおして
国道17号沿いをひたすら歩いていきます。
途中、消滅している区間もあるのですが
そういう所は一番近いところを歩いています。
戸田の渡し跡。
いよいよ荒川を渡ると都内!
何度も東京へは来てますが
やっぱ歩いて入るというのは格別ですね。
いまだここまで歩いてきたというのが
信じられないというか・・・・。
いろいろ考えているうち
思わずウルッときちゃいました。
それにしても橋の上は強風。
飛ばされないように気を付けて進みます。
この戸田の渡しですが
江戸時代は橋が架けられなかったそうです。
もちろん理由は江戸防衛のため。
都内に入り
道路標識がこれまで「東京」だったのが
「日本橋」という文字になりました。
やっぱいいね。日本橋。
志村付近で旧道に入ります。
そこにある清水坂は最後の難所。
武蔵野台地を一気にかけ登ります。
志村一里塚。
都内に両側に残ってる一里塚。
よくこれだけきちんと残ってるなぁと
ただただ感動しました。
昔の道幅も
この広さぐらいあったのでしょうね。
今は片側3車線の車も走る道。
当時は人と馬だけの世界だっただけに
一体どんな感じだったのでしょう。
板橋宿の手前で旧道に入りました。
夕方は歩行者天国になるようで
かなりの賑わいがありました。
板橋宿の謂れの”板橋”。
手書きの鯉のぼりがイイですね。
今も活気ある風情は
まるで昔の宿場町のよう。
宿の客引きなどの声が
あちらこちらから聞こえてきそうでした。
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