今回は国領宿をスタートします。
↑詳しいルートと記録は【山行記録のページへ】もご覧ください。
街道には立派な並木道。
国道20号沿いは暑い時期も涼しそうです。
木陰は体を癒してくれますね。
すっかり現代の町並みになった甲州街道ですが
古い街道らしく上のような石仏も多くみかけます。
烏山付近に残る”中宿”や”下宿”の文字。
かつてここは間の宿としての役割があったそうです。
地名に残る街道の面影ですね。
やがて街道の上に首都高が重なります。
下高井戸宿に差し掛かりました。
工事現場の壁には
ここが宿場であった頃の絵が書かれていました。
高井戸の数あるいわれの一つは
写真のお寺「宗源寺」が高い場所にあったからだとか。
今は移転して街道沿いに面してるのですが
昔は高台にあって村のシンボル的存在だったそうです。
”たかいところ”→”たかいど” そんな感じだったんですね。
新宿の高層ビルが見えてきました。
都庁近くになり
”日本橋まで10km”の看板。
ルートを地図で確認しながら歩いてるものの
こういう看板はありがたいもので距離の目安になります。
いわば現代版の一里塚。非常に助かります。
それにしても日本橋の文字を見るとテンションがあがります。
この辺りの街道は道幅が広い国道のおかげで
思いっきり吸収されて面影がほとんど残っていません。
そんな中、街道の脇に大きなイチョウの大木。
いいですよねー。
この辺りにはこういう大木が何本もあったそうです。
戦争で焼けて今はこれ一本のみに。
まさに歴史の生き証人ですね。
新宿駅の横を進みます。
もしかしたら五街道の中でも一番賑やかなところかも。
人でごったがえし進むのも一苦労。
新宿は宿という名前が付くとおり
かつては”内藤新宿”という宿場町でした。
青梅街道との追分地点のモニュメント
中心部まであと少しなので泊まる宿としての機能より
お化粧直しや休憩の需要のほうがあったそうです。
ちなみに今の新宿御苑が内藤さんのお家。
この辺り凄い広い土地をお持ちだったようですね。
GWのこの日の内藤新宿は
歩行者天国になっていましたー。
さすがはGW。
車の量が少なく道路が広く見えます。
四谷の辺りは直角に曲がっていますが
これはかつて門があった証し。
皇居(江戸城)が見えてきました。
大名は半蔵門から出発していたようです。
街道は皇居の周りを半周して東京駅方面へ。
この日もランナーが多く走っていました。
それにしてもこの辺りは日本の中枢部分。
景色が実にダイナミックに見えます。
バスなどでここは通ったことはあるのですが
やっぱ歩いてみるとスケール感が違いますね。
東京駅構内の自由通路を通り八重洲側へ。
そして日本橋。
五街道の一つ。甲州街道踏破です!
やったー!
最後に苦労した点を書いておきます。
山の中の区間のかつての道筋が
東海道と中山道に比べて調査が少ないこと。
出来るだけ昔の道筋を歩きたいので資料集めが大変でした。
でも、それは充実した時間でした。
次は日光への道を目指します、
まずは日光例幣使街道から。
ただ、ただすごいとしか言いようがありません。
うん十年前に二度、東京へ行きましたが街はすっかり変わっています。
やはりおしゃれなまちですね。
ありがとうございます。
五街道制覇まで残り2街道。
なんとか来年にはクリアしたいところです。
たしかにお洒落な町ですねぇ。
街道歩きスタイルで新宿を歩くのは
ちょっと浮いちゃってました(^^;