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まずは前回のゴール地点である
津市白山郷土資料館へ向かいました。
ここは街道資料が実に豊富ですね。
ちなみに資料館の名前にある「白山」は
以前のこの辺りの町の名前が「白山町」でした。
その後、大合併で津市に編入されたのだそうです。
その旧白山町にあった宿場のひとつが
次の「二本木宿」。最寄駅は大三駅になります。
古い家が多く残っていました。
中には「しめ縄」をしている家があるのですが
しめ縄の下には大抵「笑門」と書かれてるんですよね。
伊勢では年中この様に飾っている風習がありますが
これでようやく伊勢に入ったことを実感させられます。
振り返ると青山高原の風車群。
あれだけハードだった青山峠も
どんどん遠くなって行きます。
やがて雲出川の堤防上に出ました。
ここは桜の名所「亀ヶ広」です。
春は250本あまりの桜のトンネルなのですが
葉はすっかり落ちてしまっています。
こういう名所の発見も街道歩きの醍醐味で
また春に来てみたいと思わせてくれます。
注:歩いたのは2012年10月13日でした。
一志駅のあたり。
ルートマップをご覧ください。
思いっきり
ぐるぐるしていますよね(^^;
これは旧道が線路によって分断されていたので
踏切のある場所まで大きく迂回した結果なのです。
そこにまだ旧道が残ってる以上は行かないと!
と、いうのが”にゃおすけ流街道歩き”デス(^^;
八太駅付近では七曲がりがありました。
ここは元は宿場だったらしく
敵の侵入などを防ぐため設けられたもののようです。
半分埋まってしまっている道標。
その文字を見ると「さんぐう道」
現代も使われている〇〇街道という名前は
明治期に便宜上付けられたものが多いのですが
今回の街道も「さんぐう道」や「はせ道」、
「いせ道」「あお越え」色々読み方がありました。
秋の空が広がります。
嬉野町の旧役場付近は
少し高台になっていました。
道の見晴らしがとてもいい感じ。
中原神社を過ぎ
最後の難所の川渡り。
江戸時代は
この川に3本の渡しがあったそうです。
ちなみに川の名前はその名の通り「三渡川」。
いよいよ伊勢参宮街道との追分。
六軒の道標でゴールを迎えました。
この後はマラソン練習も兼ねて
松阪宿までランで向かっています。
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