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木ノ本宿の朝。
今回は40kmの長丁場ということで出発は6:15。
地元の人だけの静かな空間が広がっていました。
ぐんぐん勾配を稼いでいきます。
冬は雪が多い地域だからか
屋根が急になっている家が目立ちます。
古い家の多くに”水”の文字が書いてあります。
これは火災除けのおまじないのようなもの。
昔の家は木造ばかり火事になっては一大事ですもんね。
柳ケ瀬の町並み。
明治天皇が休憩した施設が今も残っています。
門構えが実に立派なものです。
まさに威風堂々とした雰囲気。
町の中には水路が流れ、
往時の宿場風情を今に伝えます。
敦賀への追分。刀根越えで向かっていた。
北陸自動車道と平行する区間。
妙に直線道路が多いことに気づきます。
かつてここには国鉄の旧北陸本線が走っていました。
その路盤跡を整備して道路が作られたのでしょう。
元々狭い山間の区間なので
昔の面影が少なくなってのが寂しいところです。
椿坂峠の手前の椿坂集落。
静かな雰囲気なのですが
ワンちゃんに思いっきり吼えられてしまいました。
一見、おとなしそうに見えるんですけどね。
今回の最初の難所が椿坂峠。
かつては川沿いをそのまま峠へ向かっていました。
今はヘアピンが連続する車道を進みますが、
跡がある以上は探索しないといけません。
路盤はしっかりしてるんですが
上に行くにしたがって倒木と藪の嵐。
あともう少しで峠というところで引き返しました。
でも、ここは引き返して正解。
峠から旧道を見ると崩れてる箇所が多くて
とても大変なことになっていました。
ここは豪雪地帯。
雪崩などで削られた影響もあるのでしょう。
峠を過ぎると残雪が所々に。
やがて中河内宿に入っていきます。
本陣の跡もあり峠を前にしての
休憩の場であったことがわかります。
今回の2つめの難所は”栃の木峠”
この峠は峠100選に選ばれています。
それだけあって眺めは最高。
これから進む福井の山々が実にダイナミックです。
峠の名前の由来は
この辺りは栃の木の群生地だったそうです。
今も立派な栃の木が残っていました。
旧道は川沿いを下っていくのですが
ほとんど崩落してしまっているので
車道を駆け下りていきます。
峠を下り福井県側の最初の宿場が”板取宿”
4軒の茅葺きの家が出迎えてくれます。
この茅葺きの家。
移住を条件に無料で借りれるのだそうですが
生活と茅葺きの維持に大変そうです。
今庄宿が近くなり
田園風景が広がってきました。
国道は改良され
川には橋が架けられほぼ真っ直ぐに進みます。
今庄宿の手前には西近江路との追分がありました。
立派な道標にはどちらの方角とも”京”の文字。
左に行けば長浜や米原を通って中山道経由の京への道。
右に行けば今津や堅田を通って西近江路の京への道。
どちらが大変かというと前者でしょうけども
右は琵琶湖の舟も仕えたので楽だったでしょうね。
ゴールの今庄宿。
蕎麦が有名なのは知っていたのですが
町並みがこんなにも素晴らしいものだったなんて。
立派な古い家が多く癒されましたー。
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