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この日は朝の6時に出立しました。
前日の夕方に歩いたメインストリートは
この時間だと車がなく静かな雰囲気でした。
富士重工の大きな工場を横目に進みます。
地名を見るとなんと「スバル町」。
まさに大企業のお膝元といった感じです。
しばらく進むと左手には
百名城の金山城の雄姿が見えてきました。
関西に住んでいると
この辺りはめったに来ない場所なので
目に見えるもの全てが新鮮に映ります。
八木宿の町並み。
面影は殆どないなーと見渡していると
街道沿いに面した家々の敷地に痕跡がありました。
建物は変わっても敷地は昔のまま。
間口が狭く奥行が長い感じはまさにそれでした。
歌にもなった渡良瀬川を渡ります。
川の手前には増水対策のための梁田宿がありました。
川に橋が架かり宿場としての役目を終えた感じで
ごく普通の家並みが続いていました。
街道ファン的にはちょっと寂しい光景ですが
これも交通体系や時代の変化なので仕方ないところです。
そこに住む人々の生活というのがありますし。
渡良瀬川からの眺め。
足利の山々が新緑が綺麗でした。
渡った先にあった”川崎天満宮”
ここでお茶を飲むというのが流行ったのだそうです。
ここから先しばらくは
旧道がほとんど消滅してしまっています。
農地改革や水害の影響なのだそうです。
昭和40年代の空中写真でも旧道の姿があまり見当たりません。
比較的早い時期での改良だったのでしょう。
寺岡の集落を抜けると
まもなく天明宿。今の佐野の町になります。
佐野で今の時代で有名なのは「佐野ラーメン」
でも、これって江戸時代にはないものです。
昼飯にとラーメンにありつきたかったのですが
どの店も行列でスルーせざるえませんでした。
そこで、昔からある食事をと探したのが
もう1つの名物の「大根そば」です。
大根を極細に刻んでそばと一緒に盛ってる代物ですが、
清涼感が半端なく暑い時期だとさらに最高でしょう。
味もグッド。なかなか美味しいものでした。
佐野市は地方都市ということですが
ラーメンブームもあって歩いてて活気を感じれました。
ちなみにもう1つの名物は”いもフライ”
大阪の串かつみたいな感じで美味しかったです。
天明宿の次は犬伏宿です。
東西に伸びるメインストリート。
一直線に伸びてる姿は圧巻ですね。
本陣前には立派な松の木があったり
町名に"上宿”など地名に名残が残っていたり
往時の風情を楽しむことが出来ました。
大谷石で出来た観音様。
風化によってお顔がなくなってしまっています。
大谷石は宇都宮で採れるもので
関西に住んでいると殆ど見かけないのですが
この石で出来た蔵や塀など見かけるようになると
あー、北関東に来たなと実感します。
日がだいぶ落ちてきました。
ラストは車道を進み東武電車の静和駅でゴール。
ここから街道は直角に曲がって北へと進んでいきます。
次回は栃木の町を通り日光西街道との追分を目指します。
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