朝早くに静和駅を出立しました。
↑詳しいルートと記録は【山行記録のページへ】もご覧ください。
GWの例幣使街道といえば麦畑の光景が楽しめます。
今年もすくすく成長する姿を見ることができました。
今回最初の宿場町は富田宿です。
最寄駅は大平下駅。東武線の駅もあり2WAYアクセス。
便利な場所ですが静かな静かな町並みが広がっていました。
富田宿の外れにあった大きな常夜灯には
大平山と日光山と書かれてありました。
上部が欠落してしまっていますが
位置的にちょうど参拝道との追分にあるので
道しるべ的な意味合いもあったのかもしれませんね。
街道は川沿いを進みます。
かつて勝連城があったところが勝連交差点付近。
この辺りは大規模に街道ルートが付け替えられたようで
古地図と見比べると現ルートより南側を通っていたようです。
そこで現地のお年寄りに聞いてみると
にゃおすけ「ここって昔は道だったんですよね?」
お年寄り「そうそう、馬車が通って道の脇に木の柵があったんよ」
お年寄り「この先に大きな道標もあったけどなくなってしもうた」
こんな感じで嬉しそうに話してくださいました。
こういう生の情報は貴重ですよね。
栃木宿が近づいてきました。
東武電車の真新しい高架橋が綺麗です。
宿場内はルートが少しややこしくなっていますが
道しるべが整備されていたのでスムーズに歩くことができました。
栃木宿といえば”蔵の町”です。
町中を歩くとあちこちに立派な蔵を見ることができます。
メインストリートには鯉のぼりが飾ってあったりと
GWならではの光景も楽しむことが出来ました。
巴波川の鯉のぼり達も凄かった!
栃木の町を訪れるのは今回で3度目ですが
歩いての訪問はどれも新鮮に見えていいものですね。
→以前の記事「レトロな栃木の町並み」
http://borabora.seesaa.net/article/21879684.html
栃木宿の外れの街道筋は電線も撤去され
なかなか良い雰囲気がありました。
何やら重伝地区に指定されたばかりなのだとか。
途中にある味噌蔵で田楽を頂きました。
3本で500円。ちょっと高い??
いえいえ雰囲気込みだと安いほうかも。
栃木宿を抜けると延々と県道歩きが始まります。
次の宿場は”合戦場宿”
1523年の河原田合戦が由来するそうです。
近くにある升塚には
その時に亡くなった人々を葬ってありました。
郵便局には金の郵便ポスト。
これは目立ちますねー。
金を奉納する例幣使にちなんだそうですが
貴重な丸ポストなだけに勿体ない気がしますね(^^;
金崎宿を過ぎると
沿道には十九夜信仰の石仏が増えてきました。
やがて小山からの日光西街道(壬生道)と合流します。
追分には道標もあり追分の雰囲気がいい感じ。
中山道の倉賀野宿から続いた
日光例幣使街道は楡木宿でゴールになります。
ここから先は日光西街道として先を進めていきます。
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