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伊勢街道と伊賀街道が交わる”津”
宿場町であり津城の城下町でもあります。
伊賀街道は古くから伊勢と伊賀を結ぶ道でしたが
江戸時代に藤堂高虎公が治めるようになってからは
津と伊賀上野とを結ぶ街道として再整備されたようです。
津城は津藩の本城に対して伊賀上野城は支城。
西国大名から守る意味合いが強かったようで
伊賀街道は城と城を結ぶ重要な街道でした。
豊臣家が滅びる前は攻められにくくするため
難所の長野峠をあえて大改修せずそのままだったのは
重要な街道ならではのエピソードです。
津城の伊賀口御門跡よりスタートします。
昔はこの辺りも堀で巡らされていたそうですが
現在は見てのとおり何もありません。
津市内の街道風情は交通量少な目でとても静か。
古い家もところどころに残っていて気持ちの良い町並みです。
大きく街道上にかぶさる大木。
これには驚きました。
ヤドリギも大量についていて
樹齢も結構なものなのでしょうね。
1つ目の宿場町は片田・前田宿。
ここは2つの町で1つの宿場を形成していたようです。
宿場の外れの田んぼを見ると
いい感じに稲が育ってきています。
少し前までは水田だったと思うのですが
歩いてると季節の移り変わりを感じれていいですね。
五百野の集落。
ここは伊勢への道の分岐でした。
川に架かる橋の名前は”茶屋橋”
茶屋が集まっていた間の宿だったのでしょうか。
立派な道標に常夜灯に、
かつての賑わいを感じることができました。
五百野を過ぎると徐々に勾配が増えていきます。
難所の長野峠の手前にある宿場町が"長野宿”です。
町の中にある長野宿の案内図。
図には昔の道筋がしっかりと記されています。
家々の区画に目をやってみると
奥行きがある昔ながらの敷地が連なっています。
住んでる人は変わってしまっていても
どこかに昔のものが残ってたりするんで
古い町はじっくりと探索しがいがあります。
平木の集落です。
かつては大きな常夜灯がある町でした。
川に目をやると豪快に流れる水の音。
立派な滝が横たわるようにありました。
この滝は絵図にもあり名所でもあったようです。
そういえば、
伊賀街道には"平”と付く地名が多い気がします。
平木、平松、平田。などなど。
何か意味があるかと思うのですが
なんとも面白いですね。
峠の入口にあった”犬塚地蔵”さん。
このお地蔵さんのエピソードは
ある日、犬と共に歩いていたところ、
犬が吠えて吠えて動かなくなったそうです。
あまりにも五月蠅く、どうやっても動かなかったので
飼い主は「もう、いい!」とばかりに首をはねてしまいました。
その飛んでいった方角で何やら物音がするので
よく見ると大蛇にかぶりついた犬の頭があったのです。
大蛇は虎視眈々と飼い主を狙っていたようで
犬は死して飼い主を守ったという凄い逸話です。
長野峠は伊賀と伊勢の国境にあたります。
伊賀越えという言葉をよく耳にしますが
一般的にはこの峠を指すことが多いのだそうです。
家康が本能寺の変のおりに逃げ帰った道も
この峠が有力ですが資料によってまちまちですね。
非常に風の通りが良い峠です。
まさに天然のクーラー。
伊賀側へくだっていきます。
こちら側の道は雨水でえぐられ大変なことになっていました。
歩けないことはないのですが
逆方向から来る人にとっては道は少しわかりにくいかも。
木に貼られてる赤いリボンが役立ちました。
伊賀側の最初の集落が平松宿。
今回のゴールとしバスで伊賀上野に向かいました。
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