家康のお墓がある日光への街道です。
途中までは東北に通ずる奥州街道と重複しています。
↑詳しいルートと記録は【山行記録のページへ】もご覧ください。
日本橋はいつ見ても立派ですね。
麒麟の翼。造形ががなんとも素晴らしい。
スタートは朝の6時台でしたので
いつもは賑わっている界隈はひっそりとしていました。
三越を横目に見て進みます。
重厚感の建物がズラリと並んでいます。
実は最初の宿場である千住宿までの区間は
以前水戸街道歩きの時に歩いています。
だったら千住宿から歩けば??となるのですが
そこは五街道。日本橋からのスタートに拘りがあります。
進路を東に変えるとスカイツリーが見えてきました。
朝は逆光になりますがシルエットがまた美しいものです。
浅草橋では屋形船のたまり場が広がってました。
江戸情緒が満点で良いですよね。
浅草は7時ごろに到着しました。
吉原も近くにあり昔からの繁華街です。
仲見世の通りもご覧のとおり静か。
日中の賑わいが嘘のようです。
南千住でJRの線路を越え
昭和初期に架けられた千住大橋を渡ると千住宿。
早い時期に宿場をバイパスする道路が出来たので
今も昔からの道筋がよく残っていました。
あちこちに昔の屋号が掲げられた家々。
道端にある宿場の案内看板を見ていると
宿場を生かした町づくりを感じることができます。
”宿場町通り”に掲げられてる看板には
これから歩くであろう宿場町を1つ1つ紹介されてました。
千住宿の北の端で水戸街道と別れ荒川を渡ります。
この荒川は隅田川のバイパス水路にあたるもので
明治から大正期に作られています。
ゆえに江戸期には何もなかったわけですね。
今の時代は橋で迂回するしかありませんが
歩いて橋を渡ると川幅の広さを実感できて良いものです。
今回歩いた日は真夏で
この日も暑い日が続いていました。
住宅街の中をたんたんと進むので景色は単調ですが
コンビニや休憩ポイントが多いのには助かりました。
やがて草加宿。
草加せんべいで有名ですよね。
なにやら昔は草加は米どころだったそうで
野田の醤油と組み合わせて作られた名物なのだとか。
草加宿の北の端には枡形の跡があり、
そこには休憩施設兼案内所が出来ていました。
もともと真夏に歩く人が少ないからか
待ってました!とばかりお茶を盛大に出してくれ
ちょうど被っていた菅笠の話で盛り上がりました(^^;
草加宿と越ヶ谷宿の間には立派な松並木が植わっています。
やっぱ松並木の中を歩くのは気持ちいいですねー。
見た感じ若い松の木が多い気がしますが
年を重ねるにつれ凄さを増してくるのでしょう。
松並木の北の端には蒲生大橋が架かり
一里塚跡がありました。
人形のお店が多くなってくると越ヶ谷宿。
埼玉県内での最大の宿場町です。
徳川家康は鷹狩でたびたび訪れたそうで
今も御殿場町など町名に名残りがあります。
宿場の真ん中では元荒川が横切っています。
この川を境に南側は商家が多く北側は旅籠中心だったようで
今も南側には立派な商家が残り印象的でした。
今回は北越谷駅の駅前でゴールとしました。
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