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宿場町の家々にかかる”のれん”
なかなか渋くていいですよね。
街灯にかかる”のれん”もまた可愛い。
何やらアニメ”らき☆すた”の聖地なのだそうです。
街道を少し外れて幸宮神社に寄ってみました。
名前がいいですよね。幸が付くあたりが。
萌え絵馬があるそうですがこの日は見つからず。
立派なイチョウの木が見れただけでも大収穫でした。
幸手というと権現堂堤の桜が有名だそうです。
すっかり桜は散ってしまってますが
名所ということで実に豪快な枝っぷりで見事でした。
街道は権現堂川沿いを進んでいきます。
旧道には”つくば道”の道標もありました。
ここからは堤防の左脇を進む形になりますが
かつての街道は古地図と照らし合わせてみると
堤防上をどうも進んでいるような気がします。
ただ、堤防上は危険ですねー。
車がびゅんびゅん。
栗橋宿の手前には枡形の跡があります。
ここには処刑場があったそうなのですが
この先にある関所を破る人が多かったそうで
見せしめという意味もあったといいます。
栗橋というとJRと東武の駅があり
ジャンクションで賑わっているイメージがあったのですが
宿場町はひっそりとした雰囲気がありました。
街路灯ですが幸手宿でもそうでしたが
この近辺の宿場ではこのタイプの多いですね。
関所付近では何かの発掘調査が。
さて、関所を通り利根川を渡ります。
対岸の河川敷には中田宿がありましたが
残念ながら跡形が何も残っていません。
今は立派な橋が架かる利根川は
江戸時代は舟による渡しだったのだそうです。
ですが将軍が通る時のみは
急場で舟橋を作ったのだそうです。
この舟橋の精細な模型は
古河の歴史資料館で見ることが出来ます。
なかなかの出来で驚きました。
中田の松原。
この周辺は松並木がずらーと並んでいたようです。
戦中に切り取られた影響で跡形もありません。
昔は隙間から古河城の三重櫓が見えたそうです.
現在は若い松が植えられていますが
半世紀もすればまた立派なものに蘇るでしょう。
古河宿に入ります。
城下町であり宿場町でもあります。
将軍は古河城で一泊したわけですが
街道からは御茶屋口から城内に入っていたようです。
ただし現在は城跡は殆ど残っていません。
本丸は渡良瀬川の河川敷に消えてしまってます。
遺構としては歴史資料館の場所は離れ曲輪にあたり
堀の跡がいくぶんか見ることができます。
古河宿のメインストリートでは
新しい家が多かったのですが出口に近づくにつれ
古い家がよく残っていて雰囲気が良かったです。
しかも明治からの丸ポストにも出会えました。
飾りものではなく現役なのは凄いですよね。
次の野木宿は比較的小さな宿場町だったようです。
正八幡宮では将軍が小休憩した場所で
今は巨木が2本だけしかない境内なのですが
昔は神社を取り囲むように幾本もの巨木があったそうです。
この辺りから増えてくるのは「十九夜」と書かれた石碑。
関西ではあまり馴染みがないですが
女性の厄払いと安産(難産除け)祈願する信仰だったそうです。
19という数字は若い女性の厄年が十九歳だからなのだとか。
初めて出た”福島”の文字。
どんどん東京から遠くなって行きます。
やがて間々田宿です。
手前には乙女という集落があり市立博物館もありました。
この乙女という地名。なんだかかわいいですが
江戸時代は重要な乙女河岸という船着場があったそうです。
乙女から上流は川幅が狭く舟の通行が困難になるので
かなりの賑わいがあったといいます。
5/5に間々田八幡宮で奇祭があるそうで
道路から飛び出るように龍の飾り付けがされていました。
この付近から所々に旧道が残っています。
こういう土道はなんだかホッとしますね。
まもなく大きいビル群が見えてくると小山宿。
今回はここでゴールとしました。
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