2014年08月11日

紀州街道その1・高麗橋→泉佐野

大阪の街道の起点”高麗橋”よりスタートします。

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↑詳しいルートと記録は【山行記録のページへ】もご覧ください。

紀州街道は和歌山城の京橋に至るルートで
江戸中期からは参勤交代でも使われた重要な道でした。

まずは堺筋を南下していきます。
堺筋はその名前の通り堺につながる道です。
普段は交通量が多いですが休日の早朝で静かでした。

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大大阪時代を感じるレトロ建築が目を楽しませてくれます。
御堂筋が整備されるまでは堺筋が大阪のメイン通りでした。

通りには美しい並木が生え揃っています。
御堂筋はイチョウですが堺筋はユリノキの並木です。
こういう統一された景観はいいものですね。

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道頓堀に架かる橋は日本橋。

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日本橋の電気街を抜けると新今宮の労働者の町に入ります。
しばらくはこれまでの雰囲気とは一変します。

この地域は一般的に治安が悪いように言われてますが
歴史的に江戸時代からも似たような地域だったようで
無宿人(家出など行くえ知れずの人)が集まり、
格安の宿(木賃宿)が多く一大社交場だったようです。

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鉄道の開通により南部(釜ヶ崎、萩ノ茶屋)に中心が移りますが
今も変わらぬ昔の街道風情を味わうことができます。

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大きな木が植わる天神ノ森天満宮。
街道を挟んだ向かいには天下茶屋の跡があります。

秀吉が休憩したところから「天下」の名前がついたそうで
戦前までは大きな池や建物が残っていたようです。

天下茶屋というと今や特急も止まる大きな駅になりました。
しかし街道沿いはこのとおり昔のまま。なんだかホッとしますね。

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阪堺電車の線路と平行して進んでいきますが
恵美須町と住吉大社までの区間は本数は少ないようです。
なかなか良いシャッターチャンスに恵まれません。

粉浜付近で道頓堀からの勝間街道と合流します。

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住吉大社は立派な灯篭が圧巻です。

紀州街道が整備されたのは江戸時代からでなのですが
整備以前は山側に平行している熊野街道がメインだったようで
他にも海が近いということで舟運も大いに使われたそうです。

それでも摂津一之宮である住吉大社と堺までの道は
古くから存在し住吉街道、岸の辺の道とも呼ばれていました。

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住吉大社は遣唐使船がここから出航したように
航海安全の神様でもありますよね。

かつては街道を少し離れるだけで海原が広がっていたそうです。
その名残は浜寺公園付近で見ることができます。

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街道は大和川を渡ります。

大和橋は幕府直轄の公儀橋でかなり立派なもので
大和川下流では唯一の橋でもあったようです。

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この交差点には環濠があったという。

堺に入ります。

かつて堺の町の周りには環濠があったのですが
今はほとんど埋められてしまっています。

その環濠に架かっていた橋が”北之橋”で
この橋を渡れば堺の町だったというわけです。

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町に入ると刃物を売る店が出てきました。
いかにも堺らしい光景ですよね。

大通りに入ると真ん中に阪堺電車が通っています。
向かって左側に旧家が多いので浜側を道路拡張したのでしょうか。

立派な道標がありました。
「右、住よし、大さか。左、妙国寺。」
妙国寺参拝の人のための道標でしょう。
この寺はソテツで有名で寺の前にも同じような道標が立っています。

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堺の中心は宿院付近。
立派な常夜灯が目を引きます。

この付近は戦時中の空襲で焼け野原になったので
古い建物が少ないのは残念なところです。

南側の環濠を渡り堺の町を後にします。

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石津の集落は古くからあったようです。
この先、浜寺公園、伽羅橋、高石と続いていきます。

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助松付近には立派な松の木と塀がありました。
参勤交代では本陣としても利用された田中家住宅です。

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泉大津の高層ビルが見えてきました。

かつて泉州といえば紡績で賑わったそうで
今もあちこちにノコギリ屋根の工場を見ることができます。

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泉大津の大津神社。
この地域のだんじり祭りの中心地です。

だんじり祭りは堺市南部から岸和田に多い祭りで
狭い路地を勢いよく走っていくのが魅力の一つです。

この街道筋も例外ではないようで
祭りの時はまた違った表情を見せてくれそうです。

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だんじり小屋があちこちに。

泉州の名物といえば水なすです。
無人販売の店が道中にありました。3つ入って100円でした。

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岸和田に近づくにつれ古い家が増えてきます。

レトロモダン。右の建物は元は銀行でした。
岸和田は明治から大正にかけての建物も多く残っています。
さすがは泉州の中心地といった風情です。

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欄干橋には道路元標が置かれ交通の中心といえる場所でした。
「らんかんまで 〇〇里」こんな感じの案内板もあったそうです。

ここから岸和田城下の中心に入っていきます。

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城の西側にこんな町並みがあったんですね。驚きました。

資料館もあり雰囲気良い町並みです。
状態もよくいずれ重伝地区に指定されているかもしれません。

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天性寺は通称”蛸地蔵”です。
地蔵堂としては日本最大なんだとか。

由緒としては岸和田城に一揆が襲来したときに
1人の大法師と数千の蛸が危機を救ったのだそうです。

参道前には立派な道標がありました。

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海が見えてきました。
ここからは街道はやや山側へと移っていきます。

南海電車の貝塚駅付近は寺内町で
大きな願泉寺が町の中心部に建っています。

街道は碁盤の目のような町中を進んでいきますが
府道から少し離れると雰囲気良い家並みが残っていました。

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この辺りまで来ると田畑が多くなってきます。
遠くにはりんくうタワーも見えてきました。

やがて今回のゴールの鶴原駅。
その手前には立派な道標が立っています。

「左は紀州わか山。右は大川、あわしま。」

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ここで紀州街道は2筋に別れます。
1つは熊野街道と重複して山中渓を通るルート、
もう1つは孝子越えという南海電車沿いのルート。

次の記事では参勤交代路である
山中渓を通るルートで進んでいきます。


  
posted by にゃおすけ at 20:04 | Comment(0) | TrackBack(0) | 熊野・紀州への街道 | 更新情報をチェックする
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