2014年08月19日

紀州街道その2・泉佐野→和歌山城&熊野街道その4・泉佐野→紀伊

大阪と和歌山を結ぶ紀州街道。
今回はいよいよ県境です。

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↑詳しいルートと記録は【山行記録のページへ】もご覧ください。

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鶴原駅からスタート。
南海電車の片引き扉がカッコいいですね。

この先の一部は熊野街道と重複区間になってます。
宿場町や一里塚に加え、古くからの王子跡もあって
なかなか見どころある面白さがあります。

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犬鳴山への道標がありました。
泉州には県境に向けての街道が何本も出ています。

矢印型の道標は大正期に多いですが
これは明治期のものなのでちょっと珍しいですね。
犬鳴山はお不動さんや温泉があって今も関西の名所です。

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安松八丁畷の石地蔵。かなり古いものです。
ちなみに畷とは田の間の道、まっすぐな長い道の意味があります。

この付近は見渡す限り田畑ばかりで
まるで昔と変わらないような光景が広がっていました。

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籾井(もみい)は大阪夏の陣の激戦地のひとつ。
塙団右衛門と淡輪重政の墓がありました。
街道は集落内を縫うように通っています。

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中心部には籾井王子跡もあるのですが
民家の庭先にあり見つけるのに一苦労でした。
でもこうして碑だけでもあるのは嬉しいものです。

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厩戸王子跡は旧道筋に残る。

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信達(しんだち)宿。
およそ九百年前からの歴史がある集落で
古来より熊野詣の人々で賑わったそうです。

江戸時代になると参勤交代の宿場町になって
今も本陣の門が残っています。

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古い家並みが続く信達宿。

ふと目の前をちびっ子が疾走していきました。
こういうのを見てると懐かしい気分にさせてくれますね。

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信達一ノ瀬王子跡付近には林昌寺への道標が立っていました。
このお寺は「法林の庭」が有名だそうです。しかも無料。
”あたご”と書かれた道標がこの先にもありました。

ここからしばらくは緩やかな上り坂が続いていきます。
山が大きくなってきて峠が近いことを実感させられます。

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和泉鳥取駅付近には波太神社の大きな鳥居があります。
昔はここから少し離れた場所にある神社が見えたそうで
街道上から眺めて拝むという習慣があったそうです。

街道は川沿いへ。
熊野街道でも一番の難所”琵琶崖”が待ち構えています。

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藪が生えてる奥に崖が見えてきました。

通路というには心細くロープ伝いに進むしかありません。
一歩踏み外すと転落の恐れもあります(^^;

ちなみに琵琶崖の由来は琵琶法師が転落して亡くなり、
夜な夜な琵琶の音が聞こえるようになった。とのこと。

ひえぇぇぇ。暗くなったら通りたくないです。

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峠を前にした山中宿。

宿場内には古い建物が何軒か残っています。
本陣跡や石畳風の舗装もあり気分を盛り上げてくれます。

ここは春になると桜の名所として賑わいます。
駅前には古い形式の食堂が2店営業中でした。

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さあ、峠越えです。

”雄ノ山峠”は南海電車が走る”孝子越え”に比べると
山は険しい上に山岳区間が長いのが欠点なのですが
和歌山城までの距離が短いのは大きな利点だったようです。

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県境に架かる境川橋。
日本最後の仇討の現場でもあります。

紀州藩では罪人の国外追放の際は
ここにまで持ってくるのが基本だったそうですが
事前に日時を公に(仇を討つ者にも)知らせておいたので
待ち伏せて仇を討つことが出来たという話です。

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現代の雄ノ山峠は阪和道と阪和線が平行して
山は大きく切り開かれて昔の面影は少ないように思います。

峠を過ぎると一気に下りが始まります。

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淡路街道との交差点。
左に曲がると根来寺に行くことができます。

和歌山で淡路?というのも不思議な話ですが
奈良県から淡路、四国へ渡るのは紀ノ川北部の
淡路街道(南海道)がよく利用されていたそうです。

熊野街道はここで右に曲がります。

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しばらく行くと山口宿が現れました。
宿場の前後には枡形がきっちり残り雰囲気良い場所です。
宿内には山口御殿があり参勤交代の折に休憩したそうです。

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さて、紀ノ川を渡ります。

紀州街道には渡しが2ヶ所存在していました。
今回は熊野街道と共用する川辺の渡しを利用しました。

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紀ノ川を渡り終えると大和街道と合流して西に進みます。

堤防上の道は歩道がなく車がびゅんびゅん。
しかも夕方なので西日がきつく大変な区間でした。

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田井ノ瀬の橋付近にあった八軒屋(宿)。

ちなみに後日に
もう1つの田井ノ瀬の渡しルートも歩いてきました。

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ルート上の永穂集落に一里塚跡もあったので
こちらのほうがよく利用されていたのではと思います。

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現在の永穂側の田井ノ瀬の渡し場跡付近。

川の流れは江戸時代と比べると大きく変わってるので
どこが渡し場であったかは特定は難しいのですが
田井ノ瀬側は橋の南詰にあった言われています。

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和歌山城下に入ってきました。

四ヶ郷の一里塚は両塚が残っていて貴重なものです。
交差点名のアルファベットは「SHIKAGO」と書かれいて
周りには「シカゴ」と書かれた喫茶店もありました。面白い!

参勤交代の折には
ここまで和歌山城から見送りがあったそうです。

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古くからの賑わった場所の地蔵の辻。

ここには有名な地蔵さんがありましたが
今は300mほど逸れた場所に移転されています。

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嘉家作丁付近には古い家々が残っています。
道路南側にのみ家が立ち並んでる光景は昔も同じだったようで
道幅は4間半、北側は紀ノ川を望んで松並木があったそうです。

国道24号線を越えるとゴールはもうすぐ。

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本町通りを進みやがて和歌山城に到着です。
平民は京橋まで。京橋は名前の通り京に一番近い橋です。
大阪から2日で歩き終えることが出来ました。

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posted by にゃおすけ at 17:40 | Comment(0) | TrackBack(0) | 熊野・紀州への街道 | 更新情報をチェックする
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