西国街道のバイパスとして作られた道です。
↑詳しいルートと記録は【山行記録のページへ】もご覧ください。
スタートは阪神石屋川駅付近。
ここは西国街道との追分になっていて
徳川道の起点であることを示す看板が立っています。
今や六甲山のハイキング道で人気の徳川道ですが
元は幕末期に神戸市街地を避けるように作られた道で
大名と外国人とのトラブルを未然に防ぐ目的があったそうです。
当初は西国往還付替道と命名されたのですが
大正期にハイキング道”徳川道”として生まれ変わっています。
護国神社から先にある長峰坂。
長い急坂が続きます。
昔はこの付近はすでに山道だったそうですが
今ではすっかり住宅地の様相になってしまってます。
徳川道の入口がこちら。
基本的に案内看板通りに進むと峠に着くことができます。
ここから先は一気に登山道の様相になるのですが
狭くて急坂な場所は本来の徳川道でないことが多いようです。
近年になり峠までの道筋には堰堤がいくつも築かれ、
それを回避するように新たな道が作られてしまいました。
また阪神大震災での土砂崩落の影響もあったかもしれません。
当初の目的では大名行列も想定していたでしょうし
今よりはいくぶん緩やかで歩きやすかったものと思います。
現在の徳川道は幕末時よりも相当ハードな道になっているようです。
こういう沢渡りが多いのも特長的ですね。
前日の降雨量に十分チェックしないと痛い目にあいます。
所々に石積みが残ってるのは嬉しいところです。
これが江戸時代のものかどうかの見分けは難しいところですが
山中では何か所かで古い時代のものがあったように思います。
杣谷峠。「そまだに」と読みます。
標高は650mということもあって涼しいです。
ここからの徳川道は
あえて神戸市街を見下ろせないルートをとっていきます。
穂高湖。
なかなか美しい湖です。
上高地の大正池に似ていることから命名されたといわれています。
ですので命名は昭和初期になるのでしょうか。
この付近の徳川道が湖にわざわざ寄っているのは
おそらく馬などの飲み場確保のためだったのでしょう。
高原のような道筋が続きます。
幾度も川と交差し沢を渡っていきますが
森林植物園の手前には「飛び石渡り」が残っています。
大きな石が直線上に置いてあって
それを伝って川を渡るというものですが
どの石も立派なもので渡りがいがありました。
森林植物園内(有料)の中を進み、
昔からある大きな長谷池の横を通り出口へ。
池には睡蓮が咲き誇っていました。
そして紫陽花も8月にも関わらず結構咲いていて
標高が高いことを思い知らされます。
森林植物園を出ると最初の藪漕ぎ区間です。
高校の横から入るのですが実に難解です。
右手の門の横から入ります。
藪自体はそれほどではないのです。
入口は二又に別れてるのですが整備されたほうは行き止まりで
鬱蒼とした雰囲気のほうの道が正解なのです。
やがて、すずらんの湯に出てきますが
この付近は無理矢理駐車場に出るしかありません。
詳しくはヤマレコでの記録をご覧ください。
すずらんの湯の周辺は
現在の有馬街道(古くは天王谷越)との交点になります。
ここは丁度、谷間になっているので
西へ向かう徳川道は再び山へと進路を取ります。
次の難所は惣山です。
惣山は今や住宅開発によって
昔の面影は一部現存しているハイキングコースしか残っていません。
惣山の麓には古い道標が残っていました。
「右 ニたび山 左 まや山道」
ここが徳川道であった何よりの証拠です。
徳川道の1回目は鈴蘭台西口駅で終了としました。
一気に石屋川から大蔵谷まで歩こうと思えば行ける距離ですが
ルート上に廃道など不確定要素が多いので2回に分けました。
山道があると時間配分が難しいですね。
次回も結構な藪道があるそうなので覚悟して進みます。
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