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初夏の陽気に恵まれた春。
あちこちでタイヤ交換する姿が印象的でした。
家の隙間からは真新しい高架橋が見えます。
北陸新幹線の開業までもうすぐですね。
下の写真は街道名残りの草道。
バイパスが出来て車の流れが変わったので
旧ルートは忘れられた存在になってしまっています。
野々市宿は金沢市の隣にある小さな町。
街道沿いには多くの旧家が残っています。
電線は地中化されてタイムスリップ気分です。
ここには郷土資料館と
重要文化財の喜多家住宅があるのですが
どちらも係員の説明がとても熱心で
建物の良さを存分に楽しむことができます。
ポイントの一つが灰で作られた模様。
お婆様が毎朝丁寧に作っているとのことです。
近年、観光ポスターで紹介され話題にもなりました。
あと、”加賀のれん”もいいですね。
川の流れの模様がなんともいえないです。
野々市を過ぎると
いよいよ金沢城下に近づいてきます。
北鉄の野町駅近くには「上口の松門」がありました。
ここが金沢城下の西の端にあたるそうです。
この「上口」とは京都を指しています。
対して反対側の富山側の出口は「下口」。
どちらも監視のための門があったといいます。
野町広小路の交差点の手前には
板の屋根の上に石がのっている旧家がありました。
こんな町中に普通に建ってるなんて珍しいですよね。
犀川を渡れば金沢城下の中心部。
遠くの山々にはまだまだ多くの雪が残っていました。
金沢には犀川と浅野川の大きな川が流れています。
大小の大きさから男川、女川とも呼ばれることがあります。
片町の風景。
金沢の若者の町な界隈です。
対して香林坊は金沢一番の繁華街。
こちらは大人な町の印象があります。
その香林坊ですが
かつては橋が架かっていました。
今も道端に欄干が保存されていますが
まさにここが城の外堀があった場所にあたります。
金沢城は犀川、外堀、浅野川によって守られ
堅固な城であったことがわかりますね。
近江町、尾張町を歩いていきます。
地方の名のついた町名が多いですが
尾張町は尾張地方からの職人が住み着いていたように
今も地名に江戸期の名残があるのはいいですね。
浅野川を渡ると東山界隈。
有名な「ひがし茶屋街」はこの近くです。
卯辰山の麓を縫うように街道を進んでいきます。
下口の松門の跡。
ここが金沢城下の北の端にあたります。
松も植えられいい感じですよね。
この付近の旧道は今は住居ばかりですが
かつては商店がずらーと連なっていたそうです。
森本駅付近では
北陸新幹線の大きな高架橋がそびえていました。
街道にある古い家との対比が面白いです。
北陸本線の線路を渡ると後は一本道。
ずーと旧道が続いていきます。
昔は河北潟と呼ばれる湖の影響で
付近一帯は湿地帯だったのだそうです。
立派な松並木が数本残っていました。
こういう何もない場所は影がないので
往時の旅人は大変有難かったのではと思います。
二日市の集落を過ぎるとやがて津幡宿。
津幡は能登への道の分岐点でもあって
重要な拠点の一つでした。
次回は倶利伽羅峠を越えて高岡に向かいます。
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