↑詳しいルートと記録は【山行記録のページへ】もご覧ください。
雨の津幡宿はひっそり。
この日の降水確率は90%ということで
完全防水装備での出立でした。
宿場の先から勾配が始まります。
今回の難所は”倶利伽羅峠”です。
越中と加賀の境にある峠で
古くは源平合戦の地でもありました。
峠の手前の竹橋宿。
道が宿場の真ん中を貫いています。
かつては旅籠などが多くあったようですが
今や面影はほとんど残っていません。
しかし、よくよく見ると
どこか感じる宿場の雰囲気。
路面が濡れてしっとりしてるせいか
晴れの日よりも静けさが増してる気がします。
こう考えてみると
雨の街道歩きも悪くないですね。
倶利伽羅峠への道。
かつては北陸の大動脈だったからか
比較的歩きやすくなだらかな印象を受けました。
途中には階段が整備されいたりと
いわゆる手軽なハイキングルートな感じです。
そんな中でも昔の遺構を探すのは楽しいもので、
随所にある案内板を見てると想像が膨らんできます。
尾根筋には切り通しが立派に残り、
江戸時代の街道の雰囲気を保っていました。
上の写真は片側は崖です。
かつては人が1人だけ通れるように
あえて狭い幅にしていたのだそうです。
これも防衛対策の一つなのでしょう。
峠の手前にある集落は「倶利伽羅」です。
この変わった地名。実はインドの言葉からきていて
「剣に黒龍の巻き付いた不動尊」の意味だそうです。
峠には不動寺があります。
ここに祀られてる不動さんは日本三大不動です。
昔は長楽寺という巨大なお寺があったのですが
今や面影は不動寺の巨大な敷地に見ることができます。
加賀から越中の国へ。
下り道をどんどん進んでいくと
広大な砺波平野が見えてきました。
この平野の特徴は”散居村の光景”です。
この辺りでは風がキツいことが多いので
風がよく吹く方角に大きな木を植えてる家が多く
その光景は整然としていて素晴らしいものです。
下に晴れの日の砺波平野を載せておきます。
埴生宿。読み方は”はにゅう”です。
富山県側の最初の宿場町は
大きな八幡宮が有名です。
続いての宿場は今石動宿。
こちらも少し読みにくい地名ですよね。
”いまいするぎ”と読みます。
ちなみに近くに「石動山」があるのですが
こちらは”せきどうざん”になります。
そういえば
越前、越中、越後の名前のいわれって何かな?と
この辺りで考えながら歩いていました。
京の都に近いほうが前というのは想像がつくのですが
では”越”ってのは何??とずっと疑問でした。
調べてみると北陸地方一帯には「越」という国があって
山や川によって3つに分けたというイメージなのだそうです。
これは大和朝廷の勢力がまだ及んでいない頃なので
聖徳太子もびっくりするほどの昔の話ですね。
勾配がない平野の中を進んでいきます。
今は家が建っている場所も
かつては田畑が広がっていたことでしょうし、
菅(すげ)もたくさん植わっていたと思います。
その菅で有名だったのが次の福岡宿です。
昔からの菅笠の産地で、
今でも全国シェアが90%もあるのだそうです。
たんたんとした道が続きます。
ずーっと分岐がなく一本道です。
雨の時は大変ありがたいもので
道に迷うことなく進むことができました。
高岡宿に入ります。
さすがに城下だけあって道が入り組んでいます。
明治期に大火があった影響で
江戸時代の建物は少ないようですが
明治の重厚な建物が実に良い感じでした。
濡れた路面に映るライトが美しい。
街道は高岡大仏の前で左折します。
坂下から見える大仏様はとても印象的でした。
次は富山城下を目指していきます。
【カテゴリ:北国街道(北陸道)の関連記事】