2014年12月04日

北国街道その9・高岡宿→富山城下→水橋宿

高岡宿より日本海の見える水橋宿を目指します。

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↑詳しいルートと記録は【山行記録のページへ】もご覧ください。

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高岡宿の外れにある小さな枡形の跡。

道路の真ん中には融雪装置が設置されています。
まさに雪国ならではの光景ですよね。

高岡宿の外れの庄川を渡ると越中大門です。

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ダルマの絵柄で有名な凧揚げ大会は
毎年5月に庄川の河川敷で行われています。

初開催は1979年というので意外と新しかったりします。
町中にはダルマの絵柄があふれていました。

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北陸新幹線の高架が見えてきます。
この付近は「開発」という地名のとおり
開発によって旧道の痕跡はあまり残っていません。

そんな中、
三ヶの一里塚がひっそりと残っていました。
県内での現存は2つあるうちの1つとのことです。

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小杉宿に入ります。
古い家が残る静かな町並みです。

ここから先の北国街道は二手に分かれます。
1つはこれから進む富山城下ルート。
もう1つは海岸沿いに進む岩瀬浜ルート。

いずれも再び水橋宿で合流しています。

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その分かれ目が手崎追分です。
ここには立派な道標が残っています。

「左 いわせ」「右 とやま」

加賀藩の参勤交代は富山城下を避ける意味で
岩瀬浜ルートを経由して進んでいます。

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ここから先は茶屋町にかけて消滅した箇所が多いのですが
所々に良い雰囲気の旧道が残っています。

1つは明治天皇が休まれた場所。
北陸本線沿いにあります。

付近一帯の草道は長閑でなんとも良い感じです。

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もう一つは願海寺の七曲り。

七曲りと名が付く場所は他にも数多くありますが
大抵は敵の侵入を遅らせるなど防衛の意味があります。

この場所もかつては願海寺城があった影響で
完全な道筋とはいえないものの今も七曲りが残ります。

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目の前に呉羽山が近づいてきました。

大きな梨畑の中を進んでいきます。
この付近は呉羽梨で有名です。

栽培は明治40年からとのこと。
それまでは茶畑が多かったそうです。

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茶屋町は古い時代の北陸道との追分です。
年季の入った道標が置かれていました。

「小杉道」「立山道」「城端水戸田道」

古北陸道は高岡を通らないルートを辿っていて、
江戸期の北国街道より距離は短かったようです。

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明治天皇小休止跡を過ぎると
呉羽山にある明神峠越えに入ります。

振り返ると今まで通ってきた平野がよく見えました。

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ちなみに明治天皇一向は明治期に新しく出来た
五福新道で明神峠を迂回しています。

明神峠の時代による移り変わりは複雑です。
それだけ重要な場所だったということでしょう。

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こちらが現在の明神峠。

山道になっていて
古い石積みも残る良い風情が残っています。

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峠を下ると神通川を渡ります。

江戸時代の神通川の流れは今と大きく違っていて
富山城の北方を今の松川の川筋で流れていました。

なので、この付近は本来は川はなかったわけで
付け替えによって街道が一部沈んでしまいました。

堤防の上から眺める景色。
このどこかに一里塚が眠っているのだそうです。

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富山市街地に入ってきました。

江戸時代はここで神通川を渡ることになるのですが
渡し舟ではなく舟橋が設けられていました。

地名には今も「舟橋」の名前が残ります。

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かつての舟橋の両岸には常夜灯が2つとも残っているので
この間が大体の川幅だったことを想像できます。

この舟橋は浮橋だったので川に落ちて水死する人も多く、
管理上の不便もあって明治15年に「神通橋」が架けられています。
その長さは約231mというのでこれも相当なものですよね。

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富山城下の町並みは空襲があった影響で
古い建物は少ないですが整然として歩きやすい道です。

街道は城を迂回するような道筋になっています。

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富山城下を過ぎると新庄です。

新庄は上市や岩峅寺への街道の分岐点でもあって
雰囲気ある家並みが残っていました。

その1つに有名な金岡邸があります。

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300年の歴史をもつ「とやまのくすり」。

主屋は明治初期の商家で
新屋は総檜造りというからかなり豪華な建物です。

展示内容は薬売りの歴史や売り方など
現代の経営にも通ずる充実したものがありました.

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ここから先の北国街道は
常願寺川の影響を受けていきます。

途中にあった手屋の集落には
川の氾濫を避けるためでしょうか。

立派な石積みのある家々がありました。
それはまるで伊勢の輪中のようです。

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堤防上に残る街道名残りの松。

これを過ぎると橋を渡って対岸に行くのですが
常願寺川も川の付け替えがあった影響で
道筋がいまいちわからなくなってしまっています。

今回歩いたルートは
何もない田んぼの中の道筋だったのですが
かつての常願寺川の左岸にあたるのだそうです。

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ようやく旧道が復活するのは水橋宿の手前。

水橋宿は海沿いだったために
安政地震において津波の被害が甚大だったそうです。

被害によって内陸に移動することになるのですが
元の宿場だった場所は昔の面影はほとんどなく
ヨットハーバーなどになってしまっていました。

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北国街道を歩いてきて初めて見る日本海です。
ただただ感動。晴れていて良かったです。

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posted by にゃおすけ at 17:15 | Comment(0) | TrackBack(0) | 北国街道(北陸道) | 更新情報をチェックする
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