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季節は晩秋。
前回は38度の炎天下の中を歩きましたが
葉が色づいて町の雰囲気が違って見えます。
猪名川のほとりを進みます。
少し下流では夏に花火大会が開催されます。
交通の便が良く規模も大きい大会なのですが
それほど混雑がないので穴場だったりします。
川沿いには阪神高速の高架橋が立ち並びます。
かつての街道は高架橋下を進んでいたようですが
残念ながら消滅してしまっています。
能勢街道のルート看板。
池田の周辺はこのような看板が設置してあり
迷うことなく進めるのはありがたいことです。
でも問題はここから先。
能勢街道はいくつかのルートに分かれています。
現代の感覚から考えると
川に沿ってのルート(現在の国道)が楽に見えるのですけど、
険しい崖があり道を通すには江戸期の技術では難しかったようで
明治期になってから作られたルートなのだそうです。
今回は伏尾を通る尾根沿いルートで進んでいきます。
勾配を少しづつ稼いでいくと
ゴルフ場の中へと導かれていきます。
伏尾ゴルフ倶楽部です。
入口にはこんな感じの看板がありました。
「街道ウォーカーのために道が開放しているよっ!」
ゴルフ場では飛球があるので立入禁止が多いと思うのですが
このようなウォーカーへの配慮は嬉しいですよね。
ただし指定された場所以外は入ってはいけないようで
うろうろと寄り道することはできませんでした。
ゴルフ場内の片隅にあった石仏群。
かつては道沿いにあったものなのでしょう。
ゴルフ場手前には大きな常夜灯がありました。
こういう古いものがあるということは
ここが街道であった何よりの証拠ですね。
尾根道を進み住宅街を抜けると
妙見口駅の手前に差し掛かります。
妙見山は関西の霊峰の一つ。
江戸時代後期は特に賑わっていました。
今回の能勢街道は妙見山への参詣道でもあるので
数多くの参拝者が通っていたと思われます。
多くの人が通る重要な道というだけあって
道の改良は古くから活発に行われていたようです。
先ほど述べた明治になって出来た川沿いの道もそうですが
新しい道や鉄道が開設され便利になっていきました。
今回の区間において廃道になってる場所が多いのですが
こういった事情があるのかもしれません。
さあ、妙見山です。
一旦ここで能勢街道と分かれて寄り道をします。
今はケーブルカーや車で楽々といけますが
昔はというと、もちろん登山になります。
江戸時代のルートは
現代のコースでは上杉尾根ルートが該当します。
今もあちこちに常夜灯や石積みなど見ることができます。
この上杉尾根ルートですが
江戸時代は現在の入口と少し違っていました。
この鳥居の場所が江戸時代の入口です。
本来はここから上にあがっていくのですが
藪が多すぎて進むには困難な状態です。
妙見山の頂上は
まさに霊場といった雰囲気がありました。
古い飲食店もなかなかの雰囲気。
帰り道は主に京都方面から使われていたであろう
余野への妙見山参道で下山しました。
大正時代に造られた大鳥居。
鳥居の奥には古い参道が伸びていました。
こういう倒木多数の区間もありました。
山の中の道はある程度整備されていないと
雨やら台風やらでこうなってしまいますね。
かつては賑わっていたであろう旧参道。
まるでひっそりと眠っているかのようです。
今回は余野でゴールとしました。
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