2015年03月26日

【街道シンポジウム】 赤穂街道・相生→赤穂城下

赤穂浪士も通った相生から赤穂への道。
今回は街道シンポジウムの一環で歩いてきました。

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↑詳しいルートと記録は【山行記録のページへ】もご覧ください。

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朝飯は姫路駅の駅そば大盛。最高に旨い!

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西国街道との分岐点に立つ道標。

「是より右 さいこくみち」
「是より左 あかう城下みち」

相生の駅前は区画整理された影響で
元の位置から大きく移設されています。

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のどかな道が続き、
川を渡ると相生の町は終わり。那波の集落です。

町の中心と思われる場所には
道路元標があり立派な家々が連なります。

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那波は名前のとおり
海に近く港への道が分岐していました。

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上の写真のような大きな井戸を
あちこちで見かけることが出来ます。

特に赤穂市街は「赤穂上水」が町を張り巡らされていて
面白いことに湧き出る水を使用するのではなく
川の上流の水を上水で運んで貯めておく為の井戸だったそうです。

赤穂上水は日本三大上水の一つ。
備前焼の土管が使われてたり実に興味深いものです。

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さて、街道シンポジウムなんですが
何人かの仲間と集まってわいわい楽しもうというもので
彦根、近江八幡、伊賀上野に続き今回で4回目の開催です。

どんな活動なのかというと、
下の動画を見てくださると一発です。



今回の赤穂街道は地方街道であるので
資料が少なく検討するのが大変だったんですが
古地図を広げ皆で知恵を出して検討していると
往時の道を浮かび上がらせることができました。

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赤穂街道の難所は高取峠です。

ゆっくりと勾配をあげていく峠道。
行く手には旧道の案内看板もあり雰囲気が出てきます。

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峠付近の旧道は国道が作られた際に
削られで跡形がない場所が多くなっています。

旧道と獣道(旧道消滅区間)とを交互に進んで行くのですが、
一見同じように見える山道でもよく見るとどこか違うものです。

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たとえば、この苔むした石積み。

これは明らかに手を加えて作ったものなので
こういう遺構は大抵は旧道である可能性が高いです。

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あと、路盤が安定していたり
道幅が広かったりと様々な特色があるものですが
見分け方の第一のポイントとしては
多くの人がそこを歩いたという点でしょうか。

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高取峠

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街道は幹線で物流の要でもあったので
あまりに険しい場所は多くの人は歩かないもので、
単なる山道である可能性が高いといえます。

街道でも険しい場所はあることはあるのですが
そういう場所は名所になっていて(東海道さった峠など)
たいがい文献や絵図に残っていたりするものです。

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高取峠から下って行くと
整備された旧街道が現れます。

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赤穂の町が見えてきました。

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峠方向を振り向いて。

ぐんぐんと道なりに進むと
やがて千種川が見えてきます。

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赤穂街道を道筋を調べる上で
どこで川を渡っていたかがポイントでした。

赤穂の歴史資料館で問い合わせたり、
川の専門家より千種川の歴史を紐解いていくと
下流域で川筋が2手に分かれてた事実が見えてきました。

その川筋の影響によって
一般的に利用された渡しの場所が時代で違ったようで、
今回のルートは元禄時代までのルートにあたります。

いわば、赤穂浪士も利用したであろう道筋です。

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現在の坂越橋のあたりが元禄までのメインの舟渡しで
今も川岸にはそれっぽい遺構が確認できます。
上の写真の大きな石がおそらくそうではないかと思います。

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坂越橋を渡る前に
坂越の町並みに寄り道してみました。

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街道筋から少し離れますが
坂越は赤穂と違って天然の良港に恵まれて
多くの船で賑わっていたといいます。

今も立派な家々に面影が残っていて
のんびりした風情を味わうことができました。

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橋の柵に渡し船の図柄。

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城下への道筋を進みます。
渡し船で渡ってしまえば平坦な道が続くわけですが
先ほど書きました川筋が2手に分かれていた点に注目です。

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かつての川の跡が街道筋を横切っているわけですが
その横切った付近では若干のアップダウンを確認できます。
上の写真の場所はおそらく堤防跡なのでしょう。

赤穂の町に入ってくると
大きなショッピングセンターの中を通らねばなりません。

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このショッピングセンターの前身は巨大な工場でした。
明治の早い段階にはすでにあったようです。

工場の面影はショッピングセンター出口付近にあった
大きなコンクリートの壁。形から見て戦前製のものでしょうか。
写真を撮ってなかったのが悔やまれます。

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城下は千種川の本流の能見川が流れていた影響で
その名残をいくつか見ることができます。

中州という地名もその一つ。

ここには城門があって
付近には船溜まりもあったことが古地図に描かれています。

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息継ぎ井戸付近が赤穂の道路元標の場所にあたります。

道筋は赤穂城内へと続いています。
その距離500mほど。

この場所は息を整えるには
ちょうど良い場所であったことがわかります。

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牡蠣の食べ放題。蒸し牡蠣オススメ。

赤穂街道は坂越に寄り道しても
トータルで20kmも満たない距離で手頃です。

峠あり海あり城下ありと
これほどまでバリエーション豊富な街道は
あるようでなかなかないものです。

気軽に歩ける赤穂街道。
ハイキングに是非お勧めしたい道です。


 
posted by にゃおすけ at 11:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | 街道シンポジウム | 更新情報をチェックする
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