2015年04月30日

美濃路その2・稲葉宿(国府宮)→須賀駅

雨の美濃路。木曽川の家並み。

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↑詳しいルートと記録は【山行記録のページへ】もご覧ください。

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昼から雨の予報だったので
朝の5時半には稲葉宿を出立しました。

さすがに早朝なので人の気配がありません。
写真も撮り放題。早起きは三文の徳とはよく言ったものです。

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宿場内で見かける案内看板には
ルートとともに見どころが紹介されています。

問屋場の跡や本陣の跡など
一見通り過ぎてしまいそうな場所でも
看板があればついつい立ち止まってしまいます。

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一宮市に入ると水田が増えてきました。
遠くには養老の山々も近づいてきました。

ここまで美濃路を歩いてきて
山が1つも見えない光景が続いていたわけですが
それだけに濃尾平野の広さを実感できた思いがします。

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萩原宿は舟木一夫の生誕地。

少し古ぼけた案内看板は
まるで歴史上の古い人物かのようです。
字体もいい味を出していますよね。

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宿場は中ほどでL字状に曲がっています。

かつて戦国時代には萩原城があり
江戸初期には尾張藩の御茶屋御殿があったそうです。

現在の荻原宿の原型は
城を中心とした城下町ということになりますが
遺構としては残念ながら残っていないようです。

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モダンな建物が残るメインストリートには
綺麗な飾りづけがされていて印象的な光景です。

古くは遊郭があったといいます。

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富田の一里塚。
両塚がきっちり残っています。

京に向かって左側の塚を
一般的に「左塚」と呼ぶそうです。

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道路と比較してもこの通り。
いかに大きいかがわかると思います。

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起(おこし)宿。

木曽川を前にした宿場町で
3本の渡し場が存在していました。

上流から
定渡船場、宮河戸、舟橋河岸。

舟橋河岸には将軍が通行する予定の前後は
一時的に橋を架けられていたそうです。

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これらの資料は
尾西市歴史民俗資料館でみることができます。

展示内容は宿場の様子の紹介が大部分で
江戸に向かった象の渡しの様子の展示もありました。

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資料館の建物は雰囲気ある建物です。
中にある庭園も実に立派なものでした。

敷地的には脇本陣跡のところに建ってるのですが
元の建物は濃尾地震の際に倒壊してしまってるので
今の建物は大正期に建てられています。

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かつての渡し場のひとつ

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そういえば、なぜ起宿という名前なのか。

この地域で木曽川のことを「起川」と言っていたので
おそらくそこからきているのではと思います。

ちなみに美濃路にある他の大きな川にも
今の時代とは別の名前がついていました。

起川(木曽川)
小熊川(境川)
墨俣川(長良川)
佐渡川(揖斐川)

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木曽川を渡ります。

対岸にも船着場があるのですが
大正期に堤防工事、土地改良があった影響で
起宿側と比べ遺構が少なくなっているようです。

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堤防上にあった常夜灯は移転されたもので
船着場自体は金毘羅神社にありました。

鬱蒼とした森の中といった雰囲気です。

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ちなみに将軍が利用した舟橋からの道はこんな感じ。
舟橋跡はここより1kmほど下った場所になります。

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雨が強くなってきました。

水田の稲の香りや道の土の匂いなど
雨ならではの香りを楽しめました。

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やがて今回のゴールの須賀駅。

本当は一気に垂井宿まで行く予定をしていたのですが
40キロ越えの道のりなので暑い時期は無理はできません。
逆に雨のおかげで道中をゆっくり楽しむことができました。


  
posted by にゃおすけ at 20:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | その他の街道 | 更新情報をチェックする
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