2015年06月09日

日光西街道(壬生道)その2・楡木宿→今市宿

さわやかな5月の街道歩き。

IMG_6899.JPG


↑詳しいルートと記録は【山行記録のページへ】もご覧ください。

IMG_6902.JPG

楡木宿の読み方は「にれぎ」で
宿場内に楡の大きな木があったのが由来です。

IMG_6920.JPG

小山から続いてきた日光西街道ですが
楡木から先は日光例幣使街道と重複しています。

現代はこの先も例幣使街道として扱うことが多いですが
一里塚は江戸を起点として数えられていますし、
五海道其外延絵図日光道壬生通が発行されてるので
日光西街道(壬生道)と考えるのが妥当かなと思います。

ただ、江戸時代の街道名はあってないようなものですから
この辺りは深く考えないほうがいいかもしれませんね。

IMG_6913.JPG

奈佐原宿。

一見、何もないような町に見えるのですが
国の無形民俗文化財が2つもある凄いところです。

その一つが人形浄瑠璃で
今も春と秋の祭りで公開することがあるそうです。

IMG_6914.JPG

IMG_6909.JPG

遠くに日光連山が見えてきました。

街道のところどころに杉並木の名残りが出てきました。
日光が近いことを実感させてくれます。

IMG_6922.JPG

IMG_6930.JPG

続いての鹿沼宿は彫刻屋台で有名です。
町のあちこちで屋台蔵を見かけることができました。

鹿沼宿の入口は鳥居跡(とりいど)の交差点です。

IMG_6936.JPG

この変わった地名は、鎌倉時代において、
日光連山を遥拝する巨大な鳥居から由来しています。

鳥居跡で内町通りと田町通りの2つの道筋に分かれますが
宿場町形成時に整備されたのは内町通りのほうで、
田町通りは江戸期以前の古日光街道にあたります。

IMG_6937.JPG
追分にある二荒山神社

資料によって継立を月に20日は内町通りが担当し、
残り10日を田町通りを担当したという話もありますが、
このように宿場で2つの道筋があるのは珍しいですね。

ezu.jpg
画像提供:東京国立博物館

ここで絵図を見てみましょう。
上の細い道が古日光街道の田町通りです。
下の大きな道が日光街道の内町通りにあたります。

このように絵図を見ていると
宿場町風情が手に取るようにわかりますね。

一つ面白い点としては、
鳥居跡の交差点を越えた先まで杉並木が続いています。
しかも分岐点には何もない感じです。

IMG_6944.JPG

IMG_6962.JPG

一般の旅人が多かった壬生道において
道に不慣れな人が多かったものと思います。

それゆえ、家並みや杉並木に沿って歩いたと考えらますから
迷わないよう杉並木で誘導していたのかもしれませんね。

IMG_6956.JPG

鹿沼宿は戦国時代は鹿沼城の城下町でもあったので
寺が集中してる地区があったりと城下町風情を感じます。

鹿沼市役所の裏が「鹿沼城址にあたります。

この辺りは電線が地中化されてて空がスッキリ。
なんとも気持ちの良いものです。

IMG_6976.JPG

IMG_6978.JPG

御成橋を渡ります。
橋には可愛いモニュメントが埋め込まれていました。

IMG_6982.JPG

IMG_6985.JPG

橋を渡った先の高台には不動堂があり、
日光連山や鹿沼宿を一望することができます。

江戸期においてはここで旅の安全を祈願したのだとか。

IMG_6988.JPG

杉並木が始まりました。

杉の外側には遊歩道が整備されていて
とても心地よく歩くことができます。

ふと、中から杉の外を見てみると
昔ながらの長閑な光景が広がっていました。

IMG_6998.JPG

IMG_7000.JPG

日光市との境には杉並木寄進碑が立っています。

日光の杉並木は日光東照宮創建と同時に植えたのが始まりで
今や世界最長の並木道としてギネスに載るほどになっています。

その由緒が刻まれているのが寄進碑で
慶安年間に各街道の入口と神橋に建てられています。

IMG_7009.JPG

IMG_7013.JPG

鹿沼市から続いてきた杉並木は
日光市に入るとさらに凄みを増してきました。

管理状態が良いのでしょう。どれも大木です。

IMG_7019.JPG

こちらは一里塚の跡。
杉並木の外側にこじんまりした塚が残っていました。

IMG_7020.JPG

杉の大木に比べると小さく埋もれる感じですが
江戸時代においての杉はそれほど樹齢がないので
ちょうど良い感じに街道から見えていたのかもしれませんね。

IMG_7024.JPG

杉並木が途切れると文挾宿。
この宿場名も難読で「ふばさみ」と読みます。

IMG_7027.JPG

宿場は延命地蔵尊のあたりからですが
その手前には立派な追分道標がありました。

IMG_7023.JPG

IMG_7025.JPG

左 大谷、右 鹿沼。

宇都宮方面の道筋なのでしょう。
鹿沼方面とは今通ってきた道ですが
江戸の文字や倉賀野の文字は見当たりません。

IMG_7038.JPG

文挟宿の北の端は枡形のように折れ曲がっています。

そこに立っているのが村の倉庫。
これはただの倉庫ではありません。

IMG_7039.JPG

江戸期は飢饉が多くありましたが
それに備えて設置されたものだそうです。

IMG_7046.JPG

宿場から外れると再び杉並木が始まります。

途中にまた一里塚の跡があり
こちらも杉並木の外側に設置されています。

IMG_7053.JPG

それにしても杉の中を歩くのは気持ちがいいものです。

花粉症の人は大変かもしれませんが
雨が降ってると杉の香りが際立つかなと思いました。

IMG_7057.JPG

板橋宿。
ここも宿場内は杉並木が途切れています。

業務をする上で並木は邪魔だったのでしょう。
途切れてる様子は絵図にもしっかり描かれています。

ezu2.jpg
画像提供:東京国立博物館

IMG_7062.JPG

板橋宿の北の端で枡形のようになっていて
それを過ぎると再び杉並木が始まります。

ここからはバイパス道が出来たおかげで
車がほとんど通らない道筋になっていました。

IMG_7068.JPG

たまに通る車と比較してみると
杉並木の大きさを実感できると思います。

地震坂は戦後すぐにあった地震によって
松並木が断層で一部移動してしまった場所です。

IMG_7080.JPG

本来の道筋は看板のあった後方になるそうで
振り返って見るとどれだけ移動したかがわかります。

IMG_7081.JPG
元の杉並木は道から大きくずれている

IMG_7082.JPG
元の杉並木と道路との境目

杉の木が動くって相当なものでしょうが
倒れなかったあたり杉って凄いですね。

IMG_7098.JPG

IMG_7101.JPG

今市宿が近くなってきました。
ところどころに民家が増えてきました。

途中にあった千本木集落。
絵図にも書かれている地名です。

IMG_7103.JPG

IMG_7108.JPG

日光街道の追分。
追分地蔵があります。

左 宇つのみや 右 かぬま
道標にもどこか風格があります。

IMG_7112.JPG

IMG_7110.JPG

今市宿は名水があることで有名です。
いまいちの水で乾杯して完歩としました。


  
posted by にゃおすけ at 19:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日光への街道 | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:


この記事へのトラックバック