参加者各人がプレゼンをしていくのですが
私が今回選んだテーマは伊勢への交通でした。
以下、当日のプレゼン内容を紹介していきます。

昔も今も人気のお伊勢まいりですが
歴史的にどのように変化していったのか、
交通の観点から紹介してみようと思います。

歴史的には大きく3つに分けられます。
1の中世までは集団参拝は何回かあった程度で
細々とした個人での参拝が多かったそうです。
これが江戸時代に入ると
”ええじゃないか”といったお蔭参りなどで
全国的な爆発的人気になっていきます。
さらに近代になると
初詣といったイベント要素が加わっていきます。
さて、お蔭参りですが、
江戸時代に起こった集団参拝のことを指しますが
とにかく凄い人数が伊勢に向かいました。
宝永年間では2ヶ月間に330万〜370万人が訪れてますが
当時の人口(2700万人)を考えると相当なものですよね。
この爆発的な人気の要因ですが

御師や講の存在がありました。
今でいうツアー会社みたいなもので
道案内や宿の手配や積立金などをやってくれたりと
何も知らない人でも安心していけたのは大きいといえます。
これに加えて、

平穏な世の中という時代的背景。
平穏でも庶民の移動には厳しい制限があったわけですが
伊勢神宮参詣の名目だと通行手形の発行審査は緩かった上に、
歩くルートはどこを通っても特に問題がなかったそうです。
これが各地で争いごとが多かった時代だったとしましょう。
旅をするにもきっと命がけだったに違いありません。

さらに、加えて、
全国的な街道の整備があげられます。
いわゆる五街道や伊勢へ至る地方街道の整備は
街道沿いには宿場、茶屋、松並木、一里塚などが設けられたりと
女性でも比較的安心して歩けるようになっていきます。

これは宮川の渡しの図なんですが
犬に女性にいろんな人がいっぱいいますね。
絵図なので声はありませんが、
きっと各地の方言が飛び交っていたではと思います。

これは私が歩いてきた街道の地図です。
伊勢への街道を紹介してみます。
江戸方面からは伊勢参宮街道です。

伊勢へ向かう街道として
「伊勢街道」と名が付く道がいくつもありますが、
現代の一般的な認識ではここを指すことが多いです。
大阪や京都方面からはいくつもルートがあるのに対して、
江戸や尾張からはこの道が実質的な一本だったので
相当な往来があったのではと思います。

これは東海道の追分に立つ有名な鳥居です。
伊勢参宮街道はここを起点としています。

こちらは香良洲道の道標。
一生に一度の旅ということで
あちこち寄り道する人が多かったと思いますが
特に香良洲神社は伊勢神宮と関係しているので
街道を迂回して寄る人が多かったようです。

伊勢といえば注連縄。一年中飾ってあります。

内宮の手前にあった立派な常夜灯です。
ことのほか伊勢街道沿いには巨大なものが多いのですが
全国各地のいろんな人が多く往来するということで
いわば広告塔のような役割があったのではと思います。

京都方面からは東海道を経由して伊勢別街道です。

巨大な寺内町があったり、

旅籠には講の板が掲げられています。
よく見ると京都の文字がいっぱいありますね。

そして、ここにもありました巨大な常夜灯。
大阪方面からはいろいろ道があるんですが
メインの道といえば伊勢本街道です。

有名な暗越峠を通って奈良を経由して山道を進みます。
本街道の後半は峠越えの連続ですが
大阪と伊勢への最短ルートを通っています。
対して、迂回路として青ごえ道が有名ですが
こちらは峠は少ないけども遠回りといった具合で、
峠道を嫌う人や女性が多く通った道といわれています。

近年、本街道は歩きやすいよう整備されつつあって、
このように案内看板を見かけることができます。

太一の常夜灯。
太一とは伊勢神宮のことですが
関西以外ではあまり見かけないかもしれません。
さて、時代は移って近代になると、
鉄道や車での参拝になっていきます。

国鉄と近鉄の戦いになるわけですが
大阪方面は近鉄が優勢で京都方面は国鉄が優勢だったようです。
左の電車は名車の2227系電車です。
よく見ると左に窓がないのがわかると思いますが、
この中は何があったと思います?
(答えはトイレでした。)

さいごに、近年の伊勢参りの傾向です。
今やなくてはならない初詣ですが
鉄道会社の集客競争がきっかけだったわけです。
初詣は時代をおって全国的な広がりを見せてきて、
正月といえば初詣!的なイベントになってきています。
そして、鉄道や道路といった交通の整備によって
気軽に行けるようになったので参詣だけの目的ではなく
何かのついでの人が多くなってきてるように思います。
いざ三重県まで来て、観光するところある?
そういえば伊勢神宮があったねー。
じゃ、そこ行ってみよー。ってな感じです。
もっとも、江戸時代においても
参詣が終われば奈良や京都に寄る人もいたので
参詣のみを目的とする人は少なかったかもしれません。
ただ、当時は旅は一生に一度といった感じだったので、
伊勢神宮に対する意気込みは相当なものがあったと思います。
三つ目の修学旅行についてですが、
昔と比べると行き先がだいぶ変わってきていますが、
大阪の修学旅行先といえばお伊勢さんが今も多いです。
近鉄は修学旅行用の車両をわざわざ用意していたほどで
当時それに乗ることが楽しみ楽しみで仕方なかったです。

以上で終わります。
エンジョイ!お伊勢参り!
【おまけ】
・メンバーぼんたさんのプレゼン「道中記の歴史」
・第5回 街道歩講 in 谷汲 実況中継
・2日目の街道歩きの様子 (動画約1分)
2227系って知りませんでした。運転手か車掌さんんの隣で”してた”んですか?
伊勢市駅はJR(国鉄)の方が幅をきかせてるのに大阪方面(湊町)に乗る人などなかったのでしょう。亀山〜加茂間は最大のネックですね
はじめまして。
私も乗ったことがないので想像の域なのですが
おそらくそうなのかもしれません。
伊勢から大阪までの輸送は参急(近鉄)が開通するまでは
省線(国鉄)が主だった輸送手段だったそうですが
開通してからはどうもさっぱりみたいでした。
これは無煙、速さ、快適さと三拍子揃った勝利なのでしょう。