2015年06月16日

『街道プレゼン』 伊勢への交通の変遷

関西の街道シンポジウムに参加してきました。
参加者各人がプレゼンをしていくのですが
私が今回選んだテーマは伊勢への交通でした。

以下、当日のプレゼン内容を紹介していきます。

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昔も今も人気のお伊勢まいりですが
歴史的にどのように変化していったのか、
交通の観点から紹介してみようと思います。

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歴史的には大きく3つに分けられます。

1の中世までは集団参拝は何回かあった程度で
細々とした個人での参拝が多かったそうです。

これが江戸時代に入ると
”ええじゃないか”といったお蔭参りなどで
全国的な爆発的人気になっていきます。

さらに近代になると
初詣といったイベント要素が加わっていきます。

さて、お蔭参りですが、
江戸時代に起こった集団参拝のことを指しますが
とにかく凄い人数が伊勢に向かいました。

宝永年間では2ヶ月間に330万〜370万人が訪れてますが
当時の人口(2700万人)を考えると相当なものですよね。

この爆発的な人気の要因ですが

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御師や講の存在がありました。

今でいうツアー会社みたいなもので
道案内や宿の手配や積立金などをやってくれたりと
何も知らない人でも安心していけたのは大きいといえます。

これに加えて、

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平穏な世の中という時代的背景。

平穏でも庶民の移動には厳しい制限があったわけですが
伊勢神宮参詣の名目だと通行手形の発行審査は緩かった上に、
歩くルートはどこを通っても特に問題がなかったそうです。

これが各地で争いごとが多かった時代だったとしましょう。
旅をするにもきっと命がけだったに違いありません。

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さらに、加えて、
全国的な街道の整備があげられます。

いわゆる五街道や伊勢へ至る地方街道の整備は
街道沿いには宿場、茶屋、松並木、一里塚などが設けられたりと
女性でも比較的安心して歩けるようになっていきます。

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これは宮川の渡しの図なんですが
犬に女性にいろんな人がいっぱいいますね。

絵図なので声はありませんが、
きっと各地の方言が飛び交っていたではと思います。

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これは私が歩いてきた街道の地図です。
伊勢への街道を紹介してみます。

江戸方面からは伊勢参宮街道です。

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伊勢へ向かう街道として
「伊勢街道」と名が付く道がいくつもありますが、
現代の一般的な認識ではここを指すことが多いです。

大阪や京都方面からはいくつもルートがあるのに対して、
江戸や尾張からはこの道が実質的な一本だったので
相当な往来があったのではと思います。

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これは東海道の追分に立つ有名な鳥居です。
伊勢参宮街道はここを起点としています。

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こちらは香良洲道の道標。

一生に一度の旅ということで
あちこち寄り道する人が多かったと思いますが

特に香良洲神社は伊勢神宮と関係しているので
街道を迂回して寄る人が多かったようです。

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伊勢といえば注連縄。一年中飾ってあります。

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内宮の手前にあった立派な常夜灯です。

ことのほか伊勢街道沿いには巨大なものが多いのですが
全国各地のいろんな人が多く往来するということで
いわば広告塔のような役割があったのではと思います。

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京都方面からは東海道を経由して伊勢別街道です。

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巨大な寺内町があったり、

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旅籠には講の板が掲げられています。
よく見ると京都の文字がいっぱいありますね。

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そして、ここにもありました巨大な常夜灯。

大阪方面からはいろいろ道があるんですが
メインの道といえば伊勢本街道です。

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有名な暗越峠を通って奈良を経由して山道を進みます。

本街道の後半は峠越えの連続ですが
大阪と伊勢への最短ルートを通っています。

対して、迂回路として青ごえ道が有名ですが
こちらは峠は少ないけども遠回りといった具合で、
峠道を嫌う人や女性が多く通った道といわれています。

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近年、本街道は歩きやすいよう整備されつつあって、
このように案内看板を見かけることができます。

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太一の常夜灯。
太一とは伊勢神宮のことですが
関西以外ではあまり見かけないかもしれません。

さて、時代は移って近代になると、
鉄道や車での参拝になっていきます。

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国鉄と近鉄の戦いになるわけですが
大阪方面は近鉄が優勢で京都方面は国鉄が優勢だったようです。

左の電車は名車の2227系電車です。
よく見ると左に窓がないのがわかると思いますが、
この中は何があったと思います?

(答えはトイレでした。)

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さいごに、近年の伊勢参りの傾向です。

今やなくてはならない初詣ですが
鉄道会社の集客競争がきっかけだったわけです。

初詣は時代をおって全国的な広がりを見せてきて、
正月といえば初詣!的なイベントになってきています。

そして、鉄道や道路といった交通の整備によって
気軽に行けるようになったので参詣だけの目的ではなく
何かのついでの人が多くなってきてるように思います。

いざ三重県まで来て、観光するところある?
そういえば伊勢神宮があったねー。
じゃ、そこ行ってみよー。ってな感じです。

もっとも、江戸時代においても
参詣が終われば奈良や京都に寄る人もいたので
参詣のみを目的とする人は少なかったかもしれません。
ただ、当時は旅は一生に一度といった感じだったので、
伊勢神宮に対する意気込みは相当なものがあったと思います。

三つ目の修学旅行についてですが、
昔と比べると行き先がだいぶ変わってきていますが、
大阪の修学旅行先といえばお伊勢さんが今も多いです。

近鉄は修学旅行用の車両をわざわざ用意していたほどで
当時それに乗ることが楽しみ楽しみで仕方なかったです。

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以上で終わります。
エンジョイ!お伊勢参り!

【おまけ】 
・メンバーぼんたさんのプレゼン「道中記の歴史
・第5回 街道歩講 in 谷汲 実況中継
・2日目の街道歩きの様子 (動画約1分)


 
  
posted by にゃおすけ at 19:00 | Comment(2) | TrackBack(0) | 街道シンポジウム | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
初めまして。街道好きおやじです。
2227系って知りませんでした。運転手か車掌さんんの隣で”してた”んですか?

伊勢市駅はJR(国鉄)の方が幅をきかせてるのに大阪方面(湊町)に乗る人などなかったのでしょう。亀山〜加茂間は最大のネックですね
Posted by キョーダイ at 2015年06月30日 15:08
>キョーダイさん

はじめまして。
私も乗ったことがないので想像の域なのですが
おそらくそうなのかもしれません。

伊勢から大阪までの輸送は参急(近鉄)が開通するまでは
省線(国鉄)が主だった輸送手段だったそうですが
開通してからはどうもさっぱりみたいでした。
これは無煙、速さ、快適さと三拍子揃った勝利なのでしょう。
Posted by にゃおすけ at 2015年06月30日 15:38
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