2015年09月09日

善光寺西街道その3・麻績宿→善光寺

お盆の街道歩き。
曇り空の涼しい道中になりました。

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↑詳しいルートと記録は【山行記録のページへ】もご覧ください。

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麻績宿。
今回は大阪から夜行バス入りでした。

宿場近くには麻績インターというバス停があるので
目覚めたらすぐに歩き始めることができます。

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麻績宿の端にあった番所跡には
かつては「右 うゑ田道 左 せんこう寺道」の道標がありました。
”うゑ田”とは上田のことで北国街道に繋がっています。

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市野川は峠を前にした間の宿。
奥に見える山が今回の難所の猿ケ馬場峠です。

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コスモスが早くも咲いていました。
標高が高いこともあって秋の訪れは早いようです。

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草道を進んでいきます。
九十九折で標高を稼いでいきます。

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お仙の茶屋跡は美人が働いていたので
麻績村の男衆はここまでよく通っていたのだとか。
まぁ、この手の話はあちこちでありますね。

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峠の手前には聖湖が広がります。
古くは馬場池、夜が池とも呼ばれていました。

現在はリゾート地な場所なのですが
かつては周辺の村々の貴重な水源ということで
湖を巡っての争いが多かったといいます。

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旧峠入口。左へ。

旧猿ケ馬場峠へは草道を進みます。
通る人が少ないからか藪が酷い状態です。

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峠には碑が立っています。
先ほど書いた湖を巡っての争いのものです。

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村の境は元々はこの位置でした。
争いの結果少し標高を下げた場所に馬塚を作り、
明治までは馬塚を境界として続いていました。
後に元の峠に戻され記念碑が建てられたわけです。

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念仏石

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馬塚

峠からは急な坂が続きます。

ざっと一気に600m下ることになるので
善光寺からの逆ルートだと結構きつい登り坂です。

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火打石茶屋の跡を過ぎると、
立派な一里塚がありました。

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上は「のぞき」と呼ばれた場所。
善光寺平を一望できる良い場所だったので
望遠鏡の貸し出しがあったといいます。

現在は木が生い茂って何も見えませんが、
有名な姨捨のような絶景だったのでしょうか。

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峠を下った先にある桑原宿という間の宿。

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ここにある七曲り松は老木で
名所絵図にも描かれるほどの有名なものです。

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桑原宿を過ぎると稲荷山宿です。

宿場周辺から見える山々を見てると
善光寺平は山に囲まれた盆地であることがよくわかります。

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上の写真は軽井沢方向のもの。
中山道に繋がる北国街道は山と山の間を進んでいくわけです。
今通ってきた猿ケ馬場峠や妙高の山々も見えました。

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稲荷山宿は大火で燃えているので古い風情は少ないですが
その後に建てられた明治時代の蔵が数多く残っていて
重要伝統的建造物群保存地区に指定されています。

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宿場の入口にあった道標には「西京街道」
西京とは京のことです。

明治になって江戸は東京になったわけですが
京は東京に対する西なので西京と呼ぶことがありました。
この道標はその名残ということですね。

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稲荷山宿の本陣。
善光寺地震の影響により門が大きく傾いています。

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稲荷山宿は善光寺西街道で一番大きな宿場町でした。
近くにある長谷寺は奈良、鎌倉と三長谷寺と謳われていて
多くの人が寄り道をしていったといわれています。

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右 東京 の道標

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長谷寺が山の中腹に見える

宿場を抜けて少し進むと
北国街道との追分があります。

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かつては大きな道標があったようですが
現在はモニュメント的なものがあるぐらいです。
一見すると見過ごしてしまいそうな場所ですが、
ここは江戸へも続く道と分かれる重要な場所でした。

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真新しい北陸新幹線の高架をくぐります。
交差点には立派な道標がありました。

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「せんく王うし道」

善光寺への道という意味です。
道標には当て字を用いるこうが多いですが
「うし」は「牛に引かれて善光寺参り」からでしょうか。
江戸時代の道標で指さしは珍しいですね。

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篠ノ井駅付近や今井駅付近は平坦な道が続きます。

今井は長野オリンピックの選手村があった場所で
モダンなマンションが立ち並んでいます。

またここには大仏がおられます。
奈良の大仏ほどではないですが大きなものです。

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大仏はこの建物の中に

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犀川の手前にあるのが丹波島宿。
家々には魔除けの飾り瓦があるのが特長的です。

家の門には昔の屋号が書かれてあったりと
宿場を意識した町づくりを感じます。

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この先では犀川を渡りますが
河川改良で渡し場を含めて一部消滅しています。

犀川は松本平では梓川や奈良井川なのですが
新潟県内になると信濃川へと名前が変わります。
松本付近から続く流れは日本海へと流れているわけですね。

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橋の欄干に注目です。
時代毎の橋のイラスト描かれています。

当初は渡し舟、舟橋、木橋の時代を経て鉄橋。
そして今のコンクリ橋。

交通量が多かったことこともあって
各時代の技術を取り入れた様子がわかります。

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橋を渡った先には立派な常夜灯。

元の渡し場付近から移設されてきたもので
善光寺が近いことを感じさせてくれます。

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しばし旧道を進むと長野駅前。

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ここからは善光寺まで真っ直ぐ道なりに進みます。

丁石しかり常夜灯しかり。
次第に参道の光景が濃くなっていきます。

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善光寺の門前には立派な芝居小屋がありますが
江戸時代においても付近には芝居小屋が建ち並んでいて
多くの人で賑わっていたそうです。

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この場所は善光寺の入口と呼べる場所で
日本海への北国街道は右へと進路をとります。

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夕方なので人通りが疎らな参道。
善光寺は提灯がぶらさがる珍しい光景に出会えました。

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posted by にゃおすけ at 19:00 | Comment(2) | TrackBack(0) | その他の街道 | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
にゃおすけさん、こんにちは。

成田街道歩きお疲れ様でした。
にゃおすけさんのレポート見て、僕が成田街道歩いた時には新勝寺までで寺台宿まで歩いていないことに気がつかされました・・・ダメですね(笑
今度続き歩いてきます。

さて、善光寺西街道は無事歩き終えました。峠道も結構楽しかったのですが、先日の大雨で少し地面がぬかるんでいて、砂防ダムに遮られている箇所の旧道跡とかをゆっくり確かめられなかったので、またいつか行って確かめたいと思っています。

ところで、同じ長野の街道で福島宿から分岐して菅平高原や鳥居峠を通って大笹宿まで行く大笹街道を歩いた方がお知り合いにいたりしますでしょうか。
今気になっていていろいろ調べているのですが、あまり情報がないんです。もし何かご存知であればご教授頂ければ助かります。

よろしくお願いします。
Posted by 街道Lover at 2017年10月13日 15:31
街道Loverさん

善光寺西街道歩きお疲れさまでした。
気候的に最高な街道歩きだったことでしょう。
砂防ダムのあたりは少しややここしいですね。
ややこしかったのですぐ思い出しました(^^;

大笹街道についてはちょっとわかりません。

Posted by にゃおすけ at 2017年10月13日 15:55
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