2015年10月28日

水戸街道その2・亀有→天王台駅

2年ぶりの水戸街道歩きになりました。

IMG_0756.JPG
 

↑詳しいルートと記録は【山行記録のページへ】もご覧ください。

IMG_0757.JPG

亀有駅をスタートすると
まず中川に差し掛かります。

中川は江戸時代はじめまでは
利根川と荒川の本流とした流れだったそうです。
その後の工事でそれぞれ東へ西へと川筋を移設して
中ほどに残った流れが中川というわけです。

かつては橋の横に大きなタブ木が植わっていたのですが
切り株だけのモニュメントが作られていました。

IMG_0759.JPG

IMG_0763.JPG

この中川を渡り終えると「新宿」
読み方は古くは「あらしゅく」と呼ばれていたのですが
今は「にいじゅく」と呼ばれています。

宿場の中ほどでL字に折れています。

IMG_0764.JPG

IMG_0765.JPG

そこにあった煎餅屋さん。
なんとも味のあるお店のたたずまいです。

そういえば、
関西では煎餅屋は関東に比べると少ない気がします。
あるのは和菓子や饅頭屋といった甘い店が多いです。

IMG_0767.JPG

IMG_0772.JPG

IMG_0768.JPG

新宿の端で成田道と分かれます。

ここにはかつて大きな道標があったのですが
現在は”葛飾区郷土と天文の博物館”に移設保存されています。

IMG_0779.JPG

IMG_0780.JPG

帝釈天道の道標。
あの有名な柴又の帝釈天へと道が続いています。

古地図を見ていると賑わいある光景を見ることが出来ます。
江戸から日帰りで行ける場所にあった帝釈天は
庶民にとって人気スポットだったみたいです。

IMG_0781.JPG

IMG_0785.JPG

JR貨物線の浜街道踏切を渡ります。

こんなところに浜街道?なんですが
水戸街道は元々は日本橋から水戸城下を結ぶ街道でしたが
明治以降は岩城街道とまとめて陸前浜街道として扱われています。

IMG_0793.JPG

IMG_0796.JPG

IMG_0812.JPG

葛飾橋で江戸川を渡ります。

かつては江戸防衛の観点から橋が設けられず渡し舟でした。
ただし将軍が鷹狩りなどで通る際は舟橋が設置されたそうです。

IMG_0816.JPG

IMG_0820.JPG

松戸側の渡し場跡の様子ですが
河川敷になっていて痕跡を見つけるのは困難になっています。

反対側の金町側には関所もあったのですが
こちらもすっかり河川敷きの中です。

IMG_0821.JPG

IMG_0822.JPG

この渡し場付近では
鮮魚を扱う店が多く賑わっていたそうです。
江戸川では今も天然うなぎが取れるとのことで
松戸ではうなぎ屋を何軒か見かけることができます。

IMG_0829.JPG

IMG_0830.JPG

松戸宿に入ります。
昔ながらの痕跡は少ないようですが
秋祭りの準備で町は活気に満ちていました。

自慢の神輿が道路に出ていて心躍ります。

IMG_0842.JPG

IMG_0836.JPG

一方、松戸神社に寄ってみると
七五三で賑わっていました。

町の雰囲気は昔の面影が少ないものの、
こういう昔ながらの風習はいいものですね。

IMG_0843.JPG

IMG_0840.JPG

松戸神社の手前には坂川が流れています。

別の名は「逆川」で江戸時代に開削された人工河川です。
開削までは江戸川の水が逆流する浸水被害が多かったといいます。

IMG_0854.JPG

IMG_0856.JPG

IMG_0862.JPG

馬橋宿(間の宿)の入口。

ここには地名の由来になった橋が架けられています。
馬橋が架けられる前は大雨の度に流されていたのですが、
とある坊さんが馬の鞍の形をした橋を架けたところ
流されることがなくなったということです。

IMG_0867.JPG

IMG_0874.JPG

IMG_0886.JPG

馬橋を出ると幾分アップダウンが増えてきます。
この醤油壺で出来た坂は見事ですよね。

IMG_0883.JPG

付近の旧道は少し高台になっていて
往時の雰囲気がいい感じで残っていました。

IMG_0902.JPG

IMG_0894.JPG

さて次は小金宿です。
今も江戸時代に建てられた旅籠が残ります。

小金宿の規模は松戸宿の半分ほどだったそうですが
水戸藩にとって江戸との距離がちょうど良い位置なことから
専用の本陣や旅籠が設置されて重要な宿場だったようです。

IMG_0904.JPG

元は小金城の城下町として発展した小金。
この地は太日川(現在の江戸川)の要所でもあったので、
水運により城下に市が立ち並び宿場が形成されていきます。

城自体は江戸時代を迎える前に廃城となってしまいますが
軍事的にも経済的にも栄えた場所であったようです。

IMG_0907.JPG

水戸道中と書かれた立派な道標。
隣には水戸海道と書かれたものもあります。

IMG_0921.JPG

IMG_0923.JPG

柏へと歩いていくと日光東街道を過ぎたあたりは
松並木が続いていたのですが面影がありません。

また一帯は小金牧あるいは上野牧と呼ばれて
江戸幕府軍馬放牧場があった場所だったそうです。

IMG_0932.JPG

柏集落の入口には凹状をした木戸があったわけですが
関所の役割はもちろん馬の放馬防止の役目がありました。

街道の横をよく見ると土手があるのがわかりますが
これも一つの放馬防止対策だったそうです。

IMG_0943.JPG
日光東街道との追分

IMG_0943.JPG

柏に入ります。
柏神社の周辺の賑わいは凄いですね。

IMG_0944.JPG

ここ柏は江戸時代は一集落に過ぎない町でしたが
明治になって鉄道が開通してからは交通の要衝になり
広大な放牧場や開墾を経て大きくなった経緯があります。

IMG_0956.JPG

IMG_0962.JPG

IMG_0970.JPG

北柏駅付近は大きなアップダウンが出てきます。
ここはかつての難所「根戸の大坂」がありました。

IMG_0972.JPG

常磐線を跨線橋を越すと我孫子宿に入ります。

IMG_0983.JPG

IMG_0990.JPG

茅葺の大きな家があったのには驚きました。
これは宿場の問屋兼名主であり脇本陣跡とのことです。

この他にも料理屋が固まってる場所があったりと
宿場の名残りがどこかに残る我孫子宿でした。

IMG_0996.JPG

我孫子宿の外れで成田道と分けます。

IMG_0997.JPG

「右 成田道」

この立派な道標の前には
花が飾られていていました。

IMG_1010.JPG
車庫で分断された先に旧道が残っている

IMG_1016.JPG

10月にもなると日暮れが早いです。
17時を過ぎるともう真っ暗でした。


   
posted by にゃおすけ at 19:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | その他の街道 | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:


この記事へのトラックバック