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早朝の小山宿より出立します。
誰もいない宿場風情は静かでいいですね。
愛宕神社には巨大な切り株がありました。
向かいのお寺の雰囲気もなかなかいい感じ。
喜沢追分。
ここで日光西街道(壬生道)と分かれます。
日光西街道も日光を目指す街道になるのですが
日光街道は奥州街道と重複しているので混雑気味で
その上、2里も距離が長くなってしまうことから
一般利用者は日光西街道が人気があったといいます。
旧道の雰囲気が残る日光街道。
この先の東北新幹線高架橋で分断されています。
高架橋付近は大部分が消滅していますが
線路を渡ると田畑が広がり僅かな道筋が残っていて、
良い意味での栃木らしい農村の光景が広がっていました。
再び線路を渡って新田宿に入ります。
国道が真ん中を通っているので
全体的に宿場の面影は残ってないのですが
一部の家々には昔の屋号が設置されています。
時代が流れて宿場であったことが
忘れ去られてしまった町が多いですが、
このように少しでも偲ぶものがあると嬉しいですね。
ここから先は国道と離れて旧道に入っていきます。
国道とほぼ平行して進む旧道。
歩行者、自転車専用道となっていてとても静かです。
出口付近のの藪道を抜ければ小金井の一里塚跡。
立派な両塚が残っている貴重なものです。
かつては塚と塚の間を道が通っていました。
どれぐらいの道幅だったかが一目瞭然なのですが
どうも時代によって変遷があるようです。
資料によると作られた当初は9m。
その後の改修により9.4m+側溝。
そして明治になると5.7mと一気に狭くなります。
これは現国道が明治17年に開通したことが関係あるようで
メインの道筋でなくなってからは農道として生き延びていきます。
おそらく農道だからこの幅でちょうど良かったのでしょう。
昭和50年代まで使用していたと書いてありました。
小金井宿。
先ほどの新田宿と同じく国道に面しているせいか
残念ながら宿場町の古い趣きは残ってはいません。
ただ古い建築物は皆無ではなく散見することができました。
小金井宿の見どころといえば慈眼寺。
明治初年の火災大部分が焼けてしまったのですが
新田一族の祈願所として建立されたということで
立派な雰囲気を感じることができます。
宿場を過ぎると再び旧道へと入っていきます。
草道になっていてテンションがあがります。
ウキウキ気分も束の間、
市庁舎建設工事によって街道は分断されてしまいます。
田畑や企業の立地で消滅ならばまだ納得がいくのですが、
街道はいわば文化財。市が自ら潰すのは勿体ないですね。
駅が近いし仕方なかったのでしょうか。
さて、今回の区間での街道歩きは
宇都宮国道事務所の街道マップも参考にしています。
http://www.ktr.mlit.go.jp/utunomiya/map/index.htm
これによれば、この先は深い藪になっていて、
しかもその中に一里塚が眠っているという記述がありました。
時はGWなので藪は酷くないと思ってたのですが
人がそれほど入った様子はなく酷いものでした。
結局、塚らしきものは見つけることは出来たのですが
もう何がなんだかで確信はもてませんでした。
塚らしきもの?
この一里塚にせよ、先ほどの小金井の一里塚にせよ、
今の時代になっても往時の姿を見ることが出来るのは
明治の早い段階で新道(別ルート)が出来たことが大きいでしょうね。
雀宮宿の手前で柏からの日光東街道と合流します。
ふと見かけた大きな塚。
この付近に一里塚があったと資料にあったのですが
案内看板がないので確固たる確証はありません。
でも塚はいかにもって感じですよね。
実際のところどうなのでしょう?
雀宮と言えば自衛隊の駐屯地としても有名です。
ここには資料館があって無料で見学することができます。
このような大きな戦車もズラリ。
所要時間は30分ほどでした。
雀宮宿。
宇都宮を前にした宿場町です。
宿場町であった目立った遺構はないようですが
本陣跡には立派な碑が立てられていました。
雀宮宿のいわれである雀宮神社。
997年に創建とありました。
神社付近にあった100キロポスト。
この表記は今の新道である国道の距離にあたるので
旧道だとこれ以上の距離になっていると思うのですが
これでようやく一区切りついたところです。
東京街道という標識。
この辺りではこう呼ぶのでしょうか?
枡形の跡
宇都宮宿に入ってきました。
現在、あちこちで道路拡幅工事が行われていて
宿場手前にあった大きな枡形の跡は消失しつつあります。
宇都宮宿は城下町でもあったので
街道は他の町と同様に城から離れた場所を進んでいます。
この交差点は奥州街道との追分。
本陣はこの付近にあったのですが、
宿場の賑わいの実質的な中心地は二荒山神社付近で
日光街道はそれをかすめる形で進んでいます。
宇都宮は門前町でもあるわけです。
古い風情が残る旧道。
交通量は多いですが良い雰囲気です。
宿の規模としては相当大きかったのですが
本陣は2軒、脇本陣は1軒と意外と少ないもので
将軍の日光社参での宿泊は宇都宮城でした。
宇都宮の郊外から杉並木が始まります。
杉が枯れた影響だからでしょうか。
代わりに桜や紅葉などが混じっています。
本来の旧道は並木の中の車道なので
堂々と真ん中を歩いてみたいものですが
今の時代なかなかそういうわけにはいけません。
一里塚の跡。
杉並木の外に設置されています。
野沢立場を過ぎると徳次郎宿。
下、中、上と分かれた宿場町でした。
下徳次郎宿で今回のゴールとしました。
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