2015年12月16日

日光街道二十一次その4・小山宿→宇都宮宿→徳次郎宿

いよいよ杉並木が始まります!

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↑詳しいルートと記録は【山行記録のページへ】もご覧ください。

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早朝の小山宿より出立します。
誰もいない宿場風情は静かでいいですね。

愛宕神社には巨大な切り株がありました。
向かいのお寺の雰囲気もなかなかいい感じ。

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喜沢追分。
ここで日光西街道(壬生道)と分かれます。

日光西街道も日光を目指す街道になるのですが
日光街道は奥州街道と重複しているので混雑気味で
その上、2里も距離が長くなってしまうことから
一般利用者は日光西街道が人気があったといいます。

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旧道の雰囲気が残る日光街道。
この先の東北新幹線高架橋で分断されています。

高架橋付近は大部分が消滅していますが
線路を渡ると田畑が広がり僅かな道筋が残っていて、
良い意味での栃木らしい農村の光景が広がっていました。

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再び線路を渡って新田宿に入ります。

国道が真ん中を通っているので
全体的に宿場の面影は残ってないのですが
一部の家々には昔の屋号が設置されています。

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時代が流れて宿場であったことが
忘れ去られてしまった町が多いですが、
このように少しでも偲ぶものがあると嬉しいですね。

ここから先は国道と離れて旧道に入っていきます。

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国道とほぼ平行して進む旧道。
歩行者、自転車専用道となっていてとても静かです。

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出口付近のの藪道を抜ければ小金井の一里塚跡。
立派な両塚が残っている貴重なものです。

かつては塚と塚の間を道が通っていました。
どれぐらいの道幅だったかが一目瞭然なのですが
どうも時代によって変遷があるようです。

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資料によると作られた当初は9m。
その後の改修により9.4m+側溝。
そして明治になると5.7mと一気に狭くなります。

これは現国道が明治17年に開通したことが関係あるようで
メインの道筋でなくなってからは農道として生き延びていきます。
おそらく農道だからこの幅でちょうど良かったのでしょう。
昭和50年代まで使用していたと書いてありました。

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小金井宿。

先ほどの新田宿と同じく国道に面しているせいか
残念ながら宿場町の古い趣きは残ってはいません。
ただ古い建築物は皆無ではなく散見することができました。

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小金井宿の見どころといえば慈眼寺。
明治初年の火災大部分が焼けてしまったのですが
新田一族の祈願所として建立されたということで
立派な雰囲気を感じることができます。

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宿場を過ぎると再び旧道へと入っていきます。
草道になっていてテンションがあがります。

ウキウキ気分も束の間、
市庁舎建設工事によって街道は分断されてしまいます。

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田畑や企業の立地で消滅ならばまだ納得がいくのですが、
街道はいわば文化財。市が自ら潰すのは勿体ないですね。
駅が近いし仕方なかったのでしょうか。

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さて、今回の区間での街道歩きは
宇都宮国道事務所の街道マップも参考にしています。
http://www.ktr.mlit.go.jp/utunomiya/map/index.htm

これによれば、この先は深い藪になっていて、
しかもその中に一里塚が眠っているという記述がありました。

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時はGWなので藪は酷くないと思ってたのですが
人がそれほど入った様子はなく酷いものでした。
結局、塚らしきものは見つけることは出来たのですが
もう何がなんだかで確信はもてませんでした。

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塚らしきもの?

この一里塚にせよ、先ほどの小金井の一里塚にせよ、
今の時代になっても往時の姿を見ることが出来るのは
明治の早い段階で新道(別ルート)が出来たことが大きいでしょうね。

雀宮宿の手前で柏からの日光東街道と合流します。

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ふと見かけた大きな塚。

この付近に一里塚があったと資料にあったのですが
案内看板がないので確固たる確証はありません。

でも塚はいかにもって感じですよね。
実際のところどうなのでしょう?

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雀宮と言えば自衛隊の駐屯地としても有名です。
ここには資料館があって無料で見学することができます。

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このような大きな戦車もズラリ。
所要時間は30分ほどでした。

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雀宮宿。
宇都宮を前にした宿場町です。

宿場町であった目立った遺構はないようですが
本陣跡には立派な碑が立てられていました。

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雀宮宿のいわれである雀宮神社。
997年に創建とありました。

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神社付近にあった100キロポスト。
この表記は今の新道である国道の距離にあたるので
旧道だとこれ以上の距離になっていると思うのですが
これでようやく一区切りついたところです。

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東京街道という標識。
この辺りではこう呼ぶのでしょうか?

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枡形の跡

宇都宮宿に入ってきました。
現在、あちこちで道路拡幅工事が行われていて
宿場手前にあった大きな枡形の跡は消失しつつあります。

宇都宮宿は城下町でもあったので
街道は他の町と同様に城から離れた場所を進んでいます。

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この交差点は奥州街道との追分。

本陣はこの付近にあったのですが、
宿場の賑わいの実質的な中心地は二荒山神社付近で
日光街道はそれをかすめる形で進んでいます。
宇都宮は門前町でもあるわけです。

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古い風情が残る旧道。
交通量は多いですが良い雰囲気です。

宿の規模としては相当大きかったのですが
本陣は2軒、脇本陣は1軒と意外と少ないもので
将軍の日光社参での宿泊は宇都宮城でした。

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宇都宮の郊外から杉並木が始まります。

杉が枯れた影響だからでしょうか。
代わりに桜や紅葉などが混じっています。

本来の旧道は並木の中の車道なので
堂々と真ん中を歩いてみたいものですが
今の時代なかなかそういうわけにはいけません。

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一里塚の跡。
杉並木の外に設置されています。

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野沢立場を過ぎると徳次郎宿。
下、中、上と分かれた宿場町でした。
下徳次郎宿で今回のゴールとしました。

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posted by にゃおすけ at 19:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日光道中二十一次 | 更新情報をチェックする
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