2015年12月24日

日光街道二十一次その5・徳次郎宿→日光東照宮

五街道の日光街道。最後の区間。

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↑詳しいルートと記録は【山行記録のページへ】もご覧ください。

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徳次郎宿は
上徳次郎宿、中徳次郎宿、下徳次郎宿と分かれています。

読み方は「とくじら」が当時の正式なのですが
現在は「とくじろう」でも通じるようです。

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大谷石の生産地が近いからか
ふんだんに使った家が多く見られます。

徳次郎宿は開設当初は上徳次郎宿のみでしたが
その後、懇願によって中と下が追加されています。

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ただ機能的には3つで1つの宿場の役割だったらしく
ひと月を三等分にして月の上旬は中徳次郎宿が担当し、
下旬は下徳次郎宿が担当をしていました。

一番忙しい中旬は古くからある上徳次郎宿が担当。
これは経験豊富という意味でのものだったようです。

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遠くには日光連山が見えてきます。
空は完全な秋空になっていました。

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一里塚。
片側のみですがしっかりと残っています。

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杉並木が始まりました。

実は今回のスタートからゴールまでは
高低差が400mもあり緩い上り坂が続きます。

でも、意外と疲れはあまりないもので
9月という気候の良さもさることながら
杉並木の癒しの空間が一番効果的でした。

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杉並木は日光市に入ると凄みを増してきます。

並木寄進碑は並木を作った時に立てられたもので
日光に向かう各街道に設置されています。

別の名を「境石」といって
ここから先が日光の神領となるわけです。

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大沢宿。

徳川将軍家の日光参詣に際して
宿泊所として御殿が設置されていた時期がありました。

宿場の出口からは再び杉並木が始まります。

この付近の杉並木は国道が並行して整備されているので
車の恐怖におびえることなく気持ち良く歩くことができます。

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ところどころに彼岸花。
まるで昔に戻ったような風情が続きます。

杉並木の途中にある一里塚は
並木の外側にあるので崩されることなく昔のまま。

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杉並木の保全は精力的に進められているようです。

バイパス道路を並行に作って車を通らせないようにしたり、
地面の下を掘削して隙間のあるブロックを埋めて
杉(根を含む)を大々的に保護したり。

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途中にあった工事の看板を見ると
ブロックは結構な大きさのものが埋められているので
路面は昔より若干高くなってる感じがします。

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古くからある森友集落を抜けると今市宿。
右手には高原山が見えてきました。

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今市宿の手前にあった一里塚付近の杉は
内部が枯れてぽっかりと空洞になっているので
通称「並木ホテル」とも呼ばれています。

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今市宿の入口にある追分地蔵は
高さ2メートルもある石造地蔵菩薩坐像です。

室町時代頃のもので
江戸初期は白の布で覆われていたのですが
将軍の一言で布を取り払われるようになったとか。

同じ敷地内には立派な道標が立っています。
宇都宮、鹿沼の地名が見えますね。

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今市宿は昔からの交通の要衝で
日光西街道、会津西街道、日光北街道と合流します。

現代においても国道が方々から交わるので
ここから交通量が多くなり渋滞気味になっていきます。

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今市宿は美味しい水でも有名ですね。
”いまいちの水”は水道水ですがなかなかの美味です。

本陣跡は現在道の駅になっています。
明治天皇の小休止された場所はもう少し先。

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朝鮮通信使宿泊の碑

宿場の出口には瀧尾神社など寺社があり
再び杉並木がはじまります。

朝鮮通信使はこの付近で休まれたようで
立派な石碑が立っていました。

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土道と杉並木。良い風情です。

戊辰戦争のおりにはこの付近において
幕府軍と官軍が衝突して戦いになったのですが
当時の砲弾が破裂した跡が今も残っています。

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国道はすごい渋滞です。
さすがは連休。シルバーウィークです。
渋滞は日光街道ゴールの神橋まで続いていました。

時折、窓から「歩くほうが早い!」だの聞こえて、
ちょっとした優越感がありました。

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長かった杉並木もJR日光駅周辺で終わります。
ここは最後の宿場町の鉢石宿の入口で木戸がありました。

東武日光駅から先は歩道にも人があふれます。
なかなかの賑わいぶりで昔も今も変わらず栄えています。

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古い建物がちらほらと残ります。

鉢石宿のいわれば鉢石という石。
しめ縄で囲まれている神聖なものです。

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ただ、この石を見るのにずいぶんと迷ってしまいました。
街道沿いに案内標識があればよかったのですが、、、

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神橋が日光東照宮の入口。
橋を渡って日光街道完歩としました。

橋のあたりは江戸時代でも大きな広場だったようで
時代は変わってもこの辺りは変わりません。

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日光街道全般の感想としては
ほぼ平坦な道のりで道がわかりやく、手ごろな距離。
しかも多くの街道ウォーカーが歩いているということで
ネットに情報が蔓延しててありがたいことです。

初心者におススメ!と言いたいのですが
街道風情はというと杉並木を除くとさほどない印象です。
小山宿あたりまではアスファルト道が延々と続きます。

パッと思い浮かぶ宿場町で記憶に残ってるのは
千住宿、草加宿、古河宿、小山宿、宇都宮宿、今市宿。
どこも街道文化を推してる自治体だったりします。

歩くのが苦手な人はこれらの宿場町を
ピンポイントで巡るのも楽しいかもしれません。

五街道はあと一つ奥州街道のみになりました。
早々と攻略していきたいものです。


 
 
posted by にゃおすけ at 19:50 | Comment(4) | TrackBack(0) | 日光道中二十一次 | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
こんにちは。完歩おめでとうございます。お疲れ様でした。

月の中旬が一番多忙になるというのは、何が影響していたのでしょうね。
Posted by kanageohis1964 at 2015年12月24日 20:14
kanageohis1964さんありがとうございます。
月の中旬の多忙の件ですが何かしら理由がありそうですが
おそらく徳川家康の命日が4月17日なので17日に合わせて
参る人が多かったのではないでしょうか。
Posted by にゃおすけ at 2015年12月25日 09:15
なかなか旅行に行けないのでちょっとこちらのサイトに寄り道してみました、ほんの数分でしたが、バーチャル日光街道の旅を楽しめました。
Posted by kachapin at 2016年01月16日 22:33
kachapinさんありがとうございます。
もしお近くであれば日光街道の旅をぜひぜひ。
Posted by にゃおすけ at 2016年01月18日 08:26
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