2016年01月08日

西国街道その10・矢掛宿→横尾駅

岡山県から広島県へ。県境の区間を進みます。

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↑詳しいルートと記録は【山行記録のページへ】もご覧ください。

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雨があがった矢掛宿の本陣前。

重要伝統的建造物群保存地区には指定されてないですが
なまこ壁の漆喰など一体感を感じる良い町並みです。
近い将来は指定になるのではないでしょうか。

矢掛は手延べそうめんの発祥の地。
500円で食べ放題というお店があります。

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高通川を渡ります。
碑には昔は徒歩で渡っていたと書いてあります。

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近隣の公共交通機関というと井原鉄道がありますが
かつては井笠鉄道という軽便鉄道が存在していました。

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鉄道の遺構は街道沿いに点々と残っています。
この建物は旧矢掛駅。現在はバスターミナルになっています。
広々とした敷地はいかにも元鉄道駅といった雰囲気です。

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この付近に多い金比羅山常夜灯。

自然石をそのまま利用してるもので、
関西ではあまり見かけない造形です。

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街道沿いには地域の人が立てたと思われる
街道名が書かれた案内碑をあちこちで見かけます。

これがあることで旧道である証にもなりますし、
単調な国道区間では良いアクセントになってくれています。

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路盤がしっかりした草道が続く旧道。
のんびりした光景を進んでいくと堀越宿に入ります。

ここは間の宿で正式な宿場ではなかったのですが
昭和の香りを感じる良い町並みが続いていました。

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電信柱にあったレアな看板。
これはかなりの年代ものですよね。

堀越宿は最盛期は78軒もの家々があったそうです。

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旧道沿いにある古い大きな火の見櫓。
ここがかつてのメイン通りだったことを教えてくれます。

やがて今市宿。こちらも間の宿でした。

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今市宿の入口

今市宿の入口は下の終戦直後の写真を見ると
1の道しか写ってないのがわかります。

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地図・空中写真閲覧サービスより

一見これが本道に見えるのですが
古地図では2の道も描かれているんですよね。
そして現代は2の道が再び復活しているという。

これにはどちらが本道なのか大いに悩みました。

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国道の左手には川があり橋があります。

橋のたもとには古い道標が残っていて
最初は左(1の道)が本道と思ったのですが
A地点の場所を考えると2の道のほうが自然な感じです。

おそらく1は対岸から宿への脇道ではないかと思うところで
戦後の車社会による道の改良で2が復活したのでしょう。

いろいろと考察してみましたが
こういう謎な場所は両方歩くに限りますね(^^;

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今市宿を過ぎると七日市宿。
名前のとおり7日に1回程度の市が開かれていたそうです。

また宿場入口には川があるので
川止めでの賑わいもあったことでしょう。

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かつての渡し場がこちら。

渡し場といっても普段は水量がないので
原則的に人足によるものだったそうです。

幕末には木の橋が架けられています。

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本陣跡はがらーんした駐車場になっていました。

往時は本陣・脇本陣、旅籠屋を含めて
宿泊施設だけで80軒もある大宿場だったそうです。

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大曲り跡。

西国街道を歩いていると
岡山県内に大曲が何か所か見かけますが
条里制だった時代の名残が今も残っています。

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この場所の大曲りは区画整理で失われてしまって
普通に歩いてると痕跡を見つけるには困難なのですが
こういう時に役に立つのは古い航空写真。

昭和40年代に撮影されたものでも
しっかりとした道筋が残っていました。

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大きな常夜灯が見えると県道と合流します。
橋を渡れば備中国最後の高屋宿です。

大坂から20番目の宿場であって
子守唄が有名でモニュメントをあちこちで見かけます。

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懐かしい消防自動車。

車だけでなく火の見櫓や古い庁舎とセットです。
これら全て現役というのはなかなか貴重ですね。

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高屋宿の家々の特長は
家の前に柵があったりするなど
明治から大正期の町家の形態が残っています。

これは江戸時代は大森銀山の継場として賑わった後、
明治に入って繊維工業でも発展したこともあるのでしょう。
他の宿場とは一味違った風情を楽しめました。

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ここが県境。江戸時代の国境です。
復元された距離程標識が立っていました。

この標識を境に車のナンバーが変わります。
家々は続いているのに岡山側は倉敷、広島側は福山。
まるで線を引いたような感じで面白いものです。

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一里塚の跡には立派な四ツ堂が残っています。
ここでは旅人の休憩処として使っていたそうです。

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あれほど多かった白屋根の元茅葺家屋は
広島県に入ってめっきり見なくなりました。

まもなく国分寺横を進んでいきます。
大昔はこの辺りがこの地方の中心でした。

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その国分寺ですが
今ある建物は後年建てられたもので
かつては参道沿いに大きな金堂や塔が建っていました。

参道の松並木は良い雰囲気で
日差しがとても心地よい感じでした。

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川沿いを進んでいくと神辺宿にたどり着きます。

入口付近にあった左右対称の大きな石積みは
おそらく防犯上の門か水防のための門の跡なのでしょう。

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神辺宿には本陣が現存しています。

16:00までに入れば見学が出来るのですが
建物の内部には普段はあがることができません。
16:00越えても事前に予約しておけば見学は可能だそうです。

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本陣内部にあった関札を見ると
福岡の黒田家が多く利用していたことがわかります。

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車が少ない静かなメインストリート。
ふと電信柱をみると電線がたわわにつながっています。
このような状態の木製の電柱は珍しくなりましたね。

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今回のゴールは横尾駅。

神辺宿から少し離れているのですが
出雲への道の分岐点でもあって賑わった場所です。

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追分には道標が残っています。

町並みも風情あふれるものがあるのですが
車の交通量が多いのは残念でした。

この日の宿は福山駅前でとりました。



  
posted by にゃおすけ at 19:00 | Comment(3) | TrackBack(0) | 西国街道(山陽道) | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
にゃおすけさん、こんにちは。

矢掛宿には土曜日の昼前に着いたので、脇本陣と本陣の両方を見学しました。
本陣では参勤交代についての色々なお話が聞けて楽しかったです。
2時間近くも矢掛宿に滞在してしまいましたが、とても充実した時間でした。
早雲の里荏原では至るところに「北条五代を大河ドラマに」との幕がありました。
街道や資料館、公園の大規模な整備はドラマや映画、世界遺産などがないと中々進まないのかもです。
自治体もドラマや映画で取り上げられたら整備の費用対効果も見込めるので予算がつけやすいのかもしれません。
壇ノ浦の古戦場跡の公園にはタッキーと石原さとみさんの手形があったような。
ではでは。
Posted by mogmog at 2018年02月05日 00:21
>mogmogさん
矢掛の資料館の係員は熱心ですね。
聞けばいろいろ答えてくれました。
1月のサザエさんのオープニングでは
矢掛の情景が映し出されていますが
春になると観光客増えるかもしれませんね。
Posted by にゃおすけ at 2018年02月05日 08:54
にゃおすけさん、こんにちは。
矢掛本陣のガイドのおじいさんは本当に何を聞いてもほぼ答えが返ってきて本当にすごいです。
本陣に展示してある資料だけじゃなくて西国街道や参勤交代における矢掛宿の位置付けなどの
バックグラウンドの知識も豊富なんで話をしてて楽しいんですよ。
いったいどれくらい勉強してはるんだろう?って思いながら聞いていました。
Posted by mogmog at 2018年02月07日 00:04
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